写真で綴る想い出

Contar de los recuerdos
del viaje con fotografias

海外体験(2)

2014年03月22日 | 海外体験

中学生の頃、ペルーに住んでいた事のある社会科の教師が、何かと言うと「ペルーは良い処だ」と話すので、たちまち「ペルー」と言う渾名がつけられましたが、その頃、ペルーは小生には遠い存在で、後に住むことになるとは思っても居ませんでした。

高校、大学と進んでも南米は頭の片隅にもなかったのですが、入社して最初に配属された部署でペルー向けの自動車輸出を担当させられました。入社二年目でしたか、ペルー側の輸入代理店の社長夫妻が来日し、週末のアテンドを命じられ、東京を案内した際に夫人から「ペルーは良い処だから是非、いらっしゃい」と言われた時に、何年か振りに中学時代の教師の言が頭に浮かびました。然し、社交辞令も知らないガサツ者でしたから、「ペルーに行くつもりはありません」と大変失礼な返事をしてしまいました。

当時の写真は殆ど手元にないので、インターネットなどからの借用する形になります。先ず、Google Mapのリマ市の地図をご覧下さい。ピサロがインカ帝国を征服した後、何故、リマを首都として構えたかですが、昔、読んだ本に二つの説が紹介されていました。一つは、ピサロは海に開けた処を首都として選んだと言う説(地図の左側にあるのがカヤオ港です)と、もう一つはスペイン軍に復讐する為に、インディオが不健康地であるリマ地区を勧め、スペイン人が健康を害して出て行くことを期待したという説でした。南半球ですから、夏と冬が日本とは逆になりますが、リマ地区では4月後半から11月半ばまでの約半年間、雲が上空、200mほどの高さに厚く垂れ込め太陽が顔を見せる事はありません。冬季、リマ空港に着陸するのは本当に怖く、窓の外を見ていても何も見えず、突然、接地します。それが為、出張しないと言う職制もいました。(若手社員を出張させる癖に・・・)尚、不健康地という点に就いては外務省のHPにも記述があります。

更に湿度がほぼ100%というのですから、本当に陰鬱な時期です。子供のいる駐在員は週末になるとアンデス山脈に向かって車を走らせます。高度を稼ぎ、雲の上に出るとそこは燦々と太陽が輝いているのです。

さて地図に戻りますが、印の付いたサン・イシドロ地区に我々が住んでいたアパートがあります。その左側にLGと記したのがLima Country Clubで日本大使しか入会が認められなかったゴルフ・クラブです。空港は左上の滑走路でお判り願えましょう。空港から約5Km東に走ったN印の処にペルー日産(Nissan Motor del Peru S.A.)がありました。

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