写真で綴る想い出

Contar de los recuerdos
del viaje con fotografias

シェーンブルン宮殿(グロリエッテ)

2012年09月28日 | 旅行

そこから再びシェーンブルン宮殿の方に向かったのですが、通りの名をみるとGloriettegasseとあったので、高台に建つグロリエッテに出るだろうと、その道を進みました。グロリエッテのカフェでコーヒーを飲みたかったのですが、怜子が何も飲みたくないと言うので宮殿に向かって降りました。宮殿には既に大勢の観光客がおり、降りて行く途中、日本人の若者二人からシャッターを切って貰えないかと頼まれたのですが、何故、最近はVサインをするのでしょうか。それを見て居た外国人グループからも頼まれ、暫くは写真屋を勤めました。こう言う場合、デジカメは便利ですね。撮った写真を液晶画面で見て、気に入ったかどうか確認出来ますから。写真を依頼する人の傾向は大体、背景に入れたいものの直ぐ前に立つことです。例えば大きな建物の全体を入れると人物は小さくなってしまうのに。何時も、「もっと前にいらっしゃい」と声をかけ、撮った後で、「これで良い?」と聞くと「Great」などの返事が聞かれます。

 

 

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ウィーンの森

2012年09月27日 | 旅行

9月11日の夕食から公式プログラムがスタートします。この日、Welvaart夫妻は昼に、Molenaar夫妻は夕刻に到着すると言うので、朝食後、ヒーツィングの住宅街を歩いて見ることにしました。ホテルを出て、シェーンブルン宮殿沿いの登って行くと墓地があり、そこにクーデンホーフ・光子の墓があると聞いていましたので、行って見る積りで歩きだしました。処が歩きだして暫くすると右手に住宅街には珍しい大きなビルがあるので、何だろうと道を折れて行ってみるとオーストリア最大のTV局でした。その少し先は森になっており、小径がありました。向こうから来た人に、これを行くと何処に出るのか訊ねるとヘルムート達の住むラインツアー通りに出るとのことであったので、森の中を歩いている内に墓のことはすっかり忘れてしまいました。住宅街に隣接した処にこんな森のあるのが羨ましく思いました。将に「ウィーンの森」ですね。犬を散歩させている人、ジョギングをする人と様々ですが、車が通らないのは有難いことです。森の中の小径を降り切った処で出たのが、何とワグナー夫妻の住むアパートの前でした。

Google Mapでチェックしてみるとシェーンブルン宮殿の西側辺りからは緑が濃くなって、ウィーンの西側を森が囲んでいます。東京都を同じ様に調べる、あきるの市、八王子市辺りから西は緑になっていますが、ウィーン並みにするには世田谷区の西側辺りから森と言う事でしょうか。昔は世田谷村だったのですが。

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ウィーンのカフェ

2012年09月26日 | 旅行

カフェ・ハイナーのショーウィンドウです。ハイナーは客で一杯でした。やがてヘルムートとバーバラがやって来ました。ケルントナー通りは工事中で外の席でも飲めないので、一本裏筋にある別のカフェに行きましたが、そこでも工事が行われて居て、結局、二階に上がってコーヒーとケーキを食べました。選んだケーキはTopfenstrudelというカッテジチーズをパイ生地で包んだもので温めて貰いました。ウィーンのコーヒーの種類は沢山ありますが、一番気に入っているのは、ありきたりですが、Braunerという濃いめに入れたコーヒーに少しだけミルクを入れたものです。このブラウナーには小さなカップに入れたものと、大きなカップに入れたものがありますが、それぞれKleiner/Großer Barunerと呼ばれ、何時も怜子はクライナーで、小生がグローサーです。

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モーツアルト像

2012年09月25日 | 旅行

怜子が日本食を食べたいと言うのでケルントナー通りに戻り、少し脇道に入った「天満屋」で昼食をたべたのですが、日本食の国際化も一段と進んだのか、半数以上は欧米人でした。ヘルムート達との待ち合わせ時刻には間があるので、リンクを時計回りに歩いてブルク公園に向かい、モーツアルト像を撮って置きました。ケルントナー通りに戻る途中にSteinway & Sonsの店があり、ピアノは買えないので、前回ロゴ入りのゴルフ帽を買ったのですが、もう一つ買って置こうと歩いていると大型犬を連れた男性と一緒になりました。その男性がSteinwayの閉っている扉を開けて中に入って行くのを「エーツ」と言った感じで見て居ると、彼は振り返ってドアを手で押さえて「どうぞ」とのアクション。続いて入って行くと男性は犬を連れたまま奥の部屋に。事務室にいた女性が出て来て「何か御用?」と訊くので、「昨年、ショーウィンドウにあったゴルフ帽を買ったんだけど、もう無いのですか?」ときくと、「ありますよ」と出して呉れました。価格は10ユーロと同じでした。ヘルムートはSteinwayが嫌いらしく、「何故、そんな帽子を買うのか?」と言うのですが、どうやら、その理由はアメリカの会社だからのようで、彼はベーゼンドルファー派なのでしょう。

 

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フンデルトバッサー・ハウス

2012年09月24日 | 旅行

怜子の注文でもう一度、フンデルトバッサーの建築を見に行くのと、「セメリング鉄道」を撮りに行くのを、どう組合せようかと考えている処にヘルムートから電話があり「今日の予定は?」と訊ねられました。目下、思案中と答えると「それなら14時にケルントナー通りのカフェ・ハイナーで落ち合ってコーヒーを飲もう」と言われ、折角のお誘いなので、セメリング鉄道は諦めました。余談ながら、セメリング鉄道は世界遺産に認定されており、ウィーン南駅からグラーツ行きの列車で80Km程のグロニッツという山間の駅があり、此処から40Kmの区間が「セメリング鉄道」になります。完成したのは1854年で16のトンネルと16の石造りの高架橋があり、一部の高架橋は二重構造になっているので橋の上を走行する赤い列車は絵になるかと思ったのですが。

時間的余裕が出来たので、カールスプラッツ駅で降り、国立歌劇場の周辺を散歩し、少し遠回りしてフンデルトバッサー・ハウスに向かいました。方向は間違っていないとは思ったのですが、歩いていると横手から十数名の若者を引率したガイドらしい女性が来たので確認しようと声を掛けると、感の良い女性で、こちらが訊ねる前に「フンデルトバッサーを探しているのでしょう?」と言われてしまいました。「Yes」と応えると「Come with us. Hey come on!」と如何にも判っている風だったので付いて行きました。一行はドンドン北に向かって行き、どうも違う様な気がして、次の四つ角で一団と別れ東に向いました。我々の選んだ道が正解で、ツー・ブロックほどでフンデルトバッサー・ハウスの前に出ました。北の方を眺めるとガイドを先頭に一団が照れくさそうに戻って来ました。

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皇帝一家専用の駅舎

2012年09月23日 | 旅行

メルクはウィーンの西方約90Kmになりますが、高速道路A1を使って戻る関係で、我々が宿泊しているホテルの直ぐ横を停まることなくダウンタウンのオペラ座前で解散となりました。ホテルに戻るにはカールス・プラッツ駅から地下鉄U4でヒーツィングまでは約20分です。ヒーツィングの一つ手前がシェーンブルン駅ですが、ヒーツィングには皇帝一家専用の豪華な駅舎があり、1899年に著名な建築家オットー・ワグナーに依って建設されました。丁度、原宿にお召し列車のプラットフォームがある(あった?)のと同じです。シェーンブルン宮殿が近いせいか、ヒーツィングには各国の大使公邸があります。写真はヒーツィング駅に跨って建つ皇帝一家専用の駅舎です。

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メルク修道院

2012年09月22日 | 旅行

観光ガイドの宣伝文句ではヴァッハウ渓谷はドナウ川流域で最も美しいと云われ世界遺産にも登録されているとあります。途中には十字軍に参加したイギリスのリチャード獅子王が捕らわれ幽閉されて居たと言うデュルシュタイン城跡があるそうですが、バスは立寄らず通過でした。ツアーの目玉はメルクの修道院でした。独特の形をしていて宮殿の如き建物が周囲を囲んでいる中に教会があります。11世紀にバーベンベルク家のレオポルド一世がベネディクト派の修道院を建立したそうです。また1770年にフランスに嫁ぐ、マリー・アントワネットが旅の途中、この修道院に一泊しているとの説明でした。どの部屋かと訊いたのですが、そこまでは判らないとの答えでした。尚、この地はザルツブルク大司教の領有地で大司教の代官が派遣されていたとの由。

 

 

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ドナウ・クルーズ

2012年09月21日 | 旅行

Wachau渓谷へのツアーは英語かスペイン語のコースを予約しました。集合場所は南駅でしたが、ホテルまで小型バスで迎えに来たので楽でした。南駅は新しい駅舎を建設中で雑然としていました。将来的には此処が中央駅になるようです。バスは2台出るとかで、フランス語、イタリア語、スペイン語を希望する者は直ぐ横に停まっているバスに乗る様に、英語のグループは別のバスが到着するまで待つようにと云われたので、停まっていたバスの最前席に坐りました。出発後、ガイドはフランス語、イタリア語、スペイン語の順番で説明するのですが、どうやら彼はフランス語が得意らしく、明らかにスペイン語の説明が短いのです。怜子に「おかしいな」と言うと「フランス語では自転車でサイクリングする話をしていたけど、スペイン語では全く触れてなかったもの・・」とのことで、これは失敗でした。バス・ツアーは「ドナウ川クルーズ」とあるのに途中のSpitz(11:40発)から乗船し、次のMelk(13:00着)までの最短距離しか船を使いませんでした。これなら勝手に西駅からKremsまで行き、其処で乗船した方が良かったと思いました。不精はするものではありません。ドナウ川の水の色は決して青くなく、濁った水でした。思っていた以上に川の流れは速く、Melkには20分遅れで到着でした。

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ウィーン中央墓地

2012年09月20日 | 旅行

再びバスに乗りグリンツィングで途中下車し、ホイリゲでお昼を食べることにしました。どうやらホイリゲの開くのは夕方からのようで、作曲家ロベルト・シュトルツがお気に入りだったと連れていってもらったラインブレヒトも閉っていました。何処か開いている処がないか探した結果、Zum Martin Seppが開いていたので入りました。室内の他にガーデン席もあるホイリゲでした。昼食を終え、時間が余ったので、この侭、中央墓地まで行ってしまおうとトラムと地下鉄を乗り継いでウィーンの反対側にある中央墓地に行きました。楽聖達の墓地は32A区画にあると調べて置いたので、見当を付けて歩くと、見慣れたモーツアルトを真中にして左にベートーベン、右にシューベルトの墓がありました。シューベルトの墓の右にはヨハン・シュトラウス、ブラームスの墓が並んであり、その裏手にシュトラウス(父)、ヨーゼフ・シュトラウス、ヨーゼフ・ランナー等の墓が並んでました。ウィーンフィルで名コンサートマスターであったウィリー・ボスコフスキイーの墓もあると聞いていたのですが、見つかりませんでした。

 

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カーレンベルクの丘

2012年09月19日 | 旅行

未だLPレコードの頃に、亡きエーリッヒ・クンツが唄ったMei Mutter war a Weanerin (私のママはウィーン生まれ)が好きで何度となく聴いたのですが、その曲に出てくるのがカーレンベルクの丘です。一度は登ってみたいと長年思っていました。歌詞の大意はこうなっていました。「今日も覚えている 昨日のことのように あれは日曜日 お天気の日だった みんなおいで! と母さんが呼んだ 顔と手をお洗い 髪の毛もとかすのよ 今日はみんなを初めて カーレンベルクに連れていってあげよう」 この後、歌詞にはシュテファンドーム、青いドナウの流れ、沢山の家並み、これがあなたのウィーンなのよと続くのですが、高校生の頃からウィーンってどんな処だろうと憧れをもって想像していました。海外の仕事を目指したものの、勤務地は南米とウィーンとは縁のない地でした。それが最後の勤務地であるサンチャゴ(チリ)のゴルフクラブで親しくなったのがオーストリアの外交官でした。「遊びに来いよ」と言われ、初めてウィーンに行ったのが1996年5月の事でした。彼等のアパートに泊まり、案内して貰ったのですが、憧れのドナウ川は「余り治安の良い場所ではないから・・・」と連れて行って貰えませんでした。ハイリゲンシュタットの街中の停留所からバスに乗り、カーレンベルクの丘に向かいました。丘からウィーンの街は霞んで良く見えないし、ドナウ川は青くありませんでした。想像していた丘とは違い、丘の上には教会やホテルまでありました。

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ベートーベン遺書の館

2012年09月18日 | 旅行

「ベートーベンの散歩道」歩いて、その先に行くと丘陵地になっており、ブドウ畑が広がっていました。時間もあるので坂道を登って行きました。道が途絶え、ブドウ畑の畝の処で停まって周囲の写真を撮っていると突然、後ろから声がかかりました。振り返ってみると庭作業をしていた住人でした。誰も観光客など来ない場所ですから「何処から来たのか?」「東京から・・」等々の話をして別れました。Beethoven Haus「遺書の館」は狭い路地にありましたが、国旗で飾られていたので直ぐに判りました。既に「遺書の館」には数名のグループが入っていました。此処でもウィーン・カードの割引が適用されました。奥にある家の入口にはBeethoven Wohnungとの文字があるだけの簡素なものでした。死後発見された遺書やデスマスク、エロイカの表紙(自筆)のファクシミリ、聴力を失ってから使った会話帳等が展示されていました。

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ベートーベンの散歩道

2012年09月17日 | 旅行

時差ぼけで早くに目覚めてしまい6:15amに未だ誰も居ない食堂に行きビュッフェ形式の朝食を摂りました。目覚めに熱いコーヒーが旨い。ホテルでウィーン・カード(72時間有効)を購入し、歩いて5分ほどのヒーツィング駅に行き、改札機にウィーン・カードを挿入し刻印を打ちます。これをしないと不正乗車と見做され有無を言わせず50ユーロの罰金になります。ハイリゲンシュタットは地下鉄U4の終点です。ウィーンのラッシュアワーは何時頃なのでしょうか。8時頃でも地下鉄は坐れました。途中駅でU6に乗換える方法もありましたが、U4でダウンタウンを廻ってハイリゲンシュタットまで行きました。ウィーンの地下鉄は犬に口輪をし、曳き綱をすれば一緒に乗車可能です。グレートデーンの様な大型犬がおとなしく乗っていました。話してみると我が家のメグ同様、シェルターから引き取った犬で一歳半だとのことでした。ハイリゲンシュタットではベートーベンが難聴を苦にして遺書を書いた家が博物館になっていますが、開館が10時なので、それまでの時間をBeethovengang(ベートーベンの散歩道)を歩いて見ようと準備していたGoogle Mapのコピーで見当を付け目印にしていたEroica通りに出ました。付近は高級住宅街で大きな家が建っています。道路標識が完備していたのでBeethovengangは簡単に見つかりました。幅2mほどあるかないかという小川の畔がそうでした。此処でベートーベンは田園交響曲の楽想を得たのかと小径を歩いていると少し広くなった処にベートーベンの胸像があり、Beethoven Ruheとありました。

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2009年9月オーストリアへの旅

2012年09月16日 | 旅行

同じ様な「旅日記」ですが、今日からは2009年にオーストリアに出掛けた時のものです。2005年にはウィーン集合の前にザルツブルクで時差調整をし、2008年にはインスブルックに行きましたが、2009年はウィーンをベースキャンプにして未だ訪れていない処を歩き廻って見ようと計画しました。2009年9月7日に二匹の犬を預け出発しました。出発に先立ってヘルムートには、今回はウィーンで時差調整をするけど、勝手に動くから放って置いて呉れと云ってあったのですが、ホテルに着くと電話をする様にとの伝言があり、結局、ホテルの前にあるレストランOttoで落ち合いました。ウィーンでの行動予定を訊かれたので天気が良い日にWachau渓谷へのツアー、後はハリゲンシュタット、カーレンベルクの丘、中央墓地、それと既に案内して貰っているが怜子がバッサーフンデルトの建築をもう一度見たいと言うので、のんびりとあちこち訪れ時差調整をするから11日までは気にしないでくれと伝えました。

写真はホテルから5分のシェーンブルン宮殿にあるグロリエッテを・・・

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来年は何処で・・・

2012年09月15日 | 旅行

別れるに先だって来年は何処に集まるかが話題になりました。最初の提案がクロアチアで、一度は行って見たいと思ったので賛意を表したのですが、話を詰めて行くと我々が観光したいと思う地域ではありませんでした。その後、南フランス、スペイン、アメリカ(マイアミかサン・ディエゴ)といった候補地があがり、「日本では本当に出来ないか?」との質問がアントンからありました。彼等が観光で日本訪問を希望しているのは承知していましたが、ゴルフとの組合せを条件にすると相当難しいのです。ゴルフだけなら、例えば宮崎フェニックスとシェラトン・ホテルを組合せれば、成田或いは関空から国内線で宮崎空港まで飛んで貰うことで済む話です。然し、京都や東京との観光を組み合わせると簡単ではありません。それに8人が乗れるレンタカーの確保等々もあります。「観光案内はするから個別に来いよ」と言う事で、その後、ヴェルファールト夫妻が香港まで行く予定があるので、そこから廻ると云って来たのですが、3.11で立ち消えになった侭です。この時は2009年ももう一度オーストリアに集まろうと言う事でお開きでした。 写真は開幕前のムジークフェラインの様子。

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ハム工場にて

2012年09月14日 | 旅行

この日はゴルフ場で昼食を食べずに、ハム工場とチョコレート工場の見学に出掛けました。Vulcanoと言うハム工場に着いてみると3日前に漏電で火事になったとかで、事務所、試食場などは仮の建屋でした。幸い飼育していた豚には被害は無かった由。この工場では餌に注意し、脂身の少ない豚を育てているとかで、中々美味しい生ハムでした。「スペインのイベリコ豚やハモン・セラーノと比べてどうか?」と訊ねると「未だ会社創業から10年で量的に限られており、世界に向けて出す余裕がないが、品質には自信がある」との答えが返って来ました。特に飼料を穀物に限定し、全く燻製処理をしないで、吊るして乾燥熟成させている点が違うとの説明でした。ワインを2本と散々ハムやサラミ、パンを食べ昼食に代えたのですが、実はその日のゴルフで後半メタメタになった際にTRAGO=Drink Shotをしてしまったので代金は全部払いました。この日、アウトは41で廻り、インも13番までは2オーバーでしたが、14番でティーショットを左に引っ掛け、アンプレーヤブル、それからおかしくなりました。ドリンク・ショットとは男性のティーショットがレディース・ティまで届かないと言う面目ないショットをすると全員に19番ホールで酒を一杯奢らねばならないとする南米の習慣です。

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