私が好きな俳優さんを3人挙げるとすれば、まずは「ショーシャンクの空に」で一躍スターダムにのしあがったティム・ロビンス(65歳)を筆頭に、「96時間」で渋いアクションヒーローを演じたリアム・ニールソン(72歳)と、「イコライザー」シリーズのデンゼル・ワシントン(69歳)である。
”語る”俳優とされるティム以外の2人はアクションヒーロー寄りだが、3人共に共通するのは、(派手ではないが)目立たない存在感と(決して洗練されてる風でもない)絶妙なダンディーさにある。
最近は、アマプラで配信される映画ばかりに集中し、脳みそが緩くなりそうだが。勿論、レヴューを書くのは嫌いじゃないし、高校の頃は映画が唯一の娯楽でもあった。
多分、アマゾンレヴューを含めれば、200以上は書いてるんじゃないだろうか。ま、それだけ映画が好きなのだ。
”9秒以内に自分の運命を決めろ”
そこで今日は、好きな俳優さんの1人であるデンゼル・ワシントン主演の「イコライザー THE FINAL」(2023)の紹介である。
ありふれた勧善懲悪でもないが、善良な民を蹂躙する悪党どもを主人公が1人残さす処刑するという点では、結果的には単純な勧善懲悪の物語だ。が、勧善懲悪を超えた勧善懲悪と言えなくもない。
理不尽な現実を泳ぐ様に起きる我ら庶民は、こうしたシンプルで明白なアクション活劇に理想や希望を見出す。つまり、善であろうが悪であろうが、巨悪は全力で叩き潰す。こうした存在を、我らは無意識に追い求めている。
故に、これこそが本作のスタンスである。が故に、見てる最中にも爽快感が全身を駆け巡るし、見終わった後も達成感に包まれ、ある種の恍惚を得る。
従って、下手なノンフィクションのシリアル系なら、こうした勧善懲悪に特化した単純明快な作品の方がずっと救われる。
因みに、イコライザー(Equalizer)とは”均一にする”とか、”元に戻す”という意味がある。
つまり、この映画は善が悪を駆逐する事ではなく、巨悪が打ちのめす事で”世の中を元に戻す”事がテーマとなる。言い換えれば、誰がヒーローか救世主かではなく、巨悪を叩き潰す行為そのものに焦点を当てる。
勿論、ワシントン演じるロバート・マッコールは元DIA(アメリカ国防情報局)の特殊工作員という設定だが、作中ではそれ程までに強調されてはいない。
とにかく、次々と時計で測った様に悪党共を完全に始末するマッコールのスゴ腕には、人間技を超えた何かが宿っている。
「THE FINAL」でも舞台をシチリア島に移しただけで、基本的には大きな変化はない。但し、「1」と「2」を見た人には、アクションもやや控えめで、原題では「3」とあるが、これが最終回となるのかもと思った人も多いだろう。
シチリア島の美しい田園地帯とは対照的に、広い屋敷の中に多くの惨殺された死体が転がっている所から物語が始まる。
ワイン用の広大なるぶどう畑を所有する主が、恐る恐る屋敷の中に足を踏み込むと、その奥の部屋で待ってるのは主人公のマッコールだ。彼の両側には主(ボス)の手下と思われる2人の男が両側から銃を突きつけている。
”入れてくれればよかったのに・・・”と言い放ち、主を睨みつける。
この時点で、本作はシンプルな形で終わるだろうと判断できたし、事実その通りになる。
”9秒以内に自分の運命を決めろ”とマッコールが言い放つと、お得意の”瞬殺劇”が始まった。
これこそがマッコールの十八番なのだが、何度見ても鮮やかで爽快だ。”胸がすく”とか”興奮が漲る”との言葉は彼の為にある。
実際には、ほんの数秒でカタが付くが、手下の男の目に銃口を突っ込んだ状態で、目の前の主(ボス)を撃ち続けるシーンには、アクション活劇にもアイデアと創造が必要な事を教えてくれる。
更に、仰向けに倒れた主のケツの穴に1発ブチ込んだ時点で絶命してる筈だが、まだ9秒には達してはいない。
そう、マッコールは出来損ないの悪党どもを殺す事を楽しんでる様にも思えた。
瀕死で床を這いずる哀れな男だが、トドメの一発を食らい惨死する。だが、今回はこれまでとは違い、オチが用意されていた。
車の中に大人しく待機していた主の孫が事もあろうに、マッコールの背中に車の中にあった散弾銃をぶっ放したのだ。
背中に瀕死の重症を負ったマッコールだが、自力でイタリア本国へ向かうフェリーに乗り、イタリアの小さな町アルトモンテに辿り着いた時点で、力尽きる。
これで”FINALか”と思いきや、地元の警官により発見され、何とか命を救われる。その後、見知らぬ医者に預けられ、徐々に回復していくマッコールだが、この小さな町が次第に好きになっていく。
正義は行使する事で意味を持つ
勿論、地元を牛耳るマフィアが黙っておく筈もない。と同時に、CIAもこの小さな町で起きた惨殺事件に注目し、麻薬と殺人の線で秘密裏に捜査を進めていく。その後、捜査班が現場に赴くと、ワイナリーからテロリストに流れてると思われる大量の薬物や資金が発見される。つまり、ワインボトルには違法薬物が詰め込まれていたのだ。
周辺の土地を買収してリゾート地にしようと計画するマフィア(カモッラ)だが、その手下らと、喫茶店で紅茶を楽しんでたマッコールは偶然顔を合わせる。その瞬間、仏の眼差しが殺し屋の目に変わっていく。
因みに”カモッラ”とは、ナポリを拠点とするイタリア4大マフィアの1つで、現在の勢力は約130団体、約6300人が所属するとされる。日本で言えば広域暴力団に相当するが、現在は統一した組織ではなく、分散したファミリーがそれぞれの思惑で活動しているが、報復合戦により弱体化し、カモッラは末期だという人たちもいる。
実在するマフィアを実名で使うとは、ハリウッドも相当の覚悟と勇気が要ったろうが、ここら辺の本気度は、見てても実に等身大に伝わってくる。マッコールの穏やかな眼差しも怖いが、このマフィアも筋金入りでとにかく怖いのだ。事実、CIAの捜査官らがマフィアが用意した爆弾で吹き飛ばされるシーンには、背筋が凍りついた。
一方で、マッコールの戦闘スタイルは基本的にだが”惨殺”である。つまり、巨悪を駆逐するに特化した戦闘スタイルとも言える。言い換えれば、単に善が悪を倒すではなく、悪を倒すに特化したプロの殺し屋なのだ。
マッコールの菩薩の様な全てを見通した眼差しこそが、巨悪を殺す為に最適化した温和な瞳なのである。
ワイナリーの調査の為に島に来てた女CIAのエマに、”元締はテロではなくマフィア(カモッラ)だ”と知らせるマッコール。お陰で、彼女は爆弾で殺されかけるも、危うく一命を取り留めた。
一見平和に穏やかに見える小さな町だが、地元の住民らを苦しめ、好き放題にみかじめ料を搾取する地元マフィアのチンピラ(マルコ)が好き放題暴れまくる。更に、マルコ一味は町のレストランでマッコールを救った警官とその家族を脅していたのだ。が、所詮はマッコールの敵ではなかった。
そのマルコ一味だが、偶々食事に来ていたマッコールと目が会い、一斉触発の事態になりかけるも、マルコの細い腕は簡単に絞り上げられ、呆気なく退却する羽目になる。
腕っぷしの弱いマルコが町でデカい顔が出来るのも、カモッラの頭目であり、地元マフィアのボスである兄ビンセントの存在があったからだ。
一方、面目を潰され、逆上したマルコは、何ら計画も立てずにマッコールへの復讐を誓うも、全ては察知され、いとも簡単にまるで赤子を弄ぶ様に殺されてしまう。
弟の惨死に怒り狂うビンセントは町の人々を脅し、弟殺しの犯人を知ろうと乗り出すが、住人らは名乗り出たマッコールを庇い、ビンセントを何とか追い払う。
ビンセントは残された手下らと共に極秘でマッコールの殺害を計画するが、ここでも先手を打たれる。ビンセントの屋敷は襲撃され、マッコールお得意の瞬殺劇で、その一味とビンセントを一気に始末。
但し、ビンセントだけはすぐには殺さず、自らが闇製造した毒性の強い薬物を大量に飲ませ、道を這いずり回させる。ゆっくりと苦しみながら死に耐えるシーンには、”そこまでやるかマッコール”と叫びたくもなった。
最後に
マフィアに脅された小さな町は、マッコールにより平和を取り戻した。ここでいう”平和”とはイコライザー(Equalizer)に他ならない。つまり、”本来あるべき”町を取り戻したのである。
エンディングでは、負傷で入院中のエマに現金36万ドルが入ったリュックを託すマッコールだが、彼がマフィアのワイナリーを襲撃し、何百万ドルという闇資金の中から取り戻したのは、よく知りもしない近所の老人がマフィアにハッキングされて失った老後の年金だったのである。
ここにても、”本来あるべき”所にお金を戻すという”Equalizer”としてのあるべき姿をさり気なく描いている。
実存するイタリアのマフィアを実名で使った映画だが、お陰で勧善懲悪を超えたアクション活劇の本質を心ゆくまで堪能できた。
ただ、これが「FINAL」とならない事を祈るばかりである。
全部見ました。
今回が一番スッキリとしてましたよね。
がゆえに少年に背後から撃たれるシーンを盛り込んだんでしょう。
フィクションもここまで来ると潔くて見る側もストレスを感じない。
勿論、マフィアが実名で使われてたことには驚きでしたが。何処にでもある安っぽい勧善懲悪の映画とは一線を画す。
少なくとも、セガール親父の様な作られ感とは無縁ですよね。
正義もここまで来ると、潔すぎてアッパレです。
セガール親父も悪くはないんですが、作られ感満載の髪型(多分ズラ)と幼稚な作りと演出にはウンザリで、質感と属性はポルノと同じですよね。
とにかく今回は、相手が実在するマフィアという事でアクションこそ控えめでしたが、その分リアル感満載でした。
最近は映画ばっかで脳みそが緩くなってますが、だからヤメられないんですよ。