こういう映画を見る度に、自粛続きで荒んだ私の沈んだ心は大きく躍動する。
監督のデ・パルマの熟成と、絶頂期にあったジョン・トラボルタの咆哮とナンシー・アレンの魅惑が見事に重なった快作に思えた。
しかし、暗く破滅的な幕切れが観客には受け入れられず、評価はイマイチだったという。
1981年、当時40歳のブライアン・デ・パルマ監督が、故郷のフィラデルフィアで手がけたサスペンス「ミッドナイトクロス」は、彼の作品の中でも最高の傑作とされる。
興行的にはパッとしなかったが、後年にクエンティン・タランティーノはオールタイムベストの一本だと評した。
しかし、デ・パルマは盟友のスティーブン・スピルバーグやフランシス・コッポラらと比べると、評価の低い監督とも言える。
というのも、彼がサスペンスの名匠ヒッチコックの模倣だと揶揄され続けてきた事にあるとされる。
以下、”タランティーノも絶賛する、ブライアン・デ・パルマの偉大で重要な傑作”から一部抜粋です。
「Blow Out」〜犯人をもみ消せ
「殺しのドレス」(1980)でサウンドミックスをしてる時に、パルマは「ミッドナイトクロス」のコンセプトを思いつく。主人公のジャックが川で録音した音が殺人事件の鍵となるのはそこから生まれた。
フィラデルフィアに住む音響効果マンのジャック(Jトラボルタ)は、低予算のホラー映画で使う効果音を収録する為に川のほとりを訪れてたが、偶然にも自動車事故を目撃してしまう。ジャックは海に飛び込み事故車に乗っていた娼婦の女サリー(Nアレン)を救出するも、運転手の男は死亡する。
しかし、この男こそが次期大統領候補の州知事だったのだ。故に彼の関係者からはこの事故の事は忘れるよう口止めされる。
事故のテープを聞き直し、タイヤがパンクする直前に銃声が聞こえるのを確信したジャックは、写真と音を照合する事で、事故ではなく殺人事件だと思い至る(ウィキ)。
主役にはパルマの大ヒット作「キャリー」(1976)で不良カップルを演じたトラボルタとアレンが抜擢された。
因みに、「キャリー」で出会ったデ・パルマとアレンは79年に結婚。以降、彼は妻のアレンを「悪夢のファミリー」(80)「殺しのドレス」(80)「ミッドナイトクロス」(81)と3作連続で娼婦役として出演させる(83年には離婚)。
しかし、当時大スターだったトラボルタの参加により、予算は当初の300万ドルから1800万ドルに跳ね上がった。
この作品の原題「Blow Out」は、ミケランジェロ・アントニオーニの「欲望(Blow Up)」(66)から取られたものは有名だ。
「欲望」は、深夜の公園で密会するカップルを盗み撮りした写真家が、その写真を現像して引き延す(ブローアップする)と、死体が写ってた事からサスペンスが始まるが、本作では”写真”を”音”に見事に置き換えた。
本作で起こる自動車事故は、チャパキディック事件(1969)を基にしている。エドワード・ケネディ上院議員が若い秘書とチャパキディック島でパーティを抜け出したドライブ中に橋から川に転落したものの、彼はひとりで脱出し、秘書は車内で死亡した事件。
本作では主人公ジャックが真実を探るも、多くの暗殺事件では犯人がわかっても誰も気にしない。それに、暗殺のモチーフは1963年のケネディ大統領暗殺事件に由来する。
原題「ブローアウト」には、車のパンク音の他、”問題のテープの音を吹き消す”や”目撃者を消す”という意味も含まれる。
サディスティック・ホラー
この様に本作には、60~70年代の様々な米国の政治的出来事への暗示が含まれている。
事実公開当時、ナンシー・アレンは”ウォーターゲートやケネディ家の事を考える人もいるでしょう。この映画は、過去20年間に実際に起こった事について、私たち全員が感じている混乱を反映してます”と語る。
一方で、この作品の節々にデ・パルマ監督のサゾな強迫観念が露呈する。
ジャックの録音による盗み聞きこそが”覗き”のヴァリエーションであり、かつてパルマ少年は父親が浮気する現場を盗み撮りしてた事を打ち明けている。
この”覗き”は女性を恐怖に陥れるサディスティックな男性像である。が故に、彼の映画は女性蔑視だとの批判もしばしば受けてきた。
”女性の扱いが酷いとか、暴力描写が過激と言われても私にはそれが正しいやり方なんだ。それに、政治・ギャング・戦争と扱ってきたジャンル自体が男性優位主義社会だからだ”と、彼は弁明する。
確かに、危険な状況に置かれる女性を取り上げる事でサスペンスが醸成されると共に、愛する女性を救う事ができない無力な男の後悔により、甘美なメロドラマが一層増幅するのだろう。
自分のせいで騒動に巻き込んだ結果としてジャックは最後、女性を死なせてしまう。そして彼女の悲鳴を卑俗なホラー映画に使う。
このアイデアが浮かんだのは、デ・パルマ監督がサウンドトラックをカットして効果音を入れる時だった。
そして最後には、映画に使用された悲鳴を聞き、ジャックの苦悩は軽減する。”このシーンのトラボルタを見る度に心を動かされる”とデ・パルマは述懐する。
”It’s a good scream”──美しい絶叫を発見すると同時に、デ・パルマのサディスティックな世界でジャックは懺悔の煉獄に身を置かれる。タランティーノはそのあまりに悲痛な終幕を”映画史上最も心を打つクロージングショットのひとつだ”と断言する。
以上、CINEMOREからでした。
最後に〜”可愛さ余って可憐さ百倍”
勿論、デ・パルマ監督の映画に対する入れ込みようも凄いし、若いトラボルタの粋が乗った演技も迫力があった。しかし私にとって、この傑作の主役はナンシー・アレンである
とにかく、可愛すぎる。
殆どのブロンド女優は、30を過ぎれば確実に劣化する。しかし彼女は、この作品の時点で30を過ぎてるのに、とても若く可憐に映る。
遅咲きと言えばそれまでだが、彼女には熟成された妖艶さが同居する。
「キャリー」(67)では、性悪の女子高生を演じ、それ以降は頭の悪そうな軽い娼婦役が多い。それでも腐らずに、しっかりと存在感を醸し出してるのは実に立派だ。
私が彼女を初めて知ったのは、「フィラデルフィア・エクスペリメント」(84)だった。離婚後の作品とあってか、それまでの彼女のイメージとは大きくイメチェンした様にも感じた。まるで、デ・パルマの呪いから解き放たれたように。
以降、ロボコップ三部作(87,90,93)では、正義感溢れる女性警官役でブレイクした感じがする。
そういう彼女も、出世のきっかけともなった「キャリー」の撮影では辛酸を舐めた。
先生役のベティ・バックリーに平手打ちされるシーンでは、デ・パルマが望む様な演技ができなかった為、30回もビンタを食らう羽目になった。
当時デ・パルマは、バックリーと付き合ってたが、撮影を続けるうちにアレンの色気にすっかり魅了され、入れ込んでしまう。
結局彼はバックリーを捨て、アレンと結婚(79)。デ・パルマの元カノが今カノを殴るという、サゾ的で変態チックな構図は既に健在だったのだ。
しかし、サゾっ気のあるデ・パルマとの蜜月は長くは続かず、4年後に離婚。それを予兆するかの様に、この「ミッドナイトクロス」では惨殺されてラストを迎え、ヒロイン役とは思えない扱いを受ける。
いじめっ子役でデ・パルマに見初められたアレンは、最後に痛ぶられ破局を迎えるのだ。
”可愛さ余って憎さ百倍”ではないが、その気持ち痛いほど解りますね。
でもそれだけ彼女は妖艶で可憐だったという事で、”可愛さ余って可憐さ百倍”というのは彼女の為にある。
まさに、可愛さを人の百倍持って生まれて来たんでしょうね。本当に可愛い女優です。
夢に出て来て欲しいです。
ホント可愛さ余って可愛さ百倍と言った感じでした。
こんな可憐なコールガールなら毎晩でも相手にしたいです。
40を超えるまで、あの可憐さと妖艶さと可愛らしさを保った唯一のブロンド女優とも言えます。
本当に思い出すだけで、セクシーで可愛い。
でも流石に夢には出て来てはくれなせんね。