象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「サンクチュアリ」〜重厚だが微妙に空回りしたフォークナーの力作

2023年02月07日 06時20分04秒 | 読書

 ミシシッピー州ジェファスンの町はずれで、車を大木に突っこんでしまった女子大生テンプルと男友達は、助けを求めて廃屋に立ち寄る。そこは性的不能な男ポパイを首領に、酒の密造屋一味の隠れ家であった。
 女子大生の凌辱事件を発端に、異常な殺人事件となって醜悪陰惨な場面が展開する・・・(Amazon)

 カポーティの「冷血」をフィクション化し、濃密にした様な凄みと重厚感。流石にロスト・ジェネレーション世代作家ならではの勢いと迫力・・・との触れ込みだが。
 確かに、そうではあるし、そう思いたい。いや、絶対にそうであるべきだ。いやいや、読む前まではそうであった筈だ。
 しかし、他のレヴューにもある様に、フォークナーの視点が曖昧というか、展開の節々がボケすぎてるというか、とにかく読みづらい。
 中長編ものにしては殆ど間延びする所もなく、フォークナーの持つ"文脈の規模と複雑さ、それに想像力の逞しさは当時のアメリカ文学においても卓越してる"との事は認めるが、初めて彼の著作を手にした事もあろうが、それを差し引いても読みにくい。
 これ程までに直截的で迫力ある描写を用いて、読者を恐怖のどん底に落し入れながら、多岐に渡る展開やそれに纏わる肝心の複雑な人間ドラマがせっかく用意されてるのに、非常に勿体ない気がした。


微妙に、空回りした力作

 フォークナー自身が言い放つ”自分としては想像しうる最も恐ろしい物語”という触れ込みに誘われたが、結論からすれば、”微妙に空回りした”力作と言えようか。
 悲しいかな、巻末の解説を読んで、何とかこの本の十全たる魅力を思い知る訳だが・・それでも、この異常なまでの消化不良はどう説明したらいいのだろう?
 ”女子大生の凌辱事件”のシーンでも、それに見合う程の性俗で猥雑な描写は殆ど表出されてない。”暴力や残忍性に傾斜した”とあるが、そこまでの残酷なシーンは殆どお目にかかれない。

 凌辱された令嬢のテンプルが法廷で偽証を行うシーンも、お陰で無実の罪を着せられた酒密造者のグッドウインがリンチに遭い、焼き殺されるシーンも、異常なまでに凡庸に思えた。
 確かに、開始早々の冷凶なる変質者ポパイの醜悪陰惨な描写は、読者が震え上がったであろう程に実に圧巻でもある。因みに彼は、性的不能者であり身体的欠陥がある不幸な男として描かれている。
 令嬢をトウモロコシの穂軸で強姦し、メンフィスの売春宿に監禁するシーンも、描写としては非常に曖昧に中途に思えた。更に、”追加&改訂された”というポパイの悲壮な過去の物語も消化不良に感じた。それに、最後に彼が(犯していない罪の容疑で逮捕され)絞首刑に晒されるシーンもどうも淡白すぎる。

 確かに、ポパイを(悪人というより)運命と環境の犠牲と見るフォークナーの意図も解らなくもないが、逆に最後の詰めでブレーキを掛けた感も拭えない。
 更に、テンプル嬢は冷血で計算高く、気の抜けた”ファストガール”(淫売娘)として描かれてはいるが、その質感と属性は殆ど感じられない。まるで、強姦されて当然の無機質なダッチワイフに映った。
 それに、令嬢と判事でもある彼女の父が登場するパリでのエンディングも無味無臭過ぎて、読み終わった時、どういった評価を下していいのか?原文に難があるのか?訳文に不足があるのか?読む私が単に馬鹿なのか?
 「8月の光」と同じく、もう一度読み返す必要があるのだろうか。いや、そういう気は更々ない。2016年に私自身が書いたAmazonレビューを再考するのが関の山である。

 
隠れ家と聖域

 ストーリー自体は、登場人物が多岐にわたり、各人のドラマが独立しながらも複雑に展開し、かつ濃密に描かれてはいる。
 故に、余分で曖昧な人間ドラマを挿入する事なく、前半みたいに直截的な残忍なシーンを次々と無差別に放り込み、シンプルで読みやすい文脈に仕上げてたら、翻訳する側も鬱憤が溜まる事もなかっただろうし、解説で長々と補う事もなかった筈だ。
 残忍性を増す為に敢えてプロットをぼかし、暴力的すぎる表現を和らげる為に視点を曖昧にしたのか?
 確かに、"安っぽい思いつきの原稿で金になればそれで良かった"とフォークナーが述べてる様に、この本の出来に関しては満足はしてなかったようでもある。その一方で、”粗悪品”と切り捨ててる点では、稀有の傑作と言えなくもない。ここら辺は専門家らの間でも評価が分かれる所だろう。
 更に、”改訂には最善を尽くした”とあるが、これを自己最高の作品に仕立て上げようとした執念は、読んでて伝わらなくもない。ましてや初稿を読んで再評価してみたくもある。

 タイトルの「Sanctuary」には聖域、逃げ込み場所、罪人庇護権などの意味がある。
 つまり、闇社会に生きるポパイやグッドウィンの住む隠れ家に、合法の世界の人間たちが入り込み、彼等を法の社会に引きだす物語が故に、隠れ家という意味合いが濃いが、これに”聖域”という意味合いが重ねられている。
 確かにだが、合法な民は法や正義を隠れ蓑とし、非合法な民は犯罪や暴力や脅しを隠れ家とする。その接点に判事の令嬢がポツンとレイアウトされる訳だが、それを聖域とは言えそうにもない。
 何も考えずに”性的不能な男が無能な令嬢を強姦した”だけのシンプルな物語にすれば、逆に良かったかもしれない。少なくとも”粗悪品”と割り切れば、そんな実直かつ強引で荒っぽい展開も許されたであろう。

 しかしフォークナーは、この著書で一躍スターダムに君臨する。当時は、これでも恐ろしく扇情的だった。
 以降、"暴力と残酷性"のイメージが彼には定着する訳だが、それでもそういう点において、20世紀のアメリカ文学に於いて卓越する文豪の存在を知り得ただけでも、オススメの一冊にはなり得るかもしれない。
 しかし、読みにくいという事で星3つ・・・


補足〜「フォークナー短編集」

 一方でこれは、「サンクチュアリ」とは大きく異なり、全くの”贅肉を削ぎ落とした名作”と言える。
 収められてる8つの短編はフォークナーが最も脂の乗ってた30年代に書かれたものであり、どれもが重厚と鈍重さに溢れ、軽く読み過ごせないものばかりで、読者の心に深く染み込んでいく。
 多分、フォークナーは物語に異次元の”重さ”を与えられる唯一の作家かもしれない。

 僅か10pの超短編の中にもフォークナーの独特の奥行きと陰湿さが感じられる。
 肥った醜い男の若く美しい妻への嫉妬。彼が勤勉で真面目である程に、嫉妬が嫌悪に変質し、殺気に昇華する様は、冷酷にすら映る。
 展開がシンプルで短いが故に、異様な恐怖を覚えてしまう。
 人間は誰しも、若い頃は人生が実に明瞭で単純に美しくも思える。しかし、年を取るごとに複雑に醜く不明瞭に見えてくる。結婚当初は眩いばかりの若妻も時が経てば、その美貌の中に醜く暗い闇を見出す様になる。
 この第一話に登場する「嫉妬」はフォークナーお得意の冷酷さが凝縮された名作短編の鏡である。典型の長編作家がこれ程までのシンプルな短編も描けるとは、全く恐れ入った。

 という事で、☆5つ・・・

 ”奴に時間を与えよう。(奴にとって)明日とは今日の別名に過ぎないんだから・・”
 事実、フォークナーにとっての明日とは、今日とは全く異なる空間であり時間であるのかもしれない。
 彼にとって文学とは、そうした空間と時間を描く為に背負う"重たい十字架"だったのかもしれない。



コメントを投稿