青田宏(40)は、近くのプール通いが日課になっていた。別に何の目的がある筈もない。只々そこで時間を潰す事だけが唯一の生きがいだった。
プールで泳ぐ訳でもなく、ただひたすら延々とプールを眺めてるだけの毎日だった。
青田は会社の金を横領していた。約1年分の給与に相当する会社のお金を、バーの女に注ぎ込んでたのだ。
会社側は、横領したお金を全額支払えば、全ては水に流すと言ってくれた。勿論、最初はお金を精算し、会社に復帰するつもりだった。
しかし、男は人生においてもケジメをつけたかった。全てにおいてケジメをつけたかった。バーの女は大して若くもなく美人でもなかったが、女の包み込む様な荒々しい抱擁感が、男の全てを支配していた。
フェーズ1
青田は10年前、K大の元ミスコンと結婚した。誰もが羨むような恋愛だった。妻は美人で性格も良かった。子供にも恵まれ、周囲から見れば、理想的な家庭である。
会社内でも出世は抜群に早かった。僅か5年で課長補佐に抜擢された。当然、女にもモてた。
男は肉厚系がタイプだった。社員旅行でドイツへ行った時、初めて女を買った。その時の娼婦がクレオール風の中年女だった。
けして美人ではなかった。地中海育ちの色黒女だったが、その豊満な野性味溢れる肉体は、男の全てを変えた。
それから、男は女を買い漁る様になった。会社内の女性社員に手を付け始めた。地味なデブ系の女に狙いをつけた。故に、噂になっても誰も疑わなかった。
長身で阿部寛似のイケメンの優男は、何をしても許された。大半の女は男を受け入れた。男はますます調子に乗った。
当然、黒い噂も流れるようになる。男は夜の繁華街へと主戦場を変えた。毎晩の様に、クラブやスナックに通い続けた。すぐに財布は底をついた。
若い魅惑的なホステスも悪くはなかったが、男がのめり込んだのは、全財産を奪われ旦那にも逃げられた、シングルマザー風の寂れた中年女だった。
名前は仁美と言った。
最初に惚れたのは、仁美(32)の方だった。目の前の男が選ばれしエリートに見えた。
一方青田は、女の奇怪な苦労話に耳を傾ける内、自分とは全くの別世界を生きてる人種がいる事を思い知った。
フェーズ2
仁美は物心つく前に、両親に捨てられた。食べるものは勿論無い。トカゲや蛇を食って凌いだ事もある。ある時は野良猫を絞め殺し、生のまま食い漁った。
飢えで道端に寝込んでると、運良く養護施設に入れら、命だけは救われる。施設では、野趣溢れるハングリー精神とその純朴な気質で、すぐに頭角を現した。
ヘビや野良猫を捕まえてきては、器用にさばき、上手に料理した。蛇は鶏みたいで猫は鴨肉のような食感があり、施設の連中には好評だった。
お陰で、動物性タンパク質に事足りる事はなかった。牛肉は高価だったし、貧しい小規模な施設では週イチの贅沢だったが、ヘビや猫は毎日食えた。決して贅沢とは言えないが、常のお腹の中は満たされてはいた。
牛乳もよく呑んだ。酪農農家の主人がいて、生フェラの奉仕をすると、ただでチーズやミルクがもらえた。
仁美はすくすくと育った。まるで何不自由ないほどに育った。15歳の時にはヒップも胸囲も100センチを超えた。浅黒肌のラテン風のグラマラスなボディには、すれ違った野郎たちは誰もがみな熱い視線を送る。
やがて、施設の主人や地元の政治家とも関係を持つようになる。16で施設を出ると、近くのバーに勤めるようになった。
若き躍動する豊穣なる肉体は、田舎の世間知らずの親父連中を尽く魅了する。
相手はバカだから、貢がせるに苦労はしなかった。甘えてれば、いくらでも貢いでくれる。
彼女よりも美人でスタイルがいいホステスはいくらでもいた。しかし、彼女は常にNo.1であり続けた。欲望は嘘をつかないのだ。
フェーズ3
女は勢いづき、色気付き、”今が絶好のタイミングだわ。私は上京する”と言い出した。銀座でもNo.1を張れる自信はあった。しかし、都会と現実は色黒とブスと無学には厳しかった。若さと勢いだけではどうにもならないものが、ハッキリと露呈する。やがて、20を迎える頃には自らの限界を悟り、何度か夜逃げも考えた。
銀座とはいっても、何とか三流の店に拾ってもらったのはいいが、気が付けば、20代中盤に近づき、自慢の肉体に劣化が目立つようになった。自慢の巨乳は垂れ下がり、お腹は三段バラに、目尻には深く奇怪なシワが目立つようになっていく。
不規則な生活と無理なダイエットがたたり、益々老いを加速した。
突然、仁美は”バーをやめる”と言った。一方、青田は”オレがお前の面倒を見る”と言い放つ。
”生活資金はどうするのよ?奥さんも子供もいて、そんな余裕はないんじゃないの”
”大丈夫さ。出張費という名目で幾らでも誤魔化せる。こう見えても会社では期待されてんだ”
”でも見つかったらやばいんじゃないの?”
”大丈夫、そんなヘマはしない。じゃなかったら、この歳で課長なんて無理さね”
”本当?当てにしていいの?”
”ああ、心配するこたない。君に惨めな思いは絶対にさせない。神に誓う”
”でも、何で私みたいな峠を越したブタ女によくしてくれるのよ?”
”君に才気を感じるからさ。君は何かを持ってる。平和ボンボンの日本人にはない何かを”
”両親もいないし、旦那にも捨てられたし、何にも残ってないわ”
”君には神様が宿ってるように思えるんだ”
”私が神様?笑わせるわ”
”神様なんて所詮、孤独な生きもんさ、とにかく何も心配する事はない”
”信じていいのね”
”ああ”
フェーズ4
青田は中年女を囲った。かつて愛人を囲ってた、会社名義のマンションの一室に仁美を住まわせた。元々、会議室として使ってたが、いつの間にか男の隠し部屋になっていた。
男は残業や出張を名目にし、会社のお金を使い捲った。家を留守にする事が多くなり、妻は不審に思う様になった。
しかし、妻は夫をひたすら信じた。学生時代、真面目一本だった夫を、心底信用していた。仕事に夢中なのも、自分に女としての魅力がないものと決めつけてた。それ以上に、色々と詮索して家庭をぶち壊すのが怖かった。
彼女が理想とする家庭像が完成されつつあったのだ。全ては上手く行ってた筈だった。いや、そう思うように必死に自分を慰めた。
やがて夫は、妻から頻繁に金をせびる様になった。妻は息子2人の教育資金にと貯めてたお金を夫に渡した。防波堤が決壊した様に、家庭は崩れていく。
横領が露呈し、夫は会社をクビになった。自暴自棄になった妻は、自殺を図るも未遂に終わる。うつ病を患った後は、実家近くの療養施設で暮らしている。
青田は、女のいるマンションに籠る様になった。今度は女が男の面倒を見る様になった。覚悟を決めた仁美は夜の街に復帰し、青田は健康の為にプール通いを始めた。
子供たちは妻の妹夫婦に預けられた。その妹も超の付く美人だったが。出費が増えたせいか、昼間のパートだけではキツくなり、夜は仁美が勤めるスナックで働いた。
その妹も夜の仕事がメインとなり、昼のパートを辞めた。妹は夏絵(34)と言った。当然、妹の私生活も荒れた。
彼女はスタイルもよく、たちまちNo.1に躍り出た。見事なプロポーションを保つ為に、昼間はプールに通う事にした。というのも、仁美のダブつき腐食した肉体を見ると、寒気がした。
”最悪でも、ああはなりたくないわ”
フェーズ5
男はプールに浸かるだけで、殆ど泳ぐ事はしなくなった。プールサイドに腰掛け、若い女の水着姿を見るのが、唯一の楽しみとなった。そのうち、若い女の肢体にも飽きた。
男の胴体は仁美と同様に、腐敗したガスを含んだヒキガエルの様に、だらしなく膨らんだ。
男は妻の事を考えていた。若い頃の自分を今の妻に置き換えてみた。
”オレが自殺してればよかったんだ。保険金を掛けて死んでれば、最悪、家族に不幸はなかった”
その青田の視線の先には、夏絵がいた。彼女はすぐに男に気付いた。
”あの野郎だわ、姉も私の家族も全てを滅茶苦茶にしたのは”
女は男の方にゆっくりと近づいた。
男は、女の研ぎ澄まされた容貌と肢体に見とれていた。”30代中頃だろうか?やはり女は美人に限る、仁美を選んだのは失敗だった”
”何ジロジロ見てんのよぉ”
女は満身の力を込めて、掌底を一発見舞った。
男は仰向けのまま倒れた。脳内で何かが破裂するのを感じた。男は、人生のケジメをつけてくれた夏美に感謝した。
そして、そのまま静かに気を失った。
プールサイドで浴びた一発の掌底は、男の最後となった。
庄野潤三のプールサイド小景は繊細すぎてほとんどオチがないですよね。その純真なクソ真面目さが受賞の原因になったと思うんですが。
でも転んだサンみたいな萬話的展開もアリかなです。お得意の性の描写もほとんどなく、淡々と展開する男女の奇怪な運命の錯綜と言えますかね。
3000字を超えるにしては、長さも重さも感じないので、ショートもその軽さが生命線ですが。これからも勉強です。
お褒めのコメントどうもです。
ヘビや猫を食うシーンを思い浮かべて色んなこと考えた。人類って基本的には野蛮に出来てるってこと。そして、その野蛮さに惹かれるってことも。
戦争や争いや競争がなくなるはずないように、人の心の奥底に潜む野蛮さもなくならないってことよね。
個人的には、ピューリッツァー賞あげたい所だけど、ヤッパリやめとこね👋👋
冗談はさておいて、3000字を超えてもこれだけ軽ければ、読む方もストレスは堪らんですかね。出来るだけ短くとは思ってるんですが、まだまだ勉強不足で、これからも駄文が主になりますが、我慢して見守ってくださいな。お褒めのコメ有難うです。
どちらがどうとは言えないけど、全てには終わりが来る。
私もそう思いたいです。でも嫌な事は延々と続きますね。