毎日暑い・熱い・アツイ
さて、最近揺らいでいる。
揺らいでいるのは私ではなく、とある利用者さん(A)さん。
季節・気候によって揺らいでしまうようになった。
どういうことかというと、
最近日によって認知症症状が違うのだ、揺らぐのだ。
ある日は機嫌よく・ある日は不機嫌で、ある日は記憶障害・・・
そういう日々だ。
介護職さんもオロオロしてしまう時がある。
私がAさんと付き合い始めのころ、冗談交じりのコミュニケーションだった。
「先生、今日もよろしくお願いします」
「しかたないですね(笑)じゃあ、やりましょう」ってな調子。
「先生、私のきちゃない足をさわってもらって・・・」
「い~え、Aさんの足が汚いなんて、思ってても言えません(笑)」
「口が裂けたら言います(互いに笑)」
#誰もにこんなコミュニケーションはとりませんよ、もちろん。
#私とAさんだけのコミュニケーションです。
そういうやり取りの毎日だ。
しかし、最近揺らぐ。従ってこの毎日のやり取りが通じない時がある。
どうやら、何のことか冗談が理解できず、じ~っと私の顔を見るのだ。
やっぱり進むのだ、老化は・・・
さて、普段私たちがコミュニケーションといえば、
「言語的」「非言語的」に分類されることが多いだろう。
そう、私たちの脳は、非言語的コミュニケーションを知らず知らずにやっている。
言語的・非言語的とはなかなかいえない、というのが私の意見だ。
今の脳機能は、実は多くの高次的脳機能の上に成り立っている。
視覚機能もしかり、聴機能もしかり、感覚機能しかり、運動機能しかり、
精神機能、意思、心・・・すべてだ。
これらは奇跡のような、
脳の連携、例えば前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉・中脳・脳幹・・・、
それらが互いに連携し、相互に補完しながら「脳」として機能している、
と私は思う。
老化は、そう、脳細胞の劣化としてとるなら、
徐々に脳細胞が劣化・死滅することによって、
これらの連係プレーが崩れるのではないだろうか?
そうなると、互いの連携に余裕がなくなる。
すると、言葉以外の理解が難しくなる。
そうなると、冗談が理解しづらくなる。
ただ、体調によって、それがつながる時がある。
そのときは理解できるのだろうと思う。
何が言いたいかというと(笑)、
いま、普通だと思っている、
「見た」・「聞いた」・「考えた」・「思う」・「動く」「感じる」等の機能は、
じつは薄氷の上にある機能なのだ。
従って、我々の脳機能=普遍的なもの
としてこういう高齢者に接すると、ケアが崩れてしまう。
そう、冗談を認知する余裕はなくなるし、
情報の伝達スピードが遅くなる。
Aさんもそうだ。
「リハビリしましょ」と声かけても、
「あとでします」と返事したあと、5分位して、
「先生、歩くのはまだですか?」なんて言って来られることがある。
これがまさに問題行動としてとられるのだ。
我々がこういうことをやったら「気が変わった」といわれるが、
高齢者は「認知症」「問題行動」。
こういうところの理解を深めたいなあ・・・
なんて思うのでした。
さて、最近揺らいでいる。
揺らいでいるのは私ではなく、とある利用者さん(A)さん。
季節・気候によって揺らいでしまうようになった。
どういうことかというと、
最近日によって認知症症状が違うのだ、揺らぐのだ。
ある日は機嫌よく・ある日は不機嫌で、ある日は記憶障害・・・
そういう日々だ。
介護職さんもオロオロしてしまう時がある。
私がAさんと付き合い始めのころ、冗談交じりのコミュニケーションだった。
「先生、今日もよろしくお願いします」
「しかたないですね(笑)じゃあ、やりましょう」ってな調子。
「先生、私のきちゃない足をさわってもらって・・・」
「い~え、Aさんの足が汚いなんて、思ってても言えません(笑)」
「口が裂けたら言います(互いに笑)」
#誰もにこんなコミュニケーションはとりませんよ、もちろん。
#私とAさんだけのコミュニケーションです。
そういうやり取りの毎日だ。
しかし、最近揺らぐ。従ってこの毎日のやり取りが通じない時がある。
どうやら、何のことか冗談が理解できず、じ~っと私の顔を見るのだ。
やっぱり進むのだ、老化は・・・
さて、普段私たちがコミュニケーションといえば、
「言語的」「非言語的」に分類されることが多いだろう。
そう、私たちの脳は、非言語的コミュニケーションを知らず知らずにやっている。
言語的・非言語的とはなかなかいえない、というのが私の意見だ。
今の脳機能は、実は多くの高次的脳機能の上に成り立っている。
視覚機能もしかり、聴機能もしかり、感覚機能しかり、運動機能しかり、
精神機能、意思、心・・・すべてだ。
これらは奇跡のような、
脳の連携、例えば前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉・中脳・脳幹・・・、
それらが互いに連携し、相互に補完しながら「脳」として機能している、
と私は思う。
老化は、そう、脳細胞の劣化としてとるなら、
徐々に脳細胞が劣化・死滅することによって、
これらの連係プレーが崩れるのではないだろうか?
そうなると、互いの連携に余裕がなくなる。
すると、言葉以外の理解が難しくなる。
そうなると、冗談が理解しづらくなる。
ただ、体調によって、それがつながる時がある。
そのときは理解できるのだろうと思う。
何が言いたいかというと(笑)、
いま、普通だと思っている、
「見た」・「聞いた」・「考えた」・「思う」・「動く」「感じる」等の機能は、
じつは薄氷の上にある機能なのだ。
従って、我々の脳機能=普遍的なもの
としてこういう高齢者に接すると、ケアが崩れてしまう。
そう、冗談を認知する余裕はなくなるし、
情報の伝達スピードが遅くなる。
Aさんもそうだ。
「リハビリしましょ」と声かけても、
「あとでします」と返事したあと、5分位して、
「先生、歩くのはまだですか?」なんて言って来られることがある。
これがまさに問題行動としてとられるのだ。
我々がこういうことをやったら「気が変わった」といわれるが、
高齢者は「認知症」「問題行動」。
こういうところの理解を深めたいなあ・・・
なんて思うのでした。
ひたすら寝ているだけの人や、
わーわーあばれている人もいる。
全部認知症ってくくるんじゃなくて、
どうしてなのか考えるとよいケアができそうです。
# まだできてないので、あくまでも理想ですが。。
とあきらめるのではなく、それがどのように本人に影響して、
どういうアウトプットになっているかを考えましょう。
多くの問題行動といわれるものは、必ず原因があります。
それを追求して、ケアを展開しないと、ね。
時間の流れすら、我々と違います。
それを理解するかどうかで、ケアが変わると思います。
「問題行動」…、記憶できないだけなのに、その行動にはその人なりの理由があるのに…。
物的環境・人的環境をつくってあげれば、おかしなことはしなくてすむのに。
わたしは認知症になるかもしれません、できれば、不可解な行動をしても「問題行動」「徘徊」とは言われない時代に認知症になりたい…。
そうなんですよね、内部障害もそうなんですが、
パッと見た目にわかりにくい。
そこが悲劇の始まりです。
ここから日本の介護もスタートです。
「理解」を深めたいと思います。