夕べ「2006年度版 ノートン・システムワークス」をインストール。
PCのメモリを512Mにしているのだが、一気に重たくなってしまった。
メモリをアップしないとまずいかなあ・・・?
さて、来年度の某学校の講義資料も、見直しを考え始めている。
#そんなことより、職場の事務仕事を片付けろって(笑)
その資料の中に、「自立」に関して話すところがある。
自立というのは、動作の自立じゃないよ、行為の自立をみるよ、
なんてハナシを学生にする。
で、ここで、今ストップ。
さてさて、「動作」ってなによ、
「行為」をどうとらえればいいわけ?
「動作」と「行為」の関係は?
そこに「行動」はどうかかわってくるのか?
と自分で勝手に引っかかっている。
そこで、辞書を引いてみた。
動作:何かをするときの、体の動き。
行為:人間が、何らかの目的で、ある結果を伴うことをすること。
行動:何かをしようとして、実際に体を動かすこと。
三つを並べると、なかなか興味深いことになってきた。
人は何かしようとする時に、意思を伴う。
そして、バックグラウンドとして、いろいろな動作を組み合わせて、
意思したところの結果を生み出すべく、行動する。
そう考えると、「動作」は「行為」の一部分であり、
それら全部、意思をも統合したものを「行動」と考えるべきなのだろうか?
例えば、今私はベッドに寝ているとする。
尿意をもよおす。
トイレに行こうと思う。
「寝返りして、そこから起き上がり、端座位となって、立ち上がり、
トイレまで歩いて、ドアを開けて入り、ズボンとパンツを下ろして用を足す。
用を足した後は、後しまつをし、今行った逆の手順を踏む。
ほうほう、そう思いながら分析してみると、3つの関係が見えてくる。
一つ一つの動作の練習・促通は、理学療法士の大きな仕事の一つである。
だが、これらをつなげて、一つの「行為」としてみていたか?
と聞かれると、私は途端に自信がなくなってしまうなあ・・・
また、動作を行為にし、さらに行動として昇華させていたかを問われると、
これまた自信がなくなるなあ・・・
そして、「活動」という概念もここで入って来る。
活動:(本来の領域で)そのものにふさわしい、動き(働き)を見せること。
本来の領域って、患者さんからすれば「家での行為・行動」でしょう。きっと。
その本来の領域での行為・行動をみていたか?と聞かれると、
さらに沈没だなあ・・・
そこで、もう一度並べてみる。
一つ一つの「動作」が集まって「行為」となり、
それを患者さん自身の意思でもって行うようにする、すなわち「行動」。
その「行動」を、本来の領域で発揮してもらうことを「活動」。
そう整理はできまいか?
そして、中枢疾患の場合、脳の連絡システムが障害を受ける。
この一連の流れがうまく組み立てられなくなる。
とするなら、リハ室内だけでの動作だけを追っていたのでは、
患者さんの生活にはとてもではないが、フォローできないのではないか?
という疑問が出てくる。
では、病棟でもどうか?といわれれば、病棟・病室のシステム(4人部屋など)が
患者さん本来の領域を想定できているか?
そして、その先の退院後の活動を見据えてアプローチできているか?
さらに、自宅での訪問リハビリテーションを行っている私は、
十分にその方の「活動」を引き出せているか?
うぅ、講義資料を見直しながら、
自分の仕事を見直すことになってしまった(苦笑)
PCのメモリを512Mにしているのだが、一気に重たくなってしまった。
メモリをアップしないとまずいかなあ・・・?
さて、来年度の某学校の講義資料も、見直しを考え始めている。
#そんなことより、職場の事務仕事を片付けろって(笑)
その資料の中に、「自立」に関して話すところがある。
自立というのは、動作の自立じゃないよ、行為の自立をみるよ、
なんてハナシを学生にする。
で、ここで、今ストップ。
さてさて、「動作」ってなによ、
「行為」をどうとらえればいいわけ?
「動作」と「行為」の関係は?
そこに「行動」はどうかかわってくるのか?
と自分で勝手に引っかかっている。
そこで、辞書を引いてみた。
動作:何かをするときの、体の動き。
行為:人間が、何らかの目的で、ある結果を伴うことをすること。
行動:何かをしようとして、実際に体を動かすこと。
三つを並べると、なかなか興味深いことになってきた。
人は何かしようとする時に、意思を伴う。
そして、バックグラウンドとして、いろいろな動作を組み合わせて、
意思したところの結果を生み出すべく、行動する。
そう考えると、「動作」は「行為」の一部分であり、
それら全部、意思をも統合したものを「行動」と考えるべきなのだろうか?
例えば、今私はベッドに寝ているとする。
尿意をもよおす。
トイレに行こうと思う。
「寝返りして、そこから起き上がり、端座位となって、立ち上がり、
トイレまで歩いて、ドアを開けて入り、ズボンとパンツを下ろして用を足す。
用を足した後は、後しまつをし、今行った逆の手順を踏む。
ほうほう、そう思いながら分析してみると、3つの関係が見えてくる。
一つ一つの動作の練習・促通は、理学療法士の大きな仕事の一つである。
だが、これらをつなげて、一つの「行為」としてみていたか?
と聞かれると、私は途端に自信がなくなってしまうなあ・・・
また、動作を行為にし、さらに行動として昇華させていたかを問われると、
これまた自信がなくなるなあ・・・
そして、「活動」という概念もここで入って来る。
活動:(本来の領域で)そのものにふさわしい、動き(働き)を見せること。
本来の領域って、患者さんからすれば「家での行為・行動」でしょう。きっと。
その本来の領域での行為・行動をみていたか?と聞かれると、
さらに沈没だなあ・・・
そこで、もう一度並べてみる。
一つ一つの「動作」が集まって「行為」となり、
それを患者さん自身の意思でもって行うようにする、すなわち「行動」。
その「行動」を、本来の領域で発揮してもらうことを「活動」。
そう整理はできまいか?
そして、中枢疾患の場合、脳の連絡システムが障害を受ける。
この一連の流れがうまく組み立てられなくなる。
とするなら、リハ室内だけでの動作だけを追っていたのでは、
患者さんの生活にはとてもではないが、フォローできないのではないか?
という疑問が出てくる。
では、病棟でもどうか?といわれれば、病棟・病室のシステム(4人部屋など)が
患者さん本来の領域を想定できているか?
そして、その先の退院後の活動を見据えてアプローチできているか?
さらに、自宅での訪問リハビリテーションを行っている私は、
十分にその方の「活動」を引き出せているか?
うぅ、講義資料を見直しながら、
自分の仕事を見直すことになってしまった(苦笑)
そう考えると 訪問時のリハビリやさまざまなケアが 一連の流れに乗っかっていて 本当に必要な事かどうか 見えてきますね。
看護計画を考える時の思考回路にちょっと似てる感じがして、自分のケアをもう一度振り返ってみようと思いました。
私は「動作・行為・行動」漠然としていましたね。興味深い話です。
私自身少し整理がつきました。
http://wiki.livedoor.jp/pt_onuki/d/adl
拙ブログ、もといwiki「リハペディア」より。
お粗末でした。
今年の講義のなかで、自分で説明しながら、漠然と引っかかったんですよね。この件だけではないんですけども。ここは一度整理しようとこのブログになりました。
わりと気軽に「ADL」とか「生活機能」なんて言葉を使うけれども、それらの要素を抑えきれているか?
N.ベルンシュタインの著書「デクステリティ」にも各レベルの説明があり,参考にしています(当時のソ連邦による労働に関する概念が垣間見えますが).
来年の講義には、この解釈を基にし、説明したと思います。
本の紹介ありがとうございます。
難しそうな本ですね・・・(汗)
調べてみましたところ、ブログ著者の行為と行動の捉え方は逆ではないかということに気づきました(社会学的に。心理学的にはあまり区別しないそうです)。無意識に行うことも行動には含まれ、行為はその人の自由意思で行われるというニュアンスのようです。また、生活の文脈の中で行うADLを作業療法では作業と言い、生活の文脈から切り離されたその行為自体を作業療法では活動と言っています。
大辞林 第三版の解説
こうい【行為】
①
個人がある意志・目的を持って意識的にするおこない。行動。ふるまい。しわざ。所為。
②
〘哲〙 自由な意志に基づいて選択され、実行された身体的動作で道徳的評価の対象となるもの。
③
法律上の効果を発生させる原因となる、人の自発的な意思活動。 「不法-」 〔 (1) ロプシャイト「英華字典」(1866~69年)に act や action の訳語として載る。日本では中村正直訳「西国立志編」(1870~71年)が早い例。 (2) 類義の語に「行動」があるが、「行動」は実際にからだを動かして何かをする意で、個人に限らず集団や動物のふるまいにも用いられる。それに対し、「行為」は個人が意志・目的をもって意識的に何かをする意を表す〕