国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

10.戦前の陸軍をどう考えればいいのか

2016年03月27日 | Weblog

 現在の民主主義からみれば、過去の体制は単なる軍国主義体制に見え、全否定されてしまう。

 それでは実は原因はまったくわからない。

 出口王仁三郎が軍部や右翼と関係をもちながら皇道を訴え、天皇機関説に反対したのにはきちんとした論理がある。

 当時北一輝や大川周明の唱える国家体制が浸透し始めていた。

 しかし、彼らはもと左翼であり、その理論は天皇を利用した国家社会主義に他ならない。

 皇道派のTOPといわれていた真崎甚三郎は評判は悪いが、この点についての見識は正しい。

 これに対して統制派は天皇の意思を必ずしも受け入れず、天皇が間違っていれば反論し、場合によっては皇室の別の人物を担ぎ出してすげかえるような意見を持っていたものもいた。

 つまり天皇機関説が問題になったのは、天皇が国家の部品であるとすれば、気に入らなければ変えるということが起き始める。秩父宮擁立運動や、天皇の意思に反する中国での軍部拡大運動はすべてこうした天皇を都合よく自分なりに解釈し始めたところから始まる。

 今日的に考えればその方が納得されるだろう。現憲法では天皇機関説である。しかも政治に関与させないように作られている。

 これは戦前、天皇の権限を拡大していたにも関わらず、軍部や統帥部がそれに従わなかったことが原因であるが、その背景にあるのは天皇の権限が大きかったことが問題なのではなく、逆に天皇の意向が軍部や外交官に十分浸透できなかったことによる。

 石原莞爾がいかに天才であったとしても満州が最終的に意図するものとは違ったものに変質することは予測できなかった。天皇陛下の不拡大方針は知っていながら、謀略で拡大した。天皇の不拡大方針の裏には米英や中国への配慮があった。一段大局に立ってものを見て居た。石原莞爾の作戦は、あくまで軍事的レベルの作戦であり、先の見通しに関しては甘かった。

 陛下は戦争回避の努力を続けていたが、石原莞爾は戦争の準備を進めていた。石原はどれほど東條のやり方を責めたとしても、石原もまた大局を見誤り、満州事変が戦争の引き金になった。

 天の岩戸開きとは、天皇の威光が世界に輝くことであるが、軍部はそれを武力で行おうとしたために各地の恨みを買った。これは素戔嗚が天照大神に信じてもらえず地で乱暴を働いたとされる故事と重なる。

 かくして天皇の威光は広がるどころか、戦争の責任は天皇にあるとされ、今日に至っても天皇と政治や経済、ことに軍事が関係することはタブーとして世界中に怖れられている。

 戦後これは経済戦にすり替わったが、これも最近ではTPPなどアメリカの謀略に日本は瀬戸際までおいつめられている。

 この状況をひっくり返すとすれば、現代の価値観とは全く異なった価値観の上で物事をみなくてはならない。

 世界が日本に注目し、日本の天皇に注目すること、日本の天皇制が海外の王制と異なって、神より与えられた権能で治められるという太古の神授説によるものであること、そして神を実在の存在と考え、政治が神人一致して行われること。

 こうした古代の理想政治がまだ実現する可能性が残っている稀有の国であることを実証する必要がある。

 

 

 

 



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