朝6時、携帯の呼び出し音で目覚めました。電話からは、太左エ門氏の高揚したした声。松茸1本見つけたのだそうです。待望の松茸です。明日まで残しておいてくれるそうで、皆で明日見に行く事になりました。
朝6時、携帯の呼び出し音で目覚めました。電話からは、太左エ門氏の高揚したした声。松茸1本見つけたのだそうです。待望の松茸です。明日まで残しておいてくれるそうで、皆で明日見に行く事になりました。
9月30日
田植えから4ヶ月。田んぼが黄金色に染まり稲刈りの時期になりました。
今ではすっかり見られなくなった手刈りで刈り取りました。刈り取った物は、昔ながらの自然乾燥をします。一味も二味も違う幻の米、奥白玉。楽しみにしてでけらしゃえ!!
舞茸採りに向かった私達は、途中のコンビニでおにぎりを買うことにしました。
コンビニの前に車を止めると、同じ地区に住むA氏の姿がありました。
A氏も私達と同じ沢に採りに行くとのことでした。狭い山なので少しガッカリしましたが、仕方なくA氏の後を追いかけました。
沢に着くとA氏はすでに出かけるところでした。
A氏は1番上のルートを行ったので私はその下のルート、太左エ門氏は
1番下を行きました。そして私達はまだ知らなかったのですが、もう1人
のじぃちゃんが沢から上へと目指していたのです。登り始めてすぐ2人
とも小さい株を2~3見つけました。30分位すると私が1K位の少し大きな
ものを見つけ今日は私の勝ちかと内心ほくそえんでおったのです。
また、さらに大物とナラの木をまわっていると、突然下から熊でも出たかと
いうような素っ頓狂な叫び声が聞こえ、少し言い争うような声もしたのです。
何事かと急いで駆け下りてみるとなんと木の周りに舞茸が鈴なりです。
今まで見た事のない光景です。私も感嘆の声を上げました。
少し落ち着くと見た事のないじっちゃんに気がつきました。
後で聞いたところでは、1分位の違いで沢からじっちゃんが来たのだそうだ。
そして「俺も目つけっだっけ~」などと言ったものだから、太左エ門氏に怒ら
れていたのだそうです。結局、優しい太左エ門氏は3株ほど分けてやり
じっちゃんは泣く泣く立ち去ったそうだ。
じっちゃんが立ち去った後、太左エ門氏の喜びが爆発、
手を上げて踊っているようにも見えました。花笠音頭のような踊りでした。
人間本当に嬉しい時はこんな風になるんですな~ かくいう私も「採ったど~!!!」などと大声をあげ写真をとりました。
(こんな時になんという不運、カメラが壊れて携帯での撮影となりました。)
採っている最中A氏も降りてきました。
A氏にも1K程おすそ分けをし感謝いたしました。
A氏が先に上に行かなかったら、私達が下のほうを行く事はなかったと思います。
こんなにひとが入るところでこれ程大きく成長する事は本当に珍しく
偶然が重なった結果でした。
帰って計量してみると私のリックサックには6.5K、太左エ門氏は10K程ありました。
他の人にあげた分を入れるとなんと1本の木で20K近くあった計算になります。
苦節20年やっと大物にありつけました。でも考えてみると
俺がさがしたわけじゃないっけ~
↓太左エ門氏の収穫
よ~しあと20年がんばっぞ!!
帰ってきてK氏の店を尋ねると大曽根の幹部の皆さんに上納金を請求され
マイタケは豆腐汁になりました。
とったど!!!舞茸、マイタケ、まいたけ20K!!!本当に舞った花笠音頭!!終わり
私達がマイタケ採りをはじめたのは20年程前のことです。私の義理の兄であるS氏に連れていってもらったのが最初でした。その日は,山に登る道が土砂崩れで通行止めでした。仕方が無いので沢を1時間半ほど上り.険しい山を2時間ほどこぎました。通行止めが良かったのか大きな株を次々と見つけました。3人で3株、20Kほどの収穫でした。嬉しかったのですが、毎年来ればそのぐらいとれるのだと思っていたのです。ところが,あれから20年、5~6Kは毎年収穫するものの,あの時ほどの大物には出くわさなくなったのです。その次の年から毎年一緒行っていたキノコ仲間のY氏は,効率の悪さと熊を嫌い,数年前から松茸だけに専念するようになってしまいました。舞茸への思いを断ち切れない太左エ門氏と私だけが残ってしまったのです。
そして23日の朝がやってきました。疲れていると話していた太左エ門氏ですが、4時ピッタシに迎えにきてくれました。これが後で大きな意味を持つ事になるのです。続く・・・