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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)旅の終わり

2008年03月08日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
脇道に入り住宅街を通る。
街頭が全くなくなり、本当に真っ暗になった。

悪い予兆は事前に2回もあったのだ。
だがゴールが目前に迫り気の緩みがどこかにあったのかもしれない。
自転車は走行不可能な状態に陥り、相棒を押しながら今日のゴールを迎えたのだった。

健康ランドに着くといつもどおり風呂に入り、食堂で海老ピラフを食べる。
もはやコンビニで買った雑誌を読む気などおきなかった。

もうこれで今回の旅は終わりだろう。
いやチャリ旅自体終わりになるかもしれない。
明日にでも家に帰ろうと思った。

誰かと話がしたいと思い、チョークバッグに入れた携帯電話を取り出す。
しかし地面に打ち付けられた時に壊れたようで、画面には何も映らなかった。

心が落ち着かず何もできないのだが、何もしないと余計に落ち着かない。
眠くはないのだが仮眠室へと向かい横になることにした。

「せっかくのゴールデンウィークが残り無駄になっちゃうな…」

興奮しているためすぐに眠れるわけもなく、真っ暗な中頭の中が次々に働き始める。

「面白かったのに目的地に着くことなく、いきなり終わりか…」

つい数時間前まで走っていたことを考えると旅の終わりが突然来てしまったことに頭が理解できずにいた。
旅の終わりがこのような形で迎えてしまったことに情けなさと悔しさが胸の奥から込み上げ涙が流れた。

「いったい今まで何やって来たのだろう…」

東京からここまでの道程を思い出していた。
それは今では幻かのように儚い出来事であった。
しばらくそんなことを考えていると、いつの間にか眠りについていた。

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)気仙沼

2008年03月07日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
次第に辺りは暗くなり始め、大谷海岸の道の駅に到着した頃にはもう真っ暗だった。
走りにくくはなっているが、気仙沼に近づけば近づくほど確実に道は良くなっている。

進行方向と反対側の車線に歩道があったので、歩道に乗り上げのんびり走っていると、時折左折しようとする車が俺がいるにも関わらずスピードが出た状態で突っ込んでくる。
そのことが2回ほどあり、ちょっと頭に来ていた。

確かに国道沿いにも関わらず、街頭がほとんどなく真っ暗なため、人がいることに気付きにくいのかもしれない。
でも俺はヘッドライトを自転車に結び付けているし、疲れのためかそれほどスピードも出していない。
普通に気付くと思うのだが…

国道から県道に入ると健康ランドまでわずかな距離になった。
もう気分的には着いたようなもの。
コンビニで雑誌と飲み物を買い、パンパンになっているザックに無理やり押し込めファスナーを閉める。

顔には安堵感から笑顔が込み上げていた。
お風呂に入って、その後ゴロゴロと雑誌を読むことを想像するだけで嬉しくなってしまう。

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)リアス式海岸

2008年03月03日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
飯が食べられないためシャリバテを起こし始めた。
体内のブドウ糖が切れ、頭や体に栄養が回らない。
疲労だけでなく体のだるさも加わり気力がなくなった。

「そういえばこの辺ってリアス式海岸ていうのか…」

ふと小学校の社会の授業で習ったことを思い出す。
リアス式海岸とは山が海に沈んでできた、出入りの激しい海岸のことをいう。
どおりでアップダウンが激しいはずだ。

海岸沿いだからゆるやかだろうと思って、仙台からは内陸を通る4号をやめて、海岸沿いへと進んだのだがそもそもの失敗だった。
この先大間岬まで海岸沿いを走って行くことができるのだろうか…

先のことを考えなければならなかったが、それよりも今は今日の目的地である気仙沼まで行かなければ休めない。
今はただ目前のゴールを目指して走らなければならなかった。

15時50分海岸沿いの道を駆け下り戸倉海岸パーキングに到着した。
園内のベンチに自転車を止め、ぐったりと休む。
疲れはピークに達していた。

でもこの入り口にモアイ像があるように、そのモダンなデザインは少しは人が住む場所に近づいて来ていることを象徴していた。
事実道路の道も少し良くなり車道の脇のスペースが大きくなってきた。
車に気兼ねしないで走れる。

16時20分ようやく昼飯を食べられそうな喫茶店を見つけた。
どんなものでも構わない。
何かお腹に入れたい。
カルボナーラとアイスコーヒーを頼み、水を何杯も頂いた。
ご飯を食べると胃が動きだし、食べたはずなのにすぐにお腹が減る。
ようやく生きた心地がした。

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)北上川

2008年02月29日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
国道45号から県道197号へと乗り換える。
この道は北上川沿いの小高い堤防の上を走る道でとても気持ちがいい景観だった。
河口に近いためか川の流れはゆるやかで、その岸辺には葦が群生していた。
ぽかぽかと暖かくこのまま昼寝をしたくなってしまう。
道路脇に自転車を止め、しばらくの間休憩することにした。

北上川沿いの道は国道398号へと変わる。
それでも相変わらず見とれてしまう景観だ。
今まで走ってきた中で一番綺麗な道だと思う。
北上川最高!

14時53分とある食堂に到着した。
実は地図に「海草ラーメンがうまい」と載っていた場所で、ここで食べることを目標に昼飯を今まで我慢していたのだ。
しかし店の様子が何だかおかしい。
営業中という看板はついているものの、電気は消えガランとしている。
いかにも閉店している様子だった。

じゃあ次行くかとやすやすと割り切る訳にはいかない。
この先街から遠ざかり当分の間食べる場所などなさそうだった。

実際ここに来るまでもコンビニはおろか小さな商店さえもなかった。
ペットボトルに入れた1リットルの飲み物を全て飲み干した時、久しぶりに見つけた自動販売機がオアシスに見えたくらいだった。

「こんにちは!」

大きな声で叫ぶも返事はない。
隣にある家の中で洗濯ものを畳んでいるばあさんはいるのだが、俺に全く気付いていないようだった。
渋々と自転車に跨り次を目指した。

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)松島2

2008年02月19日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
展望台からは日本三景のひとつである松島湾の風景が見えた。
松と島と海のコントラストは、松尾芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」という感嘆の言葉を残したのではないかと言われているほど有名な場所である。

しかし自分にとってはその景観には全くと言っていいほど感動を覚えなかった。
正直観光地は遠くまで来たということを実感する指標みたいなものだった。
昔松島に来たことがあったので、当時を思い出しここまで自転車で来れた事実を噛み締めた。

松島駅近くの道路を走ると路上は車、歩道は人だかりで、とても走りにくい。
観光地と繁華街は自転車で走るのは本当に嫌いだ。
汗臭い格好は明らかに周りと比べて浮いているのが分かる。


12時になるとお腹も減ったし、何だか果物を食べたい気分なのでファミリーマートに寄ることにした。
ミカンゼリーと飲み物を買い駐車場で休む。
チャリ旅中は汗のかき具合が半端ないので、飲み物と糖分はこれでもないというくらい欲しくなる。
それに精神的に参っている時は気分転換にすぐに休憩したくなる。
1時間以上走って休憩することを目標にしているけど、それ以下の時はやはり気力が落ちている時が多いように感じる。

断続チャリ旅(仙台⇒気仙沼)松島

2008年02月16日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
2005年5月5日

7時半に薄暗いベッドルームから起き出発の準備をする。
サウナの外に出ると、眩しい光が全身を包み込んだ。
無事夜を越え太陽が出ていることに安堵する。
昨夜は太陽が出るまで走らなくてはと覚悟を決めていたので、太陽の光はとても暖かく、そして新鮮なものだった。

昨日サウナを見つけられず、ずっと走っていたらいったいどうなっていたのだろうか…
そんなことを考えるととても恐くなった。

今日の目標は気仙沼まで行くことだ。
昨日よりは楽だろうと考えていたのだが、実際道路標識で距離を見ると130キロくらいあった。
また今日も頑張らなくてはいけない。

まるまつでネギトロ丼セットを食し、国道45号を北上する。
観光地である松島に近づくにつれ道路は大渋滞になっていた。
そんな中自転車で側道を悠々と走るのは気分が良かった。

国道から脇道に入り双観山展望台へと続く道を進む。
アスファルトから砂利道になり走りにくい。
それにパンクでもすると面倒なので自転車から降り押しながら歩くことにした。
展望台の下で自転車を止め、階段を登ると双観山展望台に到着した。

断続チャリ旅(いわき⇒仙台)地獄と天国

2007年12月05日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
泊まる場所がないとなるとベンチに転がって眠ろうと考えを変えた。
だがよくよく考えてみるとここは森の都仙台である。
東北といっても大都会であるし、横になって寝るには少し寒い…
下手したら凍死してしまうかもしれない。
ここに来て寝袋を持ってこなかったことを凄く後悔した。

「しょうがない。今日は徹夜で走り通すしかないな…」

明日の目的地である気仙沼目指して夜通し走ることに決めた。
気仙沼に行けば健康ランドがあるみたいだし、着いたら昼から爆睡できる。

気仙沼で寝ることを想像することを糧に、覚悟を決めて気仙沼へと続く国道45号を目指すことにした。

「さらば仙台。俺はゆく。」

ただ眠気と疲れがペダルを漕ぐ足に重い鎖を縛り付けていたのは事実。
どうもスピードが出ない。

それに徐々に街頭のネオンが少なくなって来て、道がよく見えなくなってきた。
不安ばかりが頭の中に渦巻き、気持ちよく走ることなんてできない。

ダラダラと走り続けること数分、国道45号に乗り換え走っていると突如通りの反対側にサウナと書かれた看板が目に入った。
砂漠で遭難した人が何もない場所なのにオアシスが見えてしまうような錯覚にも似た感覚でかと思い、我が目を疑う。マジか…
目を凝らして看板を睨み付ける。

「や・やはり…サウナだ!!やった!!!!」

駐車場に自転車を停め中に入る。
震える体を湯船で温め、24時半にようやく今日の寝床に着くことができたのであった。
とても暖かく夢のような幸せな気分であった。
でも初日からこんなんじゃ本当先が思いやられるよ…

断続チャリ旅(いわき⇒仙台) カプセルホテル

2007年12月04日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
国道6号に戻り再び走り出す。
もう17時を回り太陽も沈み掛かっていたのだが、まだ仙台まであと53キロもある。
すでにかなり疲れているため本当に仙台まで行けるのかかなり不安になる。
ただ徐々に涼しくなってきているので、走るには大分いい気温になってきた。
行けるところまでのんびりと行こう。

ヘッドライトを取り出し、自転車に結びつける。
電池が切れそうなのか、細々とした光を前方に灯しながら仙台を目指す。

20時に岩沼の空いた松屋でチキングリルを食べた後、21時半苦労の末ついに仙台に到着した。
勾灯台公園駅まで行き、今日の寝床として予定していたカプセルホテルを探す。
しかしどこにも見つからない。
コンビニに自転車を止めて手当たり次第カプセルホテルに電話を掛けてみるのだが、どこも満室だという。

なんだかだんだん腹が立ってきた。
本当に今日はゴールデンウィークなのか?
通りには飲み会を終えて騒ぎまくる酔っ払いどもや、寄り添うカップル達で溢れていた。
う・うぜぇ…

「誰がゴールデンウィークだというのに、こんな安いカプセルホテルに泊まるんだよ!みんなもっといい所泊まれよ!」

そんな言葉を声を大にして叫びたかった。
こんな大型連休にカプセルホテルをなぜ利用するのか全く理解ができない。
まぁ俺もそのうちの一人に含まれるのだが…

断続チャリ旅(いわき⇒仙台)大洲海岸

2007年11月30日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
国道6号とは一端さようならをして県道74号に乗り換えた。
わざわざ乗り換えたのには訳がある。
県道74号はまさに言葉のとおり海の上を走っているのである。
正確にいうとここは大洲海岸と呼ばれる砂浜であり、左手には松川浦、右手には太平洋と海に囲まれた道路なのだ。

風により砂が道路上に溜まっている箇所が所々あり、とても走りづらい。
それに期待していただけに海に囲まれた道路という印象も思ったよりも薄かった。
ただ松川浦は海苔の養殖をしているようで、たくさんの竹竿が海面から垂直に立ち並んでいたのは綺麗だった。

国道6号に戻り再び走り出す。
もう17時を回り太陽も沈み掛かっていたのだが、まだ仙台まであと53キロもある。
すでにかなり疲れていたので本当に仙台まで行けるのかかなり不安になる。
ただ徐々に涼しくなってきたので、走るのには大分いい気温になってきた。
行けるところまでのんびりと行こう。
ヘッドライトを取り出し、自転車に結びつける。
電池が切れそうなのか、細々とした光を道標に仙台を目指す。

断続チャリ旅(いわき⇒仙台)ほっき飯

2007年11月24日 | 断続チャリ旅(いわき⇒平泉)
国道6号を北上し、南相馬市に辿りついた。
食堂の前に幟が出てほっき飯という言葉が目につく。
すでにお昼の時間も過ぎ、14時を回ってお腹も減ったし食べてみるか。

ほっき飯とは東北地方の郷土料理で、ほっき貝の煮汁を炊き込みご飯にして、その上に殻を外した身を乗せた丼系の食べ物であった。
俺が寄った店は値段は結構高かったがほっき貝がこれでもかというほど乗せてあって、腹を膨らますのに十分だった。

店でルートを確認した後、出発しようと自転車の前に行く。
すると店の旦那が外に出てきた。

「これからどこ行くの?」

今日は仙台まで行って、最終的には青森まで行きたいと答える。

「そうか。これでも飲みな。」

そう言うとリポビタンDを渡してくれた。
その親切な気持ちがとても嬉しかった。
こういった旅は旅先で出会った人達に支えられながらあるのだなと改めて思う。
疲れていたので肉体的にも精神的にもリポDは回復効果があった。
さてまた頑張りますか。