戦前、常明寺では800㌔位松茸が採れたと
餅つき名人Y氏が教えてくれました。
それを今話すと、ほら吹き名人と言われてしまいますが
本当の事だそうです。
影のドンK氏の言葉を借りれば
「あっちぼこぼこ、こっちぼこぼこ」
と生えていました。
勝ち組、材木屋S氏は11年ほど前から松茸山を管理し続けて
来た人です。最初買った当時は松茸が鈴なりでした。
S氏達は売ったお金で豪遊したり、すき焼きに何本も入れたり
焼いた松茸をナス漬けでも食べるように一口で食べたりしました。
松茸山は最高の遊びだったのです。
↓1日ではけご3ツも松茸を採って得意気に写真におさまるS氏
この年は40キロほど収穫。
しかし、だんだんと年とともに採れなくなってしまい
昨年は1号山 3キロ、2号山 1.5キロ 合計でも5キロいかないまでに
減少してしまったのです。
松茸は枯れた土壌によく出るのですが、山を手入れしなくなり
腐葉土が細菌を繁殖させ松茸山は肥えた土壌に変化しました。
松食い虫や酸性雨が原因という人もいます。
環境が変わり松茸は顔を出さなくなったのです。
それでもS氏は
「あっちぼこぼこ、こっちぼこぼこ」
出る日を信じて松茸山の権利を買い続けているのです。
それを阻止するべく虎視眈々と狙う人もいます。
常明寺山を巡る男達の熱い戦いは
これからも続いていきます。
12月10日はK氏の長女のご祝儀でした。披露宴が終わってからK氏の家に呼んでいただきました。K氏は大事な娘を盗られてすっかり落ち込んでおりました。
その中に大曽根一の松茸採り名人Rちゃんの姿がありました。
心優しいRちゃんはK氏のためにと冷蔵庫から本シメジと松茸2本を持ってきてくれました。
本シメジは豆腐汁に松茸は松茸酒と焼き松茸にしました。。タザエモン君が焼き松茸を手で裂くと冷凍とは思えないほどいい香りがしてみんな歓声を上げました。
まさかまた松茸をご馳走になるとは!!タザエモン婦人も(初登場)そのすばらしい歯ごたえと香りを堪能しておりました。
幸せだ~
少し元気の出たK氏いつもの毒舌が火を吹きました。「Rちゃんまだ冷蔵庫に松茸あるんだべ!!持って来い!!」
これにはさすがのRちゃんも怒りが爆発。「あの松茸は正月用だ!!!!!」
大切な松茸を二本も提供したのにK氏のあんまりな言葉に怒りまくるRちゃんでした。常明寺の人はタザエモン君をはじめみんな人が良くて面白いですな~
その後、K氏の要望で竹の子食堂にRちゃんとK氏と私の3人で,ナメコ蕎麦を食いに行く約束をし別れました。
11月6日
松茸山最後の日です。この2ヶ月松茸で泣き笑いしましたがそれも今日で終わりです。思ったほど採れなかったのですが、酒飲んで笑って大満足の日々でした。最後の日だということで、皆でのぼりました。(H氏だけ仕事の都合で欠席。残念!!)
やはり松茸は1本もありません。ムキタケだけはいっぱい出ていました。下の写真はめずらしく松の木に出ていたムキタケ。
残しておいた最後の1本を採りました。
テントをしまい、山止めのテープと看板をかたづけ、ハウスに戻りました。例によって宴会のはじまりです。そこへ現れたのは松茸採り名人Rちゃんです。Rちゃんは毎年松茸を数㌔、本シメジを20㌔も採る大曽根一の名人なのです。気前のいいRちゃんは解散式のために松茸を提供してくれました。3本に増えた松茸。どうするのだろうとK氏を見ていたらそのままあぶり始めました。松茸ごはん以外食べた事のなかったKYUとN氏は驚き声も出ません。
あぶり終わってK氏が松茸を指で裂くとなんともいえないいい香りが漂いました。微妙な沈黙があり、山主太左エ門氏が1本目をたべました。みんな後に続き、私もおもむろに口に運びました。うま~い!! うますぎます。なんと言うぜいたく。わずか10gではありますが今まで味わった事のない感動が口いっぱいに広がりました。
こまちゃんハウスにはいろんな人が訪れます。そしてK氏の笑顔に癒されまた旅を続けます。K氏にも辛い事がいっぱいあったのにK氏は笑顔で乗り切ってきました。そんなK氏の周りに集まる人にとってこまちゃんハウスは人生のオアシスなのかもしれません。
まつたけ山 2005 終わり
常明寺1号山の5人いる山の仲間に、2本づつ松茸がわたったところで、ぱったりと出なくなってしまいました。山は赤く色づきはじめ松茸も終わりでしょうか?今山に残っているのは1本だけです。しかもナメクジにやられて痛々しい姿です。
影のドンK氏の松茸ご飯レシピ
醤油、酒を水で少し薄め松茸を生で2~3時間つける。
漬け汁だけを入れご飯を炊く。
ご飯は固めに炊く。
ご飯が炊き上がる前に松茸を入れる。
炊き上がりを待って出来上がり。