ブログを始めた当初はフォロワーは勿論、ポチなんか夢のまた夢で、ポチが1つでも付くととても嬉しかったもんだ。しかし、人間とは生意気なもんで、ポチが増えれば増えるで、今度はやけにコメントが欲しくなる。
どんな下らないコメントでも反論でも生身の本音の声が欲しくなる時がある。
かつて、筑紫哲也ニュース(TBS)だったか、「異論!反論!オブジェクション」というのがあった。当時はまだ平和な頃だったから、あんまり受けなかったみたいだが。勿論、張本勲氏のように何でもかんでも”喝ーっ”じゃ、芸がなさすぎるが。
”たかがブログその11”でも書いた様に、100のブログよりも自らが見た1つの現実には遠く及ばないし、100の現実より1つの真実。その100の真実よりも自らが発見した1つの真相には遠く及ばない。
つまり、100の”いいね”よりも1つの怒れるコメントが欲しくなる。人間とは本当に身勝手な生き物だ。
最近、ポチが少しずつ増えてきたのは嬉しんだけど、何だか不思議と温もりを感じない。勿論、ポチをもらってる分際で、生意気な言い方でとても失礼だとは思うんですが。
でも、これがSNSの限界なんだろうか、失礼でも熱いコメントがやはり欲しい気もする。熱すぎても困るが、やはり生身の人間が放つブログだから、誤解を与えようが受けようが、血生臭いコメントもありかなと、今になってつくづく思う様になった。
明らかな反論でも、そこに強く熱い意思があれば、たとえ記事を露骨に否定されてもある種の充足感が湧く。自分と異なる価値観や考え方を持つ人の、独特のものの見方や視点の角度といったものがとても参考になる。
逆に一番困るのが、醒めた視点で見た様なウケを狙った見え見えの、”オレは何でも知っている”的な論点が全く外れたコメント。
もうこれはコメントの返しようがない。だから、”コメどうもです”と返すしかない。離れ小島で自分一人の自己満足の世界に浸ってくれと言いたい。
最近のSNSは炎上を異常なまでに恐れ、それ以上にネット上の仲間外れを恐れ、思った事を書けない悲しい現象も目立つ。
勿論、何でも書けばいいってもんじゃない。ネットの世界とて最低限のマナーはあるし、何でもかんでも暴露すればいいってもんでもない。マナーあっての”表現の自由”がある。
そういう状況の中、ポチという行為は非常に良くは出来ている。日常生活の差し障りのない挨拶と同じで、ネット上のコミニュケをスムーズに進める貴重な”挨拶代わり”のオプションなのかも知れない。
しかし、”いいね”があれば、”よくはないな”とか”最悪”とか”超最低”っていうネガポチもあってもいいとは思う。炎上を防ぐ為にも有効な手段だとも思うのだが。
最悪でもポチの”香典返し”やアクセの”恩返し”みたいな現象だけは、絶対に避けたいもんだ。
でも、日本人だからこういった”お返し”の現象はネットの世界でもしばらくは続くんでしょうな。仕方がないと言えば仕方がないか。
結局、人はそれぞれに程度の差こそあれ自慢する生き物で私も同じです。しかしその自慢の仕方が難しい。
別に出身地を述べる必要はないですよ。
憧れの地、日本海だけで十分です。
先日、象lemonさんが、知能の件で、後に消された話しからです。
◯ブローガさんが、「自慢は言葉の暴力かも」と書いておられました。
しかし、その方のブログを全部読ませて貰っていますと、色々と、
よく自慢をされておられますので、ちょっと疑問に感じました。
私は、家族の中では、耳が遠いと思います。 実際、先日も検査をして貰いました。
それに他にも理由がありますので。
lemonさんは、人間が出来ておられる雰囲気がします。 と申しますのは、
女性の矛盾点にも怒らず、いつも上手く回答されておられるからです。
私は、日本海出身で、何県住まいとは言ってないので、それの方が、
お怒りになるかも知れませんね。
これについては、もう少し先に申したいと思っています。 お許し下さいませ。
ウウーん?
何を見てみたいのかな?
初コメントどうも有難うです。
苦痛じゃないですかね。
毎晩の酒の肴を作る方がずっとキツい。
むしろ書きたい記事が溜まリ過ぎて
便秘状態です。