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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

アンコールワット旅行記おわりに

2006年01月10日 | アンコールワット旅行記
インド旅行記で『海外を旅することに緊張感を持てなくなった。目的を持たねばならない。』と文末に書き残した。
今回の旅は果たして目的などあったのだろうか。

ただ現実から離れ、誰も知らない場所できままに過ごしたい。
社会人になり塞がれていた感情を一気に放出したい。
その一心で航空券のチケットを買ったのだった。

結果極短い旅ではあったのだが、とても中身の濃い旅になった。

アンコールワットやタプローム、それにベンメリアなど名前を挙げるだけでも凄い場所に行くことができた。

しかしそれだけではない。
それにも増してアンコールワットを目指す人達の心に感動し惚れたものだ。

海外を旅していて思うのだが、海外旅行は外国の建物や人々に会うためだけに訪れるのではない。
海外にいる日本人に会うための目的もまたあると思う。

日本では絶対に出会えないような“人間臭く”そして力強い日本人達が、海外にはたくさんいる。
彼らと出会い、語り合うことが本当に楽しい。

そして自分自身、日本では臭くて言えないような言葉を吐き、そして感情あらわに怒るべき所は声を高らげ、笑う時は思いっきり口を開いた。

そうだ何のことはない。
目的などなくても海外は行くだけで充分面白いのだ。

帰り道4

2006年01月09日 | アンコールワット旅行記
バスで眠っていると気が付けばカオサンへと帰って来ていた。
明日の早朝には飛行機でこの街を去らねばならない。
だから今日は夜遅くまで、遊んでいたい。

俺はカオサンでいつも泊まっているGHで宿を取り荷物を置いた。
ダテチンもアンコールワットに行く前に泊まっていたGHの近くに部屋を借りた。

そして飯を食ったり、土産を探しに行ったりと最後の夜を満喫した。

明日は朝7時のフライトのため、その2時間前の5時には空港に行かなければならない。
乗合のエアポートバスを申し込もうと思ったのだが、朝早いためバスは出てないようだ。

ダテチンは俺よりも2時間後だったのだが、一緒に空港まで行こうと言ってくれた。
そしてそれぞれのGHへと別れるのだった。

結局床に付いたのは2時過ぎだった。
2時間も寝れやしない…。
寝てしまって果たして起きられるのだろうか。


2004 9/3

少し眠ったはずなのだが瞼がとても重い。
体を無理矢理起こして、ベッドから立ち上がる。
ダテチンとの待ち合わせ場所であるGHのフロント前で待つ。

しかし約束の時間を20分過ぎてもダテチンは現れなかった。

こんなに早い時間だ。
おそらく起きれなかったのだろう。

別れを言えずに、帰るのは少し心残りだった。
そのせいか来る訳ないと思いながらも、僅かな期待で20分も待ってしまった。

気を取り直し一歩を踏み出した。

「さぁ日本へ帰ろうか。」

通りで暇そうにしているタクシーを捕まえ「空港へ」と告げた。

帰り道3

2006年01月06日 | アンコールワット旅行記
再びバスを降りる。
すると彼女は俺の記憶を思い出させるように叫ぶのだった。

「帰りに何か買ってくれるって言ってたじゃん!」

そうだった…。

確かにそんなことを言った気がする。
あの時は再び会うことなどないだろうと思い、断る言い訳を探していたんだ。

女の子からポストカードを受け取り眺める。
そのポストカードは砂で汚れて、表面がサラサラとしている。
光り輝くアンコールワットの写真も霞んで見えた。

このポストカードは長い間買い手を求め待っていただろうか。
正直ほしいとは思わなかった。
しかし偶然なのか分からないが、再び会うことができたのだから約束通り買ってあげるのもいいだろう。

「しょうがない約束は約束だ。1セット買うよ。」

そう言うと女の子はとても喜び、手に持っていたモンキーバナナを2つくれた。
こうして彼女と再びさようならをして、バスは長い旅路に出たのだった。

聞いた話によると、昔カンボジアを旅していた日本人と現地の女性が恋に落ちて結婚したらしい。
そのような理由からか日本人の男性は女性受けがいいようだ。
彼女もそんなことを考えていたのだろうか。

日本人がモテル理由は外見が良いというよりも、金持ちだからなのだろう。
食べるのにも困るような貧しい人達にとっては、お金こそが愛なのだと聞いたことがある。

恋とは何ぞやと語る奴がいるほど、我々日本人の暮らしは裕福なのだ。
ただバスに乗ってバンコクへと帰るだけの旅だと思っていたのだが、最後にいい思い出ができた。

帰り道2

2006年01月05日 | アンコールワット旅行記
彼女も覚えているようで、俺を見つけると笑顔になって近づいてきた。
そして俺の指を差して尋ねる。

「指輪はどうしたの?」

俺は女の子からもらった腕輪はしていたのだが、指輪は邪魔なので外していた。
それを見て女の子は疑問に思ったようだ。

まさか邪魔だから外したとは言えず、何て言い訳をしようかと迷う。

「切れてなくなっちゃった…」

ふと適切でない言葉を発した自分に気付く。

「あっでも腕輪はこの通りあるし…」

すかさず腕を振り上げ、腕輪を見せた。
そのことに対して彼女は特別気にしていないようだった。


それにしても数日前のことを覚えていてくれたんだ。
まさかこんなところで再び会えるとは思わなかったよ。

「何か買って。」

そう言うと彼女はポストカードを見せた。

俺は海外に出ると本当に無駄遣いをしなくなる。
いらないものはいらないのではっきりと断り、手を振って再びバスへと戻った。
しかし席に着くと窓越しに女の子がやってきて、「外へ出てきてよ」と話掛けてくる。
やれやれモテル男は辛いぜ。

帰り道

2006年01月04日 | アンコールワット旅行記
2004 9/2

昨日朝飯を買った店に行き、再びフランスパンのサンドと肉まんを2つ買う。
GHに戻り、それを食べながらカオサン行きのバスを待っていた。

今日は本当ならバスを手配するのでなく、乗り合いのピックアップトラックで帰りたかった。
しかし明日の早朝には帰国するため、確実に今日中にバンコクへ戻る必要がある。
時間がないのでは仕方ない…。
ダテチンも同じバスでバンコクへ帰ると言う。

帰りは行きのバスよりも豪華で、その違いに驚かされた。
パンクをさせたり、時間稼ぎをする必要がないためさっさとバンコクへと客を連れて行きたいからだろうか。

バスがGHを出発すると、俺はすぐに眠ってしまった。
短期間にカンボジアの地を走り回った疲れが出たのだろう。

しばらく走ると休憩となった。
特に買いたいものはないので、席を立たずに瞼を閉じる。

しかしこれからしばらく休憩がないとなると、外の空気を吸ってリフレッシュした方がいいかもしれない。
そう思い直し外へと降りる事にした。

物売りが近寄ってきた。
その中の一人がどこかで見たことある顔をしている。

そうだ…シェムリアップに行くときだ!
あの指輪をくれた娘ではないか!!

カンボジア最後の夜その3

2005年12月28日 | アンコールワット旅行記
今後の目標と呼べるものか分からないが、就職活動をしていた時考えていたことがあった。
それは『今の自分では不可能なことを将来やる』というものだった。

当時自分のやりたい事が何なのか分からなくなり、紙に色々書きつけたことがあった。
その言葉はどれも空虚で中身がないものだった。
それは実際に手の届くものではなく、ただの願望にしか過ぎなかったからだ。

ヒロさんの言葉で『自分への投資』をしていない自分に気が付いた。
『今不可能なこと』であっても一歩ずつ取り組んでいくことが、その願望が目標へと変わる道になるのだと思う。
俺はスタートラインにも立てていなかったのだ。
その事実に気が付き、胸の深い所に染み渡った。

紙に色々と寄せ書きしてもらいプレゼントとしてもらった。
今日でヒロさんとマミさんとお別れだ。
最後にささやかな誕生日会と、とても貴重な言葉を頂きとても嬉しかった。

歩いて帰れる距離ではあったのだが、夜もかなり更けていたためバイタクに乗ることにした。
人通りのない道をバイタクで走る。
酔いを冷ますように風が吹き付けてきたのだが、今日の酔いはなかなか覚めそうにないと感じた。

カンボジア最後の夜その2

2005年12月27日 | アンコールワット旅行記
逆にヒロさんに聞き返してみた。
するとヒロさんは間髪を入れずに速答した。

「俺は社長になりたい。」

酔っていた影響もあるかもしれないが、自分の夢を堂々と言うヒロさんに俺は圧倒された。

「今度海外に語学研修に行くんだ。」

ヒロさんはこの旅を始める前に、ヨーロッパで働いていたらしい。
その関係で英語を勉強して、仕事に生かしたいということだった。

ヒロさんの仲のいい友人の言葉で、とてもヒロさんが好きだという言葉を教えてくれた。
『自分に投資をしろ』という言葉だった

「友人の受け売りの言葉なんだけれども、確かにそうなんだよ。お金は自分が大きくなれば、いくらでも稼げる。そのための自分への投資金など、今後稼げる額を考えたら微々たるものだろ。だから俺は今度の海外研修は自分への投資なんだ。」

俺はただ頷くことしかできなかった。
それは言葉に詰まったからではなく、自分自身そこまで考えて日々生活してきたのだろうか考えさせられたからだった。
この不景気の中、幸いにもやりたい仕事にあり付けたのだが、実際やりたい事はできていないのかもしれない。

カンボジア最後の夜

2005年12月26日 | アンコールワット旅行記
運転手にGHまで送ってもらい別れた。
今日一日なかなか楽しかった。
今日の出来事を噛み締め、ふと思う。

考えてみればこのベンメリアの旅も人数集めから始まったのだ。
同じことをもう一度やれと言われても、もう二度と同じことはできないだろう。
再びベンメリアに行くことはできるが、こうして最高のメンバーと旅ができたことを誇らしく思う。

皆疲れていたのだが、飲みに行こうと誘ってくれた。
実は今日は俺の誕生日だったのだ。
俺のために3人で祝ってくれるらしい。
感謝!


通りを歩くと少しこじゃれたバーがあったので入ることにした。
店内はイス席もあれば、座敷のような場所もあった。
ステージでは男女2人が民族舞踊を踊っていた。
その舞台が見える位置に陣取り席についた。

「さて、じゃあ誕生日だし今後の目標でも聞こうか?」

ヒロさんがいきなり切り出した。

目標…

なんだろう改めて考えたこともなかった。
とりあえず今年から社会人になった訳だから、今の仕事に慣れることかな…。
それではつまらないしな…。

「う~ん…30歳までに結婚することかな…。」

適当に答えた。
職場の先輩方が30を越えても結婚していない人がたくさんいたため、とりあえずそんなことを言ってみたのだった。

運転手の家にてその2

2005年12月19日 | アンコールワット旅行記
夕闇に包まれ辺りが暗くなったのと同時に夕食ができあがった。

ライスを皿の上に盛り付け、大鍋でテーブルの上に置かれたコンソメ味のチキンスープを掛けて食べる。
カンボジアの米はインディカ米なので、少しパサパサしていた。
独特の臭いがあるからスープに浸しながら食べるととても食べやすい。
チキンの小骨を口でしゃぶりながら食べた。

しばらくすると五男が学校から帰ってきた。
五男はすごくいい奴で、竹を骨組に編んであるウチワで俺達を扇いでくれた。

ダテチンが「指差し手帳」のカンボジア語を持っていたので、色々指差して会話をした。
「彼女はいるのか?」と指を差して尋ねると、笑いながら「いない」と言っていた。

ダテチンは三男と四男に誘われカエル釣りに出かけていたのだが、どうやらカエル釣りという名目で、喫茶店に入り、アイスを御馳走させられただけだったようだ。
「嵌められた!」と笑いながら帰ってきた。

楽しい時間はすぐ過ぎるもので、長居しては悪いのでそろそろ帰ることにした。

「是非明日の昼ご飯も食べに来い」とお父さんが誘ってくれたのだが、俺とダテチンは明日タイへと帰ってしまう。
ヒロさんやマミさんも明日はアンコールワットなどを回るため時間がない。

「またカンボジアに来た時に寄らせてもらうよ。」

ありがとうとお礼を言った。

これだけいい経験をさせて貰ったのだから、チップを弾ませたい。
しかし親切に対して、たくさんのお金をあげることはよくない。
調子に乗ってこれからも金稼ぎのために同じ事をする可能性もあるし何か違う気もする。
そこで一人2ドルずつ計8ドルを帰り際運転手に渡すことにした。

運転手の家にて

2005年12月18日 | アンコールワット旅行記
お父さんを車から降ろすため、運転手の家へと向かう。
途中田んぼに囲まれた場所で一回休憩をいれ、無事家に到着した。

到着するや否やお父さんと一緒に運転手も車を降りた。
もう街は近いのだから休憩するまでもないのに…。

窓ガラスから外を覗くと、運転手は「お前達も家に寄ってくれ」と微笑み掛けていた。
夕飯を御馳走してくれるようだ。

こんなネタみたいな、いや世界うるるん滞在記的な体験ができるなんて滅多にない。
色々気遣ってくれる運転手に感謝し、その言葉に甘えることにした。


お父さんは客をもてなそうととても張り切っていた。
家の牛を自慢するかのように引いてきたかと思えば、井戸水を汲み上げたり、懸垂を始めたりととても機敏に動き回った。
上半身裸になると、とても高齢だと思えぬほどの筋肉質な体だった。

三男と四男は家に帰ってくると、近くの田んぼでカエル釣りを始めた。
その傍を近所の女の子が竹籠を抱えて通り過ぎたので、捕まえたカエルを見させてもらった。
ずいぶんたくさん取れるものなんだな。

次男は庭を歩き回っていた鶏を捕まえて、調理場へと持って行く。
ただお客さん扱いされるのも面白くないので、何か手伝えることがないかと調理場へと付いて行く。
しかし調理はちょっと難しそうだった。

お父さんが家の片隅で薪割りを始めたので、これなら出来そうだと手伝わせてもらうことにした。
薪割りは小学生の頃やったことがあったのだが、なかなか難しい。
うまく割るにはコツがいるようで、お父さんのようにきれいには割れなかった。

家族の皆とともに家事ができたことで、家族の一員になれた気分がした。
とても目新しくて面白い体験をさせてもらったな。

家先では家族がジュースやビールを現地価格であろうかかなりの安さで売っていた。
夕飯ができるまで、4人でビールを飲むことにした。