久しぶりの投稿です・・・(汗)
というのも、我が職場で新規事業を展開し、
その準備に追われ、その事業がやらやっと落ち着いた・・・
というのが投稿できなかった(しなかった)理由です・・・
ということで(?)、ボチボチ再開始めます・・・
どうぞよろしくお願いいたします(^^)
さて、ずいぶん放置しており、申し訳なかったのですが、
matumotoさんより、壮大なコメントを頂いておりました。
ちょっとコピペします・・・
~以下コピー~
自分が思う「在宅で死ぬのが当たり前」という社会も50年前の8割が在宅死だったときには通用しても、今のように8割が在宅外死という時代では家族の数だけの当たり前があって「アナタに決めれるんですか?」という厳しい質問が浴びせられるときがあります。
もちろん自分が決めれるとは思っていないのですが…。
でも誰も死に責任を取れなくなってきそうだな~というふうに思うんです。急変すれば救急車を呼び、病院につけばチューブまみれ、人はいつ死ねばいいのか?IPS細胞 臓器培養 ここらで死生観、何を大切に生き、どこから延命を断るのか?そんなことを地域で話し合っていかないといけないかなと思うんですがlifeさんはじめ皆さんのお考えを教えてください。
~以上~
病院と違って、地域をケアする、と考えたときに、
必ずといっていいほど考えざるを得ないテーマだと思います。
簡単に「QOL向上」な~んて妖しげな単語では済まされません。
第一、生活ってなんでしょう?
ま、そのまま読めば、生きて活動することなんですよね。
実際、それだけのことだったりする。
そして、その生活習慣と考えたときに、
これはもう、いろいろあるわけです。
布団で寝ることへのこだわり、
和式便所でのトイレにこだわる、
地デジの準備バッチリ(笑)
朝は絶対ご飯に味噌汁!
そんな個人個人の生活習慣のこだわり、
価値観への追求は、制度には当てはまらない。
むしろ、その生活のこだわり、価値観を支えていくのが、
我々の仕事なのかな、と思います。
それは時には専門職として「どうかな~?・・・」と
悩む場面も出てきます。
しかし、実際に生活されているのは、他でもない、
その方ですからね・・・
キュアとケアの狭間で揺れる本人さんとご家族さん、
それを見て揺らぐスタッフ。
それでいいんだと思ったりします。
一緒に考え、悩んで、支えて支えられて、
それでいいんだと。
定型的なフォームがあるわけでない。
むしろ、そのフォームに人の生活を当てはめようとするのが、
現在の医療・介護保険制度なのかな、と。
とある施設の施設長さんの話ですが、
この方、グループホームを経営されている方です。
入所者さんの連れ合いさんが面会に来て、
そのままお泊りになって、一晩過ごされた。
そして、それが監査で指摘され、入居者以外の方を云々・・・
と突っ込まれたそうです。
夫婦といえど、一緒に泊まれないのか?と聞いたら、
制度上は泊まれない、と返ってきて、
もうあきれたと・・・
夫婦を分かつ制度ってなんなんでしょうね?
今、どこで死ぬか?をめぐって国を挙げてこの調子。
施設で死ぬか?在宅で死ぬか?
あの~、この2箇所しかないんでしょうか?
と逆に聞きたくなります(苦笑)
「特養」は施設、グループホームは「在宅」、
特養は施設なんだけれども、
特養のショートステイは「在宅」、
な~んて議論を延々しているようじゃあ、
安心して死ねませんがな(苦笑)
核家族化・老夫婦世帯が増えてるこの時代で、
「在宅死」をどこまで演出できるか?
その方の人生・物語の終わりを我々がどこまで支援していけるか?
それについて、介護が重いか軽いか(要介護認定)、
介護の利用負担の上限なんかで決めていいものか?
そこのところを追求していくしかない!
と思っています。
長々とわかりにくいかもしれませんが、
私の気持ちです・・・
というのも、我が職場で新規事業を展開し、
その準備に追われ、その事業がやらやっと落ち着いた・・・
というのが投稿できなかった(しなかった)理由です・・・
ということで(?)、ボチボチ再開始めます・・・
どうぞよろしくお願いいたします(^^)
さて、ずいぶん放置しており、申し訳なかったのですが、
matumotoさんより、壮大なコメントを頂いておりました。
ちょっとコピペします・・・
~以下コピー~
自分が思う「在宅で死ぬのが当たり前」という社会も50年前の8割が在宅死だったときには通用しても、今のように8割が在宅外死という時代では家族の数だけの当たり前があって「アナタに決めれるんですか?」という厳しい質問が浴びせられるときがあります。
もちろん自分が決めれるとは思っていないのですが…。
でも誰も死に責任を取れなくなってきそうだな~というふうに思うんです。急変すれば救急車を呼び、病院につけばチューブまみれ、人はいつ死ねばいいのか?IPS細胞 臓器培養 ここらで死生観、何を大切に生き、どこから延命を断るのか?そんなことを地域で話し合っていかないといけないかなと思うんですがlifeさんはじめ皆さんのお考えを教えてください。
~以上~
病院と違って、地域をケアする、と考えたときに、
必ずといっていいほど考えざるを得ないテーマだと思います。
簡単に「QOL向上」な~んて妖しげな単語では済まされません。
第一、生活ってなんでしょう?
ま、そのまま読めば、生きて活動することなんですよね。
実際、それだけのことだったりする。
そして、その生活習慣と考えたときに、
これはもう、いろいろあるわけです。
布団で寝ることへのこだわり、
和式便所でのトイレにこだわる、
地デジの準備バッチリ(笑)
朝は絶対ご飯に味噌汁!
そんな個人個人の生活習慣のこだわり、
価値観への追求は、制度には当てはまらない。
むしろ、その生活のこだわり、価値観を支えていくのが、
我々の仕事なのかな、と思います。
それは時には専門職として「どうかな~?・・・」と
悩む場面も出てきます。
しかし、実際に生活されているのは、他でもない、
その方ですからね・・・
キュアとケアの狭間で揺れる本人さんとご家族さん、
それを見て揺らぐスタッフ。
それでいいんだと思ったりします。
一緒に考え、悩んで、支えて支えられて、
それでいいんだと。
定型的なフォームがあるわけでない。
むしろ、そのフォームに人の生活を当てはめようとするのが、
現在の医療・介護保険制度なのかな、と。
とある施設の施設長さんの話ですが、
この方、グループホームを経営されている方です。
入所者さんの連れ合いさんが面会に来て、
そのままお泊りになって、一晩過ごされた。
そして、それが監査で指摘され、入居者以外の方を云々・・・
と突っ込まれたそうです。
夫婦といえど、一緒に泊まれないのか?と聞いたら、
制度上は泊まれない、と返ってきて、
もうあきれたと・・・
夫婦を分かつ制度ってなんなんでしょうね?
今、どこで死ぬか?をめぐって国を挙げてこの調子。
施設で死ぬか?在宅で死ぬか?
あの~、この2箇所しかないんでしょうか?
と逆に聞きたくなります(苦笑)
「特養」は施設、グループホームは「在宅」、
特養は施設なんだけれども、
特養のショートステイは「在宅」、
な~んて議論を延々しているようじゃあ、
安心して死ねませんがな(苦笑)
核家族化・老夫婦世帯が増えてるこの時代で、
「在宅死」をどこまで演出できるか?
その方の人生・物語の終わりを我々がどこまで支援していけるか?
それについて、介護が重いか軽いか(要介護認定)、
介護の利用負担の上限なんかで決めていいものか?
そこのところを追求していくしかない!
と思っています。
長々とわかりにくいかもしれませんが、
私の気持ちです・・・
うんうんと頷き、
それでいて言葉にできない思いをどう表現していいのか・・・。
そうだね、
自分は生活とは「生き活き」だし、
「粋粋」だと思うよ!
さらにそれが時々揺らぐわけです。
それに寄り添うのが我々の仕事かな?
ケアの中のリハビリテーションって、結局振り回されてナンボの世界ですよね(笑)
上手く利用者さんに動かされてOK!みたいな(笑)
そして、そこには距離感ですね。
「心」は一つになったら「こころ」と読めなくなりますから。また、離れすぎても「こころ」という字には見えなくなりますし。
適当に離れているので「心という一つの字になる」わけで、それこそ心が一つになった瞬間ですね。