象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『サイコパス•インサイド』に見るサイコの脳と遺伝とそして環境と。その12〜適応性サイコパスの未来と可能性〜

2018年08月06日 23時27分34秒 | サイコパス

 昨日は、”コールガール”と”鏡張り部屋”のバックナンバーを読んで下さった方、有難うです。それと、”米朝会談”にもアクセスが集まりだしましたが。予想は外れてますね。今のアメリカは、トランプのズラと同じで、とても危うくなってます。
 

 さてと、7/11以来の”サイコパス”ですが。”独り言”が多くて、間が空きました。前回は、ラフプレイヤーとしての、ロマンティックなヒーローとしてのサイコパスの視点で書きましたが。多少無理がありますね。ファロンの気持ちも解りますが。

 実際、インパール作戦の牟田口中将や東京大空襲の指揮者のカーチス・ルメイ、麻原彰晃に、日大アメフトの理事やコーチ、それに日本ボクシング連盟の会長なんかは、典型のラフプレイヤーですね。


 彼らに共通するのは、その超人的&動物的なな無謀で無策な、”押し”の強さと”我”の強さですが。良く言えば情に脆く、悪く言えば頑固者。
 しかし、彼らほど部下の信頼に恵まれてる人種もいない。仲間には異常なまでに愛情や同調を示すが、一旦敵とみなせば、敵愾心をむき出しにし、融通の効かない狂った獰猛な凶器と化す。
 
 しかし、それも上手くいってる時は、その荒々しさと危うさとワルっぽさが非常に魅力的に映り、有効に働くが。一旦歯車が狂い始めると盲目の獣人に成り下がる。
 つまり、自分の”非”と”否”と向き合う知恵と勇気がないのだ。この知恵と勇気こそが節制と正義を生み出し、難局を打破する原動力を生み出すのだが。悲しいかな、彼らにはそんな希少な資質には全く欠けるのだ。

  
 麻原彰晃だって、平時はダライラマの支援を受けた”オウム帝国”の救世主であった。単なる詐欺師であった筈の彼は、1億もの大金を寄贈する事で、ダライラマの弟子に潜り込み、僅か数年で神の領域に君臨した。
 ダライラマも、危険因子と知りながら麻原を利用し、日本での影響力を広めようと安易な計算をした。勿論結果は、最悪の事態を生んだ。

 所詮、ラフプレイヤーとは無策で無能な、そして獰猛で狡猾な獣人に過ぎないのか。

 
 人は時として、命知らずの蜜の味を味わってみたいし、安全な日常的社会生活から逃げ出したいと思うものだし、それを実行しようとする。冒険家や探検家はそのいい例だろう。サイコパスは、アナタを危険な所に案内するであろうし、厭な目にも遭わせるだろう。

 ファロンは歓喜を求める為、多くの人を酷い目に遭わせてきた。しかし、誰も殺害したり傷つけたりしない。盗みや嘘は好きじゃないし、それは敗北者の行為だ。サイコパスとしては失格なのだ。彼は暴力ではなく快楽を得る事が目的だったのだ。


 遺伝子や伝令DNA(リボゾームはメッセージを読み取り、転移RNAに結びついたアミノ酸から所定のタンパク質を組み立てる)といった人間の遺伝子の高次の多様性故に、遺伝子と行動というスペクトルの両端にある、多彩な人間が形成される事は避けられない。

 長所と弱点のあらゆる組合せが、人を助けたり阻害したりするが、人間社会でも同様である。それは集団に多様化をもたらし、疫病・気候変化・戦争の様な極限状態から、私達の一部が生き残る事を可能にする。
 そして、この異端&異能な集団に属するのがサイコパスである。

 このコストが掛りすぎる生物は、平時にあっては社会のはみ出し者であり、享楽的寄生虫にせよ、非常時にては窮地を脱し繁殖を続ける。
 これこそがラフプレイヤーの大きな利点でもあり、同時に大きな致命傷でもある。戦時下のヒーローが、戦争のない平時にては、単なる大量殺戮者であるというのは、皮肉な現実でもあるし、真実でもある。


 結局、ファロンはサイコパスなのか?答えはNOである。正確には”向社会的サイコパス”(内向性サイコパス=サイコパスインサイド)なのだ。チェックリストでは、対人関係特性と情動的特性及び行動的特性で、多くがサイコパスに該当したが。ファロンには反社会的諸特性に欠けてるのだ。怒りをコントロールでき、犯罪歴もない。つまりは、”幸運なサイコパス”である。
 
 ファロンが暴力や虐待を受けずに済んだのは、家族の支援と愛情があったからだ。つまり、この本は彼の自伝ではなく、家族の自伝でもあるのだ。


 因みに私事で恐縮ですが。私の子供の頃は暴力と虐待が少なからずあった。いや、結構あった。しかし、そこには愛情があったのも事実。でも家族の支援も愛情は少なかった。
 それでも暴力は嫌いだし、人前で怒りや感情をを顕にするのもイヤだった。喧嘩して鬱憤を晴らす位なら、家に引き籠り、苦手な宿題と睨めっこしてた方がいいと思うほどだった。

 だから、小さい頃から勉強が出来ない人種が嫌いだった。喧嘩が強くても頭の悪いヤツは大嫌いだったし、心底軽蔑した。勉強が出来ても頭が悪いヤツも厭だった。西郷隆盛みたいな、顔がでかく態度がでかいのも嫌いだった。頑固者と叩き上げ型人種が一番気に入らなかった。

 
 人生50年代に始まった自分探しの旅で、ファロンが発見した事は、その5年前には全く信じられない事であった。それは、”悪いカードを持って生まれてきても、養育によって克服可能である”という事だ。

 サイコパシーに関する諸特性や遺伝子を社会から除外すべきだとは思わない。これら特性を持つ人達を人生の早い時期に判別し、その困難を除いてやるべきだ。

 彼らは家族や友人達にストレスを与えるが、マクロのレベルでは社会に利をもたらす事もある。サイコパシースペクトラムにはスィートスポットがある(と信じたい)。25から30点台は危険だが、20点台の者は我らの周囲には数多く必要だと思う。人をワクワクさせ、適応力あるものにし、生気を保つ為の大胆さや活気や法外さを持つ人なのだ。だから、ファロンは好かれるのだ。
 

 解説では、訳者の影山氏が語る。”科学と人間学の融合と統一が、私の願いであり、目標でもある。人間学を書いた犯罪学は蒙く、理念と目標を失い易い。科学に乏しい犯罪学は根拠を欠き、危うい”と。

 これでサイコパスは終了です。次回は総集編で終りにします。長い間有難うございました。



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