国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

殷周と古朝鮮から高句麗

2019年11月14日 | Weblog
殷と周との戦いというのは、古代歴史の最重要事項である。
殷は東族、周は西族という見立てから出発すると分かりやすい。日本や檀君朝る

 殷以前は夏王朝があったとの伝説があるが、そこについてはまだ私も詳細にはみていない。ただ洪水により中原も混乱し、太古日本の統治説からすれば、統治ができなくなったということであろう。

 殷の最後の紂王が酒池肉林で人心を失い、周と戦争になって負けた。その時点で殷の祭祀が途絶えたといわれている。ところが、息子の一人が祭器をもって逃げ、祭祀そのものは箕子に引きつがれていたようにも見受けられる。

 正式の祭式は祭器とともに、しかるべき後継者、血統の者が行わなければなさないと思われる。

 例えば日本で言えば天皇の血筋を引いたものが三種の神器を継承し、大嘗祭のような継承の儀式を行わなければならない。

 しかし殷は紂王が最後の統治者として、それを後継に譲れなかった。殷の継承者としての儀式が行われないため、殷として祭祀は途切れたということになるのだろう。

 殷が日本と関係があったと思うのは何を根拠にというだろうが、まず殷周の戦争が始まった時に東方からの援軍が来ていることが契丹古伝に出ている。確かにそれが日本からの援軍かどうかは微妙な点がある。

 箕子が朝鮮を建国したとき檀君がその地方の支配権を譲ったという話がある。檀君については諸説ある。伝承ではファンインという神がいて、熊女と交わって生まれたのが檀君ということになっている。しかし九鬼文書などでは檀君はスサノオノミコトのおくり名であるとみることもできる。つまりスサノオノミコトの系統が続いていて、系統がおなじなのでその地位を譲ったとも考えられる。
 
 そして契丹古伝によれば箕子には子がなく、皇室から養子を得ている。つまり朝鮮と日本はこの時点では兄弟関係にある。
 しかし何代かあとに衛瞞という将軍が燕国から亡命、朝鮮の王は信じて国の重要な守りを任せたが、なんと裏切りから朝鮮を乗っ取ってしまった。
 この朝鮮はすでにはじめの朝鮮ではない。このとき箕子朝鮮の後継者は、なんとか逃れて別のところにうつったともいわれている。

 その後、時代が変わって朝鮮では朱蒙が、古朝鮮の流民を集めて国を建てた。朱蒙の父は謎の人物で水辺の女性を犯してどこかに去ってしまったといわれているが、奇妙なことに三本足の烏を信仰の対象とし、三種の神器を手にしたといわれている。

 三本足の烏とは日本ではヤカダラスという、神話上の存在てある。三種の神器については諸説あるが、日本の三種の神器を模したものとも考えられる。

 一般にこれは半島の伝承が日本の神話に流れこんだといわれているが、逆の可能性もある。

 高句麗の三足鳥も太陽の化身といいわれている。朝鮮の伝承ではなんのことだがわからない。日本の神話と照合すると、朝鮮人にとっては心外だろうが、太陽の化身の意味は、太陽は皇国の象徴であり、皇国の命を受けていることを示している。三足烏は日本では神武天皇を先導したことがある。

 日本の伝承ではこのヤタガラスはある神話上の人物らしい。神武天皇を導いたとされ、スサノオノミコトの仕えたものの子孫だともみられる。

 先に檀君がスサノオノミコトのおくり名だという仮説を書いた。朝鮮の神話ではファンインという神が地元の熊女と交わってできたのが檀君ということになっているが、おくり名であるということであれば、何代にも渡ってこの名前が踏襲されて来たのだろう。

 スサノオノミコトは弓を使ったという伝説も残っており、これが朱蒙の弓伝説にも繋がるのではなかろうか。

 高句麗の系統は日本の神話と関係が深く、ヤタガラスの系統の人物が朱蒙の父親だったとすれば、話は分かりやすい。

 先日安市城での先頭の映画を見たが、唐の大軍を破った城主は王を殺害した将軍に反逆し、高句麗を守ろうとした。

 王を殺害するという行為は下克上で、中国朝鮮では易姓革命として肯定されているが、我が国では許されない。

 太古においてはこの行為は非道とされていた。殷周革命の時代でもその記述があるが、そのような国となった高句麗はやがて滅びることとなる。

 

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