母が亡くなって、2年半が過ぎた。
今年10月は母の3回忌だ。
昨年、お坊さんから電話があり、法要の誘いと思い、電話にも出ずに無視した。というのも、お布施の件で3回忌も少し迷ってるからだ。
坊さんの読経が4万円(相場では5万)のお布施に値するとはとても思えない。1万円ほど(交通費込み)のお布施でお経を読んでくれれば、少しは考えるのだが・・・
亡き母の本葬で聞いた読経は聴き応えがあった。が、初7日や初盆(1周忌含む)のそれは読経というよりは単なる棒読みに聞こえた。
私は神は信じないし、お坊さんの存在も信じない。しかし、毎日お供物は上げるし、線香も立てるし、手も合わせる。勿論、LEDローソクも朝晩灯している。こう見えても、意外と信心深いのである。
神様や仏様は存在した方が精神の安定や心の安らぎという点では都合がいい。逆を言えば、それだけの存在しかない。
これは数学と同じで、思考を健全に保つ為に数学があると思えば、抽象的で難しい数学も思考の安らぎを与えてくれる事もある。
つまり、私にとって数学も神も仏も同じ存在なのである。
そうこう思いを巡らしながら、眠りに付いた。
後部座席
夢の中で、私はあるガソリンスタンドにいた。どうやら道に迷ったらしく、近くのスタンドで道を聞こうと車から出ようとした、その時。(亡くなった筈の)お袋が後部座席に乗っていて、先の交差点を右へ曲がると柳川へ向かうから、”さっさと急がんね”と叫ぶ。
お袋の言葉を信じ、そそくさとスタンドを出て、交差点を右へ曲がり自宅へ向かうつもりだった。
しかし、一向に自宅へ向かう道が見当たらない。そのうち、ある家に着いた。どこかで見たような家だったが、それが昔の私の家だった事を知る由もない。
何だか葬式の様なものが行われ、多くの喪服の参列者で部屋は満杯である。それに、葬儀屋は既にスタンバイしているではないか。
”誰か亡くなったんですか?”と問うと、”アナタのお母様ですよ。今さっき亡くなられました。お悔やみ申し上げます”
ええーっ!今さっきまで私の車の後部積に乗ってた筈なのに・・・
私はすぐに家を飛び出し、車に向かった。やはり、車の中にお袋はいない。
まさか、先程のガススタンドで後部座席に乗ってたお袋は、死んだお袋の霊だったのか?
その霊が私を呼んで、自宅に向かわせたのだろうか?そういえば、今私がいる家は昔の私の家にそっくりである。
再び、その家に戻ると、着々と葬儀の準備が行われていた。
葬儀屋は大手の某葬儀メーカーのようだった。”私は呼んだ覚えがないんですが、誰が葬儀屋を呼んだんですか?”
目の前の恰幅のいい初老のデブ親父は当然のごとく言い放つ。
”こういうのは喪主の同意なしに進めた方がスムーズですよ。あちらにいる親族の方が私どもの葬儀屋を指定してくれました”
”そういうのは助かるんですが、私はこんなに大げさにするつもりはないんです。前々からお袋が死んだ時は火葬式という一番安いもので済ませようと思ってたんですよ”
葬儀屋のデブ親父
商魂逞しげなデブ親父は自信満々だった。
”ウチは安いので30万から揃えております。でもここまで親族をお呼びになってますから、火葬式という訳にもいきませんでしょうな。家族葬にしても、60万程は最低でも掛かりますよ。今更、火葬式に変更なんて受け付け出来ません。それに、こんなにも参列者が詰めかけてますから・・・ここに来て、彼らを返す訳にもいかんでしょう”
私は葬儀を手配した母方の親族の1人に詰め寄った。それもよりによって、私が一番嫌がる母方の親族の1人でもある。
”何で!喪主の私に相談しないんだ。アンタらにはそんな権限は1つもない筈だ。いくらお袋の姉妹だとても、そこまでの権限は法律でも認められてはいない筈だ!”
母の姉妹の1人は”こういうのは急いでやらないと、何度か電話したけど繋がらなかったから、悪いけど勝手に決めさせてもらったの”
着信を調べたが、履歴はなかった。明らかに大ウソだったのだ。私はキレた。
”だったら、アンタらが葬儀の全ての費用を工面するのか?何時も何時も好き勝手な事しやがって・・この糞バアが”
私の鬼気迫る形相に、周りは一瞬静まりかえる。
しかし今回は、その鬼ババアだけが敵ではなかった。何と葬儀屋もグルになっていた。
先程のデブ親父が仲裁に入る。
”ここは穏便に行きましょうや。お互いに気持ちは判りますが、ここまで来て引く訳にはアカンでしょうな”
”だったらどうすればいい?余計なカネは一銭も払いたくないからな。こっちは全て白紙に戻してもいいんだぜ!”
親族の1人が言い放つ。
”そんな事したら、ここに参列してる親族の人たちに対して失礼ですわ”
私は開き直った。
”アンタらが勝手に来たんだろうが。喪主のオレが呼んだんじゃない”
”まあまあ、そう興奮ならず。お互いに冷静になりましょうよ”と葬儀屋。
私は再びキレた。
”冷静だと?アンタら葬儀屋が今回の件を上手く包めたんだろうが。人の不幸に突け込んでがっぽり稼ごうという魂胆だろう”
”そういう言い方は失礼だ”
今度はデブ親父がキレた。
お坊さん来訪
その場はパニックと化す。
持参した香典を拾い上げ、帰る人も出始めた。
私は帰る人たちを呼び止め、”持参した香典は全てお持ち帰りください。正式な葬儀の日時を後ほどお知らせしますので、それに香典は絶対に包まないようお願いします。仮に包まれたとしても何らお返しは一切しませんから”と今回のお詫びを含め、釘を指した。
”葬儀屋の皆さんも、今日はなかった事として全て撤去しお帰りください。但し、棺だけはそのままに、その分の費用だけはお支払いしますから・・”
葬儀屋は母方の親戚らと揉めていた。
”どういう事だ。損失の分はアンタらに支払ってもらうぞ”
私は母方の親族の1人に言い放つ。
”全て白紙に戻しますから、今はお帰りください。正式な葬儀の日時が決まったらお知らせします。損失分も含め、その他の事は葬儀屋と話し合って決めてください。私は何ら関与しませんから”
私は半ば強引に、葬儀屋と母方の親族連中を追い出した。広いお座敷に1つポツンと残ったのは、お袋の屍が納められてる白い棺だけである。
”ああ、これからどうしよう・・・”
まずすべきなのは、火葬とお坊さんの手配である。この2つが何とかなれば、費用は必要最低限で済む。
そんな時運良く、人の良さそうなお坊さんがやってきた。
私の困惑画をを見たお坊さんだったが、不思議と冷静だった。
”何かどえらい騒動があったようで・・”
”いや、葬儀を一時白紙に戻した所です。親族らが喪主の私を無視し、勝手に事を進めたお陰で、こんな事になってしまって・・”
”火葬式でも読経だけは必要になるんですが、他に誰か決まったお坊さんはおられるんでしょうか?”
”いえいえ、今から決めようと思ってた所です。こんな性格ですから、決まったお坊さんなんていませんよ”と苦笑いした。
目の前のお坊さんは、少しホッとした様子だ。
”宜しかったら、お布施の額はそちらの御都合で構いませんから、火葬と本葬の読経をとも思うんですが・・都合の程はどうでしょう”
私は運が上向きになるのを感じた。
”初7日の読経もお願いしたいんですが。お布施は3つ込みで8万程でいかがでしょう?”
坊さんは少し不服そうだったが、何とか承諾してくれた。
”あの〜宜しかったら、私の知り合いの葬儀屋を紹介できればとも思うんですが、ご迷惑でしょうか?”
”いえいえ、15万ほどで済む火葬式ならどの葬儀屋でも構いませんよ”
坊さんはスマホを取り出し、ある葬儀屋に電話している。
ホッとした表情がここからも伺い知れた。
”明日朝一番でこちらへ向かうそうです。詳細は後ほど葬儀屋から電話するそうです”
肩の荷が下りた気分になる。
”何とか無事に終わりそうです。これもお坊さんが運良く来てくれたお陰です。本当に感謝してます”
”いえいえ、私もとても心配になって寄ってみたんですが、最悪にならず良かったですね”
でも、ちょっと待てよ?お袋は2年前の10月に亡くなったんでは・・・
そう思い巡らす内に、お坊さんの影が次第に薄くなっていく。
そして、夢から覚めた。
最後に
夢に出てくれたお坊さんは、正義の騎士に見えた。しかし、現実のお坊さんは(言い方は悪いが)黒い装束で着飾った、お経を読む”金食い虫”である。
少なくとも、黒いミンクの毛皮で着飾った娼婦ではない。更に、彼女らに4万も5万も払えば・・・と考えなくもない。
勿論、下半身の満足だけで、法要を行うべきではないが、冠婚葬祭を含め全ての行事は、所詮は自己満足からくるものである。
神様だって元を正せば、イ◯モツを持った人間である。スケベもするだろうし、癇癪も起こす。聖職者だって同様であり、子供も犯すし、ストリップ劇場にも通う。
お坊さんだって、ソープランドやスケベパブにも通うだろうし、巨乳好きなローマ法王も同類であろう。
日本人はなぜ?そんなお坊さんを神格化するのだろう?まるで汚職に塗れた政治家を”お上様”という理由で敬う様にである。
一方で、皇族の中にも知恵遅れの男と結婚するバカ女がいる。こんな無能な民に税金が使われると思うと、腹が立ってしょうがない。
皇族でも知能の低いのは、税金の対象外にしたらいい。でないと税金の力で国際弁護士になり、無能なエセ皇族群は無駄に繁茂するだけである。
天皇制は昭和天皇まででよかった。その昭和天皇も”天皇は人間に戻るべき”と漏らしていたではないか。
日本は今や、アジアでも貧乏な島国の一つである。仏事には一円も使いたくない私だが、無駄な事には国民の血税を一銭も使って欲しくないと思う事に、バチは当たるのだろうか。
事実上のオワコンになりそうな昨今ですが
こういうのを儀式としてみれば
仏事や法要もオワコンとも言えるんでしょうか。
お坊さん呼んで大勢の親戚を呼んで
ド派手に開催されてきた日本伝統の仏教儀式ですが
それだけ日本も平和だったし
いい時代だったんでしょう。
東京オリンピックだって
1回きりの開催にしとけば永遠に語り種になる大会だったのに
2度もやったから日本だけでなく世界からも笑いものにされた。
葬儀も本葬の1回きりで法事も1周忌だけというのも理想の1つかもですが
そういう時代が来るんでしょうね。
1回きりの冠婚葬祭も経済的負担の面で考えれば、1つの答えかもしれませんね。
若くして夭逝した故人なら、魂を弔う為にも法要は繰り返す意味があるとも思うのですが
ただ、某ドラマに登場する刑事ボッシュの言葉に”どんな立派な死も砂漠の中での死も、遺された者にとって神聖なものには変わりない”とあります。
これこそが最適解だと思います。
本音を言えば、お袋の3回忌は自分でお経を読んで、それで終りにしようかなとも思ってます。
何時もコメント有り難うです。
所詮は自己満足みたいなもの
特に地方は
これといった娯楽もないから
こうした伝統ある行事は
大切に継承されてきたのだろう
信じる者は救われるけど
信じる者は捨てられもする
信仰は神様と同じで気まぐれだ
法要も回数を重ねれば
神聖なものになるでもなく
単なる縁起に過ぎないのだろう
確かに、農耕島民の自己満足とも言えますね。
親戚一同が集い、飲み食いするだけの時間と空間が、昔の日本には必要でした。
死者の魂を弔うと言うより、集団で存在する事の意義を確認する事で一族の繁栄を願ったんでしょうか。
今から思うと、全くの子供騙しで、無駄な事ばかりの様な気もしますが、そういうのも含めて日本人なんですよ。
今や、新型コロナ渦のお陰で、無駄に人が集まる行事は死滅した様なもので、人類よりもウィルスの方が種の存続の為には合理的に出来てる様な気もします。