その日は中禅寺湖畔にあるホテルに泊まる予定だったので、いろは坂を登って行きました。天気が良ければ「明智平」に立ち寄るのですが、何も見えないのは判っていたので、何処に行こうか思案した結果、数ヵ月前に若い女性に勧められた「立木観音」に行ってみることにしました。
本堂には、日光山開山の祖と言われる勝道上人が刻んだと言われる「十一面観音菩薩像」が安置されていますが、写真撮影は禁止でしたので、興味のある方はHPをご覧下さい。説明によると観音像の胴体部分は根が付いた侭の立木を彫ったことから「立木観音」と呼ばれているそうで、以前は別の場所にあったが明治35年の大山津波で壊滅的被害を受けたが、この観音像だけが奇跡的に無傷で湖上に浮かび、現在の歌ヶ浜に観音堂を造り祀られている由。「化け地蔵」でも明治35年の大山津波で流されたと聞きましたが、相当な自然災害であったようですね。只、この説明で疑問に思ったのは、「元あった場所から流された」との説明でした。元あった場所で「根が付いた侭、彫った」のが、根付きの侭、流され現在の場所で根付きの侭、移植(?)したと言うのでしょうか?
http://rinnoji.or.jp/precincts/cyuuzenji