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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

フォー

2006年04月24日 | ベトナム旅行記
2005年9月18日

昨日の夕食を食べ過ぎたせいだろうか、お腹は空いていなかった。
朝食を食べなくてもいいから、このまま部屋に篭ってバスの時間までゴロゴロしていようか。
目は覚めていたのだが、いつまで経っても起きれないでいた。

そういえばまだフォーを食べていなかったな…

何気ないことではあるのだが、昨日のことを思い出しているうちに、そのことが何だか気になってきた。
ベトナムに来たからには是非ともフォーを食べてみたい気持ちはあった。
まぁそのうちいくらでも食べる機会はあるだろう。
ただ今はこうして無駄な時間を過ごすよりも、僅かな時間でも外に出る理由が欲しかった。
無理矢理やるべきことを作り上げ重い腰を起き上がらせたのだった。


GHの階段を降り外へ出ると、一人フォーを作っている屋台を探し歩き始めた。
デタム通りからファングーラオ通りへと回り、結局一周してGHに戻って来た。
店はあまりなく、フォーの店に限ってはGH下の屋台くらいしか見つからなかった。

眠れぬ夜

2006年02月23日 | ベトナム旅行記
部屋に戻るとドミの人達は2人しかいなかった。
まだ皆帰ってきていないことに少し驚く。
そうだ今のうちにシャワーを浴びてしまおう。
シャワー室はトイレと一緒になっていて、14人泊まれるドミトリーにはかなり狭い。
皆帰ってきたら、シャワーだけでなく、トイレさえ入れるか危うい。

シャワーの蛇口をひねるとお湯ではなく冷たい水が出てきた。
とても冷たかったのだが、ダラダラと流れつづけていた汗をようやく抑えることができた。

ベッドの2階に上がり、ブンブンと回り続ける天井の扇風機の下転がる。
ザックを手元に引っ張り寄せ日記帳を取り出した。
旅の記録を少しでも残して置けば、後で旅行記を書く時に参考になる。
ベッドにうつ伏せになってボールペンを手に取る。
しかし横になるとどうしてもウトウトとして気付いたら眠っていた。

隣の部屋の明かりが眩しくて夜中目が覚めた。
俺は天井に近いため電気も目の前にあるのだ。
隣の部屋とカーテンで仕切られているだけなので、隙間から光が漏れて顔に当たる。
結局2時過ぎまで電気は消えることはなかった。
ドミトリーは共同生活だから仕様がない。
文句を言いたくもなったのだが我慢をすることにした。

ベトナム料理

2006年02月21日 | ベトナム旅行記
俺は道路沿いの郵便ポストに寄り掛かりながら、走り去るバイク達を眺めていた。
10分くらい遅刻してタカシさんがやってきた。

ベンタイン市場の場外の屋台でビールとビーフフライドライス、それと生春巻を2つ注文した。
生春巻はベトナム料理で有名なものなので、かなり期待していたのだが、固い葉が入っているし思ったより美味しくなかった。
ビーフフライドライスはサイコロ状のビーフと、固いレタス、シソ、ドクダミなど香草類がたくさん乗っていた。
ドクダミは臭みが強すぎて食べられない。
ベトナム料理はおいしいという評判を聞いていたので、かなり期待していたのだがそれほどでもない。
まぁ食えないほどではないので、食料で飢える心配はしなくてよさそうだ。

全部食べ終わるとかなりお腹一杯になった。
部屋に戻ろうと歩いていると、公園でコンサートをやっていた。
駐車場は驚くほどのスーパーカブの数々。

若者やカップルが肩を寄せ合い、ライブに耳を傾けていた。
あちこちでコンサートをやっていて、町全体が賑わっている。
特設テントがたくさんあって、日本のオニギリや寿司など様々な料理が並んでいた。

ベトナムは俺が想像していたよりも近代的で自由なんだな。
華やいだ祭を横目に見つめながらGHへと帰った。

旅の終わりとサトウキビジュース

2006年02月20日 | ベトナム旅行記
河に到着し、石垣に腰掛け話しを続ける。
気付けばお互いの昔訪れた国についての話をしていた。

タカシさんは1回転職をしていた。
仕事を辞めた時に1年間の長い旅に出たと言う。
それはアジアを風が赴くままにきままに流れ去るものだった。
その旅の最後は病気にかかり、タイの病院のベッドの中だったそうだ。
自らのゴールを見つけた訳ではなく、半ば強制的にその旅が終わったのだ。

ふと、先程の会話から彼のその旅がまだ完全に終わっていないのではないのかと感じた。

それでまたこうして旅の続きであるメコン川下流を見るという冒険に出たのだろう。
だがその旅も今度は時間という壁にぶつかり、終わりが近いと彼は薄々感じていたのかもしれない。
旅の思い出を懐かしそうに話していた。



ベンタイン市場に戻り、夕飯を食べることにした。
タカシさんは飛行機の予約時間を変更するため先程の旅行会社に戻るようなので、30分後にATMの前で待ち合わせることにした。

俺は通りをうろつくことにした。
道には屋台が出ていてアクセサリーや服などが売られている。
ほとんどの服はベトナムの民族衣装であるアオザイなど女性物が中心だった。
特に足を止めてじっくりと見たいものがなく、すぐに通りの終わりまで来てしまった。

道を折り返そうかとしていると、サトウキビを道具を使って潰している人を見つけた。

「何やっているんですか?」

不思議に思いおばさんに尋ねた。
するとおばさんはコップを出してサトウキビから出てくるジュースを溜め始めた。
サトウキビを潰してジュースを作っていたのだ。
ジュースを欲しかった訳ではないので断ろうと思った。
だが俺が話し掛けたことにより、作り始めてしまったのでせっかくなので飲んでみることにした。

1杯5000ドンだった。
サトウキビの汁液に氷を入れ、練乳を加えて混ぜた。
サトウキビの味は特にそれほどしなかったのだが、まぁうまいかな。
思いがけない現地のものを飲めて嬉しかった。
飲み終わると待ち合わせの場所まで戻った。

歩く

2006年02月19日 | ベトナム旅行記
ところがどうだろう。
市場を前にして活気が感じられない。
まだ閉店時間である19時になっていないのだが、ほとんどの店が閉まっていた。

「なんだよここ、やる気ねーのか…」

昔のベトナムがどうだったのか知らないが、今のベトナムは西側諸国と関係も緊密になり特別社会主義国だということを感じることはなかった。
だけれども時々こうした場面でふと感じることがある。

何もやっていないのでは、ここにいる意味がなかった。
タカシさんが河を見に行きたいというので、辺まで歩いてみることにした。


「もうこういう旅も終なのかもしれないな…」

道路を歩きながらタカシさんが語りかける。

「前回旅したのはもう随分前になる。こうして苦労して休みを取れたとしても1週間が限度だ。短期間だから飛行機を使って移動することになる。そうすると普通にツアーで行くのと値段も内容もそんなに変わらなくなっちゃうんだよな。」

少し疑問を覚えながらも相槌を打つ。

「もう終わりなのか…」

いつの間にか真っ暗になった街並み、その片隅を河を目指して歩き続ける。
今この瞬間が一歩踏み出す毎に、すぐに過去になっていくことがとても切なかった。

自由にできる時間はもうすでに終わっていた。
そのことは分かっていた。
しかしそれでもそのことを気付かないように、そして認めないように誤魔化し続けて今までやってきた。
今タカシさんにはっきりと告げられたことにより、俺の気持ちは嘘を付けなくなってしまった。
成り行きに任せるような冒険の日々はもうすでに終わっていたのだ。

道路横断

2006年02月18日 | ベトナム旅行記
タカシさんはバスの時刻表を見るためにベンタイン市場近くのバスターミナルまで行くという。
特にやることがなかったし、歩き回って街並みを見てみたいので付き合うことにした。

バスターミナルに寄った後、通りを挟んで反対側にあるベンタイン市場に行く事にした。
道路は幅広く、走り去るバイクの数もものすごく多い。
暗くなりつつある景色に、バイクの明かりが線を描くように走り去る。

タイで道路を横断する時もなかなか骨が折れたが、ベトナムのこのバイクの大群はそれ以上だった。
なんせバイクだ。
車の大群とは違い、隙間無く走る。
だから車を避けるというよりも、自分が歩いているという事実を盛大にアピールして避けてもらうしかない。

現地の人はためらうことなく、次々と路上に出て向こう側へと渡って行く。
俺も覚悟を決め一歩を踏み出した。

遠くから近づいて来るライダーの目を見つめながら歩き続ける。
運転者の目を見ることにより、自分が何をしたいのか相手に伝わる気がした。

バイクは次から次へと俺の横を通り去っていく。
そして市場まで無事やって来れたのだった。

旅行会社

2006年02月16日 | ベトナム旅行記
旅行会社の中は日本人スタッフがたくさんいた。
そんなことからか客層も日本人が中心だった。
女性のスタッフがベトナムについて様々な情報を丁寧に教えてくれた。

雰囲気は悪くないので、メコン川1日ツアーとクチトンネル半日ツアーを申し込もうと思った。
しかしメニュー表にとあるフレーズを見つけ考え直した。

『ホームステイでウルルン滞在記のような感動を!ホタルの光がクリスマスツリーのように点滅する!』

クリスマスツリーのようなホタルの光か…
すごく見たい。

だけれどもベトナムに来る前に考えていた予定が早速狂ってしまう。
いきなりこんなことでこの先大丈夫だろうか。
軽く深呼吸をして、頭を冷やし考える。

諦めて先に進めば予定通りに楽しい旅ができるだろう。
だがそれは本当に俺が望んでいることなのだろうか。
そもそもこの旅の目的って一体何なんだろう…

答えは出なかったのだが、衝動的に予定を変更してメコンデルタ1泊ツアーを申し込む決断をした。
タカシさんは日にちがないため、1日ツアーを申し込んでいた。
俺が1泊ツアーに変更したのを見てとても羨ましがっていた。
実はタカシさんは昔メコン川流域を旅していたことがあるらしくて、今回メコン川の下流がどうなっているのか見たいためにベトナムに来たと言っていた。
タカシさんも本当は1泊くらいしてゆっくりメコン川を見たかったのだろう。

コーラを飲む

2006年02月13日 | ベトナム旅行記
近くの売店でコーラを注文した。
ビンにストローを差してもらい、簡素なプラスチックでできた赤いイスに座りながら飲む。

何だかとても不思議な感じがした。
昨日まで仕事の毎日だったはずだが、今日はこうして外国の道端でコーラを飲んでいる。
ベトナムに違和感なく馴染めていたのだが、頭の方がまだベトナムにいることを理解していなかった。

いつも海外に来る時は格安航空券を買うため、現地に着くのが真夜中になることが多かった。
そのせいか初日の昼間に時間を持てることが何だか嬉しい。

ボケーッと通りを歩く人達を見ながら、コーラを飲む。
何だかゆったりしていいな。

タカシさんとそれぞれのベトナムでの予定を語り合った。
彼は7日間しかベトナムにいられないため、ホーチミンに3日いたらすぐに飛行機でフエに飛び、そしてまたすぐにハノイまで飛行機で行くらしい。
これからメコンデルタツアーとクチトンネルツアーに申し込みに行くと言う。

通りでもらったチラシを見せてくれた。
その旅行会社は俺が行こうとしていた場所だった。
コーラを飲み終わると、一緒に旅行会社へと向かうことにした。

チェックイン

2006年02月12日 | ベトナム旅行記
GHはデタム通りのすぐ脇にあった。
思ったよりも小さく縦に細長かった。
中に入りオーナーに話し掛ける。

「部屋は空いていますか?」

するとオーナーはシングルとダブルはすでに埋まっていて、ドミトリーしか空いていないと答えた。
別にドミトリーでもいいのだが、一応部屋を見させてもらおうと、階段を上り部屋に入る。
少々汚い気もするのだが、値段には替えられない。
ベッドに荷物を置き、チェックインを済ませた。

このドミは部屋に2段ベッドが7個あり、全部で14人泊まれる。
皆出はからっているようで、部屋には入り口で見かけた男性が一人だけいた。

彼はタカシさんといって、30代の社会人だった。
関西国際空港から来たばかりという話だ。

「暑いからちょっと外でコーラでも飲みに行きませんか?」

タカシさんが誘ってくれた。
確かにドミの中はとても暑く、すでに汗だくになっていた。
大きな扇風機が天井に、小さな扇風機が壁に付いていたのだが、蒸し暑い空気が部屋にこもっている。
まだ日中だといえ、外の方が涼しそうだ。

バスで出会った人達と昼飯を食べに行く約束をしていたのだが、下にいれば来た時に気付くだろう。
階段を降りて外へと出た。

デタム通りへ その3

2006年02月09日 | ベトナム旅行記
旅慣れた日本人の女の子が着いたと声に出した。
その言葉を頼りに皆バスを降りる。

ここが安宿街の近くなのか。
想像していたよりも道路は整備されて小奇麗だ。

そういえば教えてくれた女の子が見当たらない。
彼女がいなくてはここがどこなのかすら全く分からない。
どちらの方向に向かって歩けばいいか踏み出しかねる…

5人で歩き方を眺めているとサングラスやジッポを抱えたオジサンが近づいてきた。
早速物売りに捕まってしまった。
無視していたのだが、物売りに聞けば場所が分かるかもしれないと考え直し地図を広げた。
すると物売りはこの通りを指差している。
どうやらここがまさにファングーラオ通りのようだ。

昔安宿街があったと聞いていたのだが、時代の流れとともに発展して車の往来が激しい大きな通りになってしまったのだろう。
今の安宿街は少し奥に入ったデタム通りにある。

女の子達は2人でデタム通りへと消えて行った。
残りの男2人はホテルを決めかねているようだったが、3人で同じ宿を探すといった雰囲気が感じられる。
俺は泊まろうと考えているGHは決まっているし、他の人達は俺が考えているよりも高そうな宿に泊まろうとしていた。
そこで夕飯を一緒に食べに行く約束を交わし、俺は一人目的のGHへと向かうことにした。