goo blog サービス終了のお知らせ 

みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

夏バテなのか疲れなのか

2011-07-13 12:12:10 | レオン
夏バテなのか、ただの疲れなのか、よく分からないダルさに襲われています(T_T)


7月7日、母の誕生日も過ぎました。

母の誕生石、ルビー。

叔母の知り合いの宝石屋さんに行く機会があり、

普段全く宝石に興味のない私ですが、

今回だけは ルビーの赤に惹かれ、ネックレスを買いました。

母の誕生石のルビー、生きていれば今年還暦だったので、赤い何かを贈ろうと思っていました。

母がつけず、私が身に付けることになるとは。

母も宝石にあまり興味のない人だったので、母が使っていた物をお守りに

と思っていても なかなか身に付けられる物がありませんでした。

これからは、このネックレスを付ける度に 母を思い出せそうです。

なーんてことを書きながらも、母を忘れること、まだまだないんですけどね。



暑い夏。皆様も体調を崩しませんように。

upしていない間も、このブログをのぞきに来てくださってありがとうございます♪

なんとかやってます(o^-^o)

6月29日・今の自分

2011-06-30 06:04:16 | レオン
今日は、すごーくネガティブな記事になる予感がします。

気分が引きずられちゃうような方は、読まないでくださいね。

こんな記事まで書いちゃってごめんなさい。

今の私、書くことで吐き出させてもらってますm(__)m







先日、叔母のご近所さんを心配する記事を書きました。

本当に心配。

でも、正直言うと、今は自分のことでいっぱいいっぱいみたい。

話を聞いてあげる。泣かせてあげる。抱きしめてあげる。

これ、自分がしてもらいたいことかもしれません。


誰かに何かしてあげたい気持ちはいっぱいあるのに。

私も誰かに、何かをしてもらいたいし、そして一人放っておいてもらいたいこともある。


先週の土曜日に、叔母二人、従姉妹二人、その子供三人、祖母、兄、私で、外でランチをし、

その後我が家に場所を移して、みんなでワイワイ過ごした。

3歳、1歳、0歳の子供たち。

とっても無邪気で、一緒にいるだけで癒され、元気をもらった。

特に3歳の子は女の子で、何度も会ったこともあり、有難いことに私に懐いてくれている。

本当に可愛くって、走ってきて、私に飛び込んでくる。


私のことを心配してくれる大人。

何も知らず、無邪気に接してくる子供。


今の私には、どちらもパワーになる。


3か月半、母の看病をさせてもらい、看取った。

その後2か月半、家族の世話をしてきた。

私も家族も、皆、母を失った悲しみや辛さは同じ。

でもこの半年、私は忙しさに押されてしまい、不安や悲しみを癒す時間がなかった。

今は、一人になって、悲しみと向き合う余裕もない。

“私だけが!”なんてことは思わないけど、少しのんびりしたくなった。

普通の状況じゃないのに、あまりにも走りすぎたから、“もうダメだー”って限界がそこに見えてきた。

イライラしたり、落ち込んだり、最近また泣けてくることもしばしば。

このまま過ごしても、もしかしたら普通に過ごせるのかもしれないけど、

家族に優しく出来る度合いが低くなってしまうかもしれない。



最近の私の感情。

四十九日までの緊張感?は無くなったように思う。

あの時と今は、また少し違う。

言葉にするのは難しいけど。

悲しみじゃない。寂しさじゃない。焦りじゃない。

ただ、辛い。

何が?って、自分でもよく分からないんだけど、今を乗り越えなきゃ!前に進まなきゃ!って思うと、

しんどくて辛くなる。


2日ほど前、友達から手紙が届いた。

すごく優しくて温かい手紙。

“心に栄養をあげて。ゆっくーりゆっくーり”って書いてあった。

心に栄養。

体の栄養は、家族にも食べさせなきゃ!って頑張って料理してきたから大丈夫!

でも心の栄養は摂れていないかも。

どうやったらいいのかな?

のんびり過ごす?

忙しく過ごす?

私は少しの間だけ、のんびりと過ごしたい。

もちろん、経済的なことは切り離せないから そう長くはのんびりできないけど(^_^;)

のんびり過ごしたら、またしっかりと前を向けるようになるかな?

家族と離れることで、家族に甘えます。

一人にならせてもらいます。

自分の時間を持たせてもらいます。

ただの私のワガママだけど、今の私には必要なことかもしれない。

家族と離れられないでいる人もいるわけだから、申し訳ないけど。

今の私は頑張れないので。

家族を放っておくことに、申し訳なさがないわけじゃないけど。




あと、母が前に言っていた“死ぬことがそう怖くない”ってことが少し分かるようになりました。

決して死にたいわけじゃないですよ。

大丈夫です。

でも、今の世界とアチラの世界の境界線がなくなりました。

今までは、死は未知のもので怖いもの。

この世とは全く違う、上の世界 だと思っていました。

でも今は、この世界の続きがアチラの世界で、しかもアチラには大好きな母が待ってくれています。

だから、私もそう怖くは思わない。

もし自分が大きい病気になってしまったら、やっぱり死ぬのは怖いなぁって思うのかもしれないけど(笑)、

でももしかしたら、母のように、ある意味受け入れてしまうかもしれません。

これも私の人生だ と。

だから、それまでは悔いのないように生きなきゃいけません。

決して!!!!!マークみたいに、気負って、頑張るぞ!!!!ではなく、

サラリと “悔いなく生きたいね” って。



これが今の私です。

今の自分の記録として。

書いてみると、あっち行ったり こっち行ったりの文章でした。

これが今の私の気持ちなんでしょうね。

あっちいったり こっちいったり。

ゆっくーりゆっくーり、前に進んでいけるといいなあ。

癌という病気

2011-06-24 22:59:56 | レオン
母が乳癌になり、周囲に話したとき、思っていた以上に 癌にり患している方が多いことに驚いた。

そして今回、また癌の話を聞いた。

叔母が近所で仲良くしている方のご主人。

甲状腺癌の未分化癌という、見つかった時点で、極めて余後の悪い癌。

調べてみると、見つかった方の約9割が、半年~1年の間に亡くなってしまうという。

この家のおばちゃんのことは私も知っている。

去年の春、退院した母が、病院から近い叔母の家の離れで過ごさせてもらっていた時、仲良くしていただいた方だ。

ほんの一ヶ月くらいだったけど、凄く気さくで明るく、元気なおばちゃん。

そのおばちゃんが、今、ご主人の癌で悩んでいる。

娘さんもいるけれど、遠くに嫁いでいて 今は二人暮らし。

母のことも心配してくださっていて、ちょうど母が亡くなった頃にご主人の癌が分かった。

その時点で、肺や胃にも転移あり。

手術で開いてみたけれど、手がつけられず そのまま閉じたそう。

先日、二日間高熱が出た。白血球も1000ほど。

来週、本当は抗がん剤予定なのだけど、今の状態で出来るのか?

あとどのくらい一緒に過ごせるのか?おばちゃんも 知りたいような知りたくないような という状況らしい。

見つかってから二ヶ月。

私もおばちゃんに会いに行きたいけど、なんて声をかければいいか、本当に悩む。

癌の怖さを知っただけに、軽々しく言えない。

きっと大丈夫 とか。あれこれ試してみて、もしかしたら何かが合うかも とか。


私の場合、母の状況をネットや本での情報と照らし合わせていたから、

悲しかったけど、ある程度は分かっていた。

乳癌の知識を得ることで、気持ちの準備の下地を作っていたつもりだったけど、

最後の最後、主治医から話を聞くと また不安になった。

パソコンで調べることも出来ないおばちゃん。

希望が見えにくいタイプの癌なだけに、私がこの癌の一般的な情報を教えてあげるわけにもいかない。



話を聞いてあげるだけでもいいなら、会いに行って聞いてあげたい。

私がしてほしかったこと。

話を聞いてもらう。泣かせてもらう。抱きしめてもらう。

これで少しでもおばちゃんの気持ちが軽くなるなら、私がしてあげたい。

でも、ほとんどの時間はご主人と一緒にいるおばちゃん。なかなかゆっくり話すことも難しいだろうな。

かつての私がそうだったから よく分かる。


癌とは本当に怖い病気で、病院でも 母より先に亡くなっていく方を何人も見てきた。

今はおばちゃんとご主人に、少しでも穏やかな時間が流れることを、ただただ祈ることしかできない。

寛げる場所

2011-06-21 06:02:57 | レオン
昨日の朝、父が 祖母に向かって大きな声を出していた。

畑のことで。

祖母が作った玉ねぎ。

前日、祖母は全部収穫して、それを乾かす為に畑の一角に広げてきた。

しかし、天気予報を見ると、雨が降りそうだから取ってきたい。

車で連れて行ってくれ と父に言ったらしい。

家が新しくなり、畑に行くには、車じゃないと行けない距離になった。

父は、なんで こんな梅雨時に外に出してきたんだ!と怒っている。

祖母は、2日くらいは雨が降らないんじゃないかと思った と言っている。

朝、父と話したとき 午後から祖母を連れて行くと言っていたのに、

祖母に話す時は怒鳴り声を出し、祖母を責めている。

私は 怒鳴り声、責めるような大声が大嫌いだ。

子供の頃に聞いた 父のその大きな声、その時の顔を、今でも忘れられずにいる。

怒鳴る方は ストレス発散にもなるんだろうけど、それを聞く方は、パワーをもっていかれ、本当にしんどくなる。

そんなわけで、朝から一気に疲れてしまった。

生前母は“あの二人の大きな声の会話は、聞き流さなきゃ”なんて言っていたけど、

母も相当ストレスになっていたんじゃないかと思う。

家族と言えど、やはり皆が皆、いつも優しくできるわけではない。

でも、この家族を支え、うまく動かしていたのが母だったんだなぁ としみじみ考えてしまった。

結局、午後から 私の運転で祖母と父を乗せて畑に行ってきた。




家というのは“寛げる場所”であってほしい。

でも、今の私にとっては“頑張らなきゃいけない場所”になっている。

いろんな心の整理がつかないまま今日まで来たからかな。

母はずーっと頑張ってくれていたんだろうな。

今の私が“家族が寛げる場所”を作り続けることは 正直しんどい。

本当に一度、ゆっくり休みたくなってしまった。





こんなことがあった夜、大学時代の友達から電話が来た。

彼女からメールをもらっていたのだけど、返せずにいた。

“大丈夫?あなたのことを本当に心配しているからね。

あなたはいつも 大丈夫 って言うから。だからこそ心配。

お母さんが亡くなっちゃったし、これから誰に聞いてもらうのかな?って 本当に心配してるんだから。

だからいつでもSOSを出して”

心から心配している ということが伝わってくる、優しい言葉だった。


今日は友達の優しさに癒された。ありがとう。

6月19日

2011-06-20 06:30:05 | レオン
父の日。

前日に、兄に付き合ってもらい、兄と私からということで

父に半袖のシャツを買ってきた。

朝 渡したら“こんな高い物を”と言いながら 目を赤くしていた。

これまでは、毎年 デパートでポロシャツを買って送っていた。

去年母は“お父さん、あんまり良いものは買わないから、年に一度くらいは買ってあげて”と言っていた。

父に喜んでもらえて良かった。



祖父(母の父親)には、靴下をプレゼントし、一緒にご飯を食べに行った。

毎年父の日に母は、祖父とご飯を食べていたそうだ。

今年も同じことが出来て良かった。

祖父はと言うと、やはり母の話をすると涙ぐんでしまう。

娘を想う気持ちは、私が母を想うものとはまた違い、もっと深いのかもしれない。





四十九日の前日、叔母(母の姉)が泣きながら私たちに言った。

“妹がこんな早く逝ってしまってごめんね。みんなに寂しい思いをさせて。迷惑かけて。本当にごめんなさい。

私に出来ることがあれば、遠慮なく何でも言ってね。一回、ちゃんと話さなきゃ と思ってたんだ。”と。

母が早く亡くなったのは叔母のせいではない。

でも、それぞれに 母への想いがある。

叔母が私たち家族のことを心配し、想ってくれていることを有難いなあと思った。



叔母はまた 私と二人のとき、こうも言ってくれた。

“みーちゃん、家のことも心配やろうけど、まだ若いんだから したいこともあるだろうし、

思うようにしたらいいよ。近所にね、お母さんが亡くなって戻ってきた人がいるんだけど可哀想や。

○○(母の名)もね、その人のことを「あの子可哀想なんや」 って言ってたんだよ”と。




来月、名古屋に戻ろうと思う。

一人になると どれくらい寂しいのか想像ができないし、少し怖くもあるけど。

私も少しずつ 普通の生活に慣れていきたい。

前とは状況が変わりすぎるけど。

母が見てくれている と思って。

6月17日

2011-06-18 17:06:53 | レオン
母が亡くなってから二ヶ月が経ちました。

先月の月命日のときは、“あぁ、もう一ヶ月経ったんだなぁ。早いな。”と父と言っていました。

そして昨日もまた“もう二ヶ月経ったんだ。早いなぁ”と。

毎日が本当にあっと言う間で、時間なんて 直ぐに過ぎていきます。

お寺さんの都合で、今月のお参りは前日、16日に終わっていたので、

月命日の昨日は 父と二人でお墓にお参りに行ってきました。

お墓に着くと、綺麗な花が供えてありました。

しかも、お墓に付いている花立てにではなく、わざわざ重い花瓶を持って来て、そこに供えてくれてある。

四十九日の時にも書いたけれど、我が家のお墓は坂をあがってあがってあがった くらいの場所にあります。

こんな所まで、重い花瓶を運んできてくれる人は…と、思い当たる人は二人。

納棺の前に、一度外に出た母の親友か、母が“何でも○○ちゃんに聞いたら間違いないから”と、絶大な信頼を寄せていた親友。

家に帰ると、母の携帯にメールが入っていて、結局、同じ敷地にお墓がある後者の方だったんですが、

“みーちゃん達もお花を持って来るかな?と思ったから、花瓶を持って行ったんだ。”という気遣いっぷり。

さすがおばちゃん!母が頼るわけだ。


昨日は梅雨に入ったところだというのに、晴天で お墓から見える海の景色は最高でした。

お墓はちょうど 母の実家を見下ろすような場所にあります。

きっとそこから祖父が食べ過ぎないように見守ってるんだろうなと思います。

昨日 久しぶりに母に会ったような気がしました。

自分でも苦笑いしちゃうんですけど、今でも時々“あっ、お母さんに教えてあげなきゃ!”って当たり前のように思うことがあって、

あぁ、いないんだった って現実に引き戻されます。

そこに母がいなくなったからといって、突然全ての存在が消え去るわけでもなく、

私の中には まだしっかりと母がいる。

嬉しいような、でも触れることができないからこそ 淋しいような。

二ヶ月。

こうして 母のいない時間を重ねていくんですね。


はっきり言って、まだまだ寂しさいっぱいで、母のことを話すと泣いちゃうけど、少しずつ、元気出さなきゃ。

でも、まだまだ元気への道のりは遠そうです。

6月12日( 日)

2011-06-16 06:02:34 | レオン
この前の日曜日は家族皆が出掛け、私一人で留守番をしていた。

久しぶりに一人になると、ドカッといろんな疲れやら寂しさやらが出てきた。

この五ヶ月半、休む暇なくここまできた。

体はなんとかなっても、なかなか心は追い付かず。

母がいないことも、受け入れているのか、夢の中の出来事なのか、未だ分からないような感じ。

今でも寂しくなると、仏壇の前に座り、母に話しかけたり泣いたりしてしまう。

線香をあげると、不思議と気持ちが落ち着き、ポロポロと涙が出たりする。

日曜日は、いつも以上に不安でいっぱいいっぱいになっていた。

そんな私を母が見守ってくれているのだろうか。

叔母が、仏壇にお参りしたいし、私の顔も見たいから と言って家に来てくれた。

コーヒーを飲みながら 入院中の母の話をした。もっと長く看病してあげたかったね。

もう少し何でも相談してくれてたら良かったのにね。

初発でリンパにいってると聞いたとき、もしかしたら この子、長く生きられないんじゃないかと思ったんだよ。

そんな話を叔母はした。

その叔母を見送ろうと外に出た時、今度は別の叔母の車が見えた。

こんなにタイミング良く“どうしてるかな?と思って”と 顔を見に来てくれた。

そして叔母がいる間に、何人かの友達から、そして従姉妹からも“どうしてる?”とメールが来た。

なんだか不思議な1日だった。



やっぱりどこかで こっそりと母が見守ってくれているのかもしれない。

私を支えようとしてくれているのかもしれない。

姿は見えないけど。




私も普段は大丈夫。家族の前だと。

今は私が母のポジションで頑張っているから。

何があろうと、精神的にクタクタだろうと、ご飯は作るし、普通に振る舞う。

でも改めて、母は大変だったろうなと思った。

仲が良いとは言えない父と祖母の間に入るのは、正直、本当に大変だ。

実際、一日に一度は衝突している。

お互い、思い合ってないわけではない。でも衝突する。

私もそろそろ疲れてきた。

ゆっくりできる所で、少しの間だけでも のんびりと過ごしたい。

何も考えずに。

お母さんは、今ゆっくり休めているかな?

本当にお母さん、大変だったね。

お母さんがいなくなって、改めて、あなたの存在の大きさを感じているよ。

四十九日まで

2011-06-10 06:41:20 | レオン
母が亡くなってから今日まで、あっという間でした。

4月17日に亡くなり、

23日が初七日
30日が二 七日

この日は4組のご夫婦が、お寺さんのお参りの時間に合わせて来てくださった。

お参りの後、皆で仕出のご飯を食べた。

私の誕生日だったこの日、母がいないことを 本当に残念に思った。

母が亡くなってからは本当にあっという間で、

毎朝 グラスと花の水をかえ、線香をあげ お参りをし、家事に追われていた。

母が好きだった花は絶やさないように。

来た人皆が、“祭壇の回りが花でいっぱいで、寂しさを感じないね。普通は寂しいものなのに”と言っていた。

それくらいしか、もう母にしてあげられることがなかった。

5月

7日は三 七日
14日は四 七日
21日は五 七日
28日は六 七日


6月

4日が 七七日で四十九日


七日毎にお寺さんのお参りがある。母がいないということを思い知る日でもあった。

毎回泣いてしまう。

母を思いながら、必ず朝は霊膳を作る。

お母さん、お肉も食べたいよねぇ と言いながら精進料理を作る。

おけそく、果物、お菓子を用意し、もちろんお花も綺麗にする。

生きていたら、もっともっと いろいろしてあげられたのに。


毎回必ず誰かがお参りに来てくれた。



母の日の前には“これ、みーちゃんに。みーちゃんの好きなように使って”と言って、

ずっしりと重い、カーネーションの切り花をたくさん持ってきてくださった方もいた。



四十九日の法事は5月29日の日曜日、台風が近づいていて生憎のお天気の日に行われた。

ご近所さんを含め、40数人の方に来ていただいた。

家でお経をあげてもらった。

お墓に入ると寂しくなる と言う方もいれば、

逝くべき場所に納まったかと思うとホッとしたと言う方もいた。

でも私は寂しくなる方だった。

母に対するお経だと思うと、七日毎に泣いていた。

四十九日は、お骨もなくなってしまうという寂しさもあり、涙やら鼻水やら、お経の間中泣き続けた。

お参りが終わり、家族、親戚、母の親友と共にお墓に向かった。

私は骨壷を抱え、車に乗り込んだ。

台風の風と降り始めた雨。お墓は坂をずーっと登った所にある。

しかも、階段はなく上り坂。雨で滑りそう。

父に“晴れ女だったお母さんが、嫌がってるから台風が来たんだよ、別の日にしよう”と提案するも、

お墓まで来たから という理由で 納骨を済ませることになった。

皆、カッパを着て 傘をさし、長靴やらスニーカーに履き替える。

何も こんな日にしなくても、と思ったけど 父が決めたから仕方ない。

変な話だけど、これも思い出か と思った。

お墓に着くと、別にしてあったお骨も骨壷に納めた。

本来は京都の総本山に持って行く分骨。

でも、小さいとはいえ全国から集まるわけで、数が増えると、将来、母のお骨はどうなるんだろう?

寂しくなるような噂話を聞いたりもすると、せっかく残った母の歯なのだから、

全部を家のお墓に入れよう ということになった。

最近では、そういう方も増えているそうだ。

骨壷をお墓に納める。

お経をあげてもらい、お参りをする。

本当にこれでお別れ。骨壷に入った母を抱くことすらできなくなった。

また泣いてしまった。もうしてあげることがなくなっちゃったよ と言うと、

母の親友が 私の肩を抱いてくれた。


納骨が終わり、皆で食事。

病気になる前に、温泉好きだった母が 毎週のように日帰り入浴に行っていたホテル。

地元のホテルだけに、女将さんも知った方。

“大変でしたね”と 声をかけてくれた。

食事の間、飲み物を持ち、皆に挨拶に回る。

みんな“大変だったね。寂しくなったね。困ったことがあれば、いつでも言うんだよ”と言ってくださった。

精進落としの料理で、入院中、母が食べたがっていた少し高めの牛肉も出ていて、また母を思い出した。

この日から家でも精進を落とすことにした。

食べ終わり、しばらく経つと、順番に皆が帰って行く。

今回、本当に皆が助けてくれた。ありがとう ありがとう、と何度も言って見送った。



帰りに、伯母や従姉妹が家に寄っていってくれた。

1歳を過ぎの従姉妹の子供と遊んだ。

子供はパワーをくれる。

寂しくなったこの日、最後に子供から、たくさんのパワーと癒しをもらった。




四十九日を終え、人は3回もお別れをしなきゃいけないんだなぁ と思った。

亡くなるときの別れ。

火葬場での別れ。

納骨の時の別れ。

この全ての別れが終わり、もうこれ以上、母と別れなくてもいいんだな と思うとホッとした。




今現在の私。

色々なことがありすぎて、心の中身が何もない。そんな状態です。

凄く明るく、テンション高く振る舞える時もある。

でもやっぱり、それは普段の私ではなかったりします。

いっぱい無理してるときもあれば、ただただ寝ていたい、そんなグダグダなときもあります。

母が見ているから と思っても 頑張れない時もある。

こんな時、人はどうやって“普通の自分”を取り戻していくんでしょうね。

色々な方がアドバイスをくださるけど、まだ強い気持ちは持てず。

決断したとはいえ、辛いものは辛いし、悲しいものは悲しい。

まだまだ いろんなことに向き合えないでいます。


今も私はたくさんの方に支えてもらっています。

本当に本当にありがとう。

勇気を出した一歩のその次が、まだ出せないでいます。

まだまだ時間が必要みたいです。



支えてくれる たくさんの人に感謝を込めて。

ありがとう。

乳酸菌

2011-06-07 15:57:27 | レオン
環境にもよりますが、一週間から10日あれば出来ます。
出来た物は兎に角酸っぱく、シュワシュワします。

乳酸菌は地上では一杯ありますので、何でも出来ますが、
僕の実験結果では緑茶が一番出来が速く、失敗が少ないと思います。
レオンには乳酸菌と豆乳を混ぜた豆乳ヨーグルトをあげたら、
口臭も無くなりました。(笑)

見てる人は必ず作り飲食用として使って下さい

わからない事があれば直接教えます。
masa-leon@i.softbank.jp

放射能が降り続く日本を必ず生き抜きましょう。
皆様また会えるその日まで!

アディオス!

今までありがとうございます。

2011-06-07 15:27:30 | レオン
本日を持ちまして、まーくんとみーちゃんは別の道を歩く事になりました。
このブログをご覧になり、実際に会って頂い方々、応援して頂いた方々、
本当にありがとうございました
お祭りの金魚すくいから、始まったブログです。
今はみーちゃんの亡き母の闘病ブログです。

僕には生涯思い出に残るブログです。
アポロパパさんと会い、イタリアのビヤさんと物々交換、
ワンママさん。レオメロママさん、パパさん
実際に会いネットワークで知り合う人の暖かさに触れ
基本的に人間不信な僕には色々と衝撃でした。
本当にありがとうございます。

最後にまーくんからのお願いがあります。
今、日本は福島原発事故により、チェルノブイリ事故を越える事態になっています。
勿論、テレビで放映される訳がありませんが
かなり危険です。

放射能に対しての対応策として、
体外排出するのに乳酸菌が効く事がわかっています。
簡単な乳酸菌の作り方
放射能除去水、(竹炭や熱帯魚など濾過水)
売っている、天然水も可能です。
緑茶2Lに対して10g
黒糖2Lに対して60g
天然塩2Lに対して20g

僕は20Lポリタンクで60L作り知人に渡しています。