goo blog サービス終了のお知らせ 

混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

断続チャリ旅(千葉⇒水戸)水戸到着

2007年04月06日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
ひたちなか市まで走ろうと当初の予定では考えていたのだが、雨や風の影響であまり進めなかったから、水戸で今回のチャリ旅を終わりにしよう。

コンビニで休憩を取りながら、海岸沿いを北上する。
大洗を通り過ぎてついに水戸に到着した。

道路脇では子供達がススキの穂を持って遊んでいた。
小さな折り畳みチャリに大きなカバンが乗っている俺の姿に興味を持ったのか、そのススキの穂でペシペシと叩いてきた。

水戸駅が次回チャリ旅を始めるスタート地点となるため、自転車をエレベーターで駅の改札階まで運ぶことにした。
人が行き交う改札前を通り過ぎ、駅の正面に自転車を止め写真撮影をした。

するとその様子を見ていたオジサンが声を掛けてきた。

「どこから来たの?」

遥々千葉から走ってきたと答えると驚いたように笑っていた。

千波湖沿いに続く県道50号はとても綺麗だった。
夕焼けが今回の旅のゴールを祝福してくれた。

自転車を通りに止め、芝生の上に座りながら沈み行く太陽を眺める。
オレンジ色に輝く光と紅葉が湖に映っていた。
普段ストレスに侵された心が洗われる気がする。

太陽も沈んでしまうと、再び自転車に跨り、今日の宿であるユースホステルに向けて出発した。

断続チャリ旅(千葉⇒水戸)雨と風

2007年04月04日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
鹿島サッカースタジアムを通り過ぎ、トンネルを潜り鹿島灘に出る。
トンネルを抜けた瞬間激しい風が吹き抜けた。

ペダルが突如重くなり、前に全く進まない。

「ググッ雨の次は風かよッ!」

風が強いのは雨以上に難関であった。
なんせ今まで進んでいた距離の半分しか同じ時間で進めなくなるのだ。

自転車で走っていると言うよりも、その場に止まっていると言った方が正しいのではないかと思えるほどの低速で走る。

こんな過酷な状況にあるにも関わらず、顔は自然と笑っていた。
頭にはとある曲の歌詞が浮かんでいた。

何でこんなに苦しい思いをしているのに、このチャリ旅を続けるのか。
その理由が何となく分かった気がする。

ただ純粋に自転車で日本を縦断したい。
その一見無意味に思える行為が忘れかけていた自分、つまり幼い頃感じていたあの気持ちを呼び起こすのだろう。
遠い昔の自分に出会うために、俺はこのチャリ旅を始めたのかもしれない。
今の時代がむしゃらにやることがカッコ悪いとされているが、そのカッコ悪さが俺にとっては好きだった。

気がつけば雨は止んでいて、晴れ間さえ見られるようになっていた。

チャリ旅(千葉⇒水戸) 鹿島神宮

2007年03月27日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
2005'11/12

出発の準備を済ませ玄関に出る。
自動ドアの外は雨雲が太陽を隠し薄暗く、雨が全てを薄黒く染めていた。

朝から雨が降っていると心理的にとても辛い。
これから雨に塗れるために、わざわざ外へ出ないといけないのだ。
パッキングを済ませたザックを開け雨具を取り出す。

国道124号を走り、一端昨日休憩をしたマクドナルドまで戻る。

途中でやめてしまった伊豆へのチャリ旅を除けば、雨の中まともに走るのはこれが初めてだ。
強い雨に打たれながら黙々と自転車を漕ぐ。

通りを歩く人達は当たり前だが、傘を差し極日常的な生活をしている。
俺は雨の中、ただ北へ目指しひたすら走り続けなければならない。

しかしそんなことは言っても無理をして走り続ける必要はないのだ。
訓練でもなければ、任された仕事でもない。
もちろん応援してくれる人もいる訳ではないし、自分自身で決めたことだ。

時折自分が何をやっているのか分からなくなる、そんなこの旅への嫌気にも似た気持ちが心の底で酷く襲い掛かってきた。

木滝交差点で左折し、鹿島神宮へ向けて走る。
鹿島神宮近くの閉まった商店の店先で雨宿りをしながら地図を広げる。
せっかくだから鹿島神宮を通って行くことにしよう。

鹿島神宮は雨がシトシト降り注ぎ、樹木に囲まれている砂利道がとても幻想的だった。
自転車を降りて、境内を歩く。

中は雨のせいか人もまばらで、木々から滴る雨音だけが響き渡っている。
拝殿の前で自転車を停め写真を撮った。

こうしたちょっとしたイベントがチャリ旅に彩りを添える。
今回の旅の安全を祈り、鹿島神宮を後にした。

チャリ旅 神栖

2006年10月16日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
今日は神栖町の健康ランドで泊まることにした。
本当ならもう少し進みたかったのだが、この先にしばらく気軽に泊まれる健康ランドがなかった。
時間はまだ3時過ぎでいつもと比べ時間は早い。
今日は健康ランドでゆっくりできそうだ。

国道124号に入ると、もう到着した気分になりイオン脇のマクドナルドに入ることにした。
さてあとは健康ランドに行くだけだ。
雑誌と飲み物を買い、それらをハンドルに引っ掛けて走り始める。

辺りは暗くなり始めていた。
道は直線なのだが、歩道は段差があり走りずらい。
予想と反してなかなか宿に到着できないでいる。

まだ着かないとはおかしい…
コンビニに入り道を尋ねると、30分くらい過ぎ去ってしまったことを教えてくれた。
無駄な労力を使ったことに愕然としながら、元来た道を戻る。
もう早く着こうという気はなく、今は黙々と無心でペダルを漕ぐ。

健康ランドに到着した時にはいつもとほとんど変わらない時間になってしまった。
お風呂に浸かった後、食堂で中華丼を食べながら明日のルートを考える。
できれば東海村あたりまで明日は行きたい。
思ったより距離を稼げないもどかしさを感じながらも、時間を掛けて日本を縦断しようと考えているのだから、そう焦る必要はないことを考えていた。

断続チャリ旅 茨城県突入!

2006年10月06日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
県道44号に乗り換え東へ進む。
お昼になり、どこかで昼食でも食べようと思うのだが、県道ということもあり店が全く見当たらない。
とりあえず目標を道の駅くりもとと決め、黙々と走った。

畑が周りを囲む中に小奇麗な道の駅があった。
自転車を止め、地元の特産物である野菜達を食べる。
県道に入ってから休憩をあまりしなかったこともあり、疲れが出始めた。
一回座ってしまうと再び立ち上がるのは勇気がいる。

出発してしばらくすると街が賑わってきた。
ついに利根川に到着したのだ。
この橋を渡ると茨城県だ。

橋を渡るのと同時に県を跨ぐ。
その瞬間がとてもうれしい。
ただ地名が変わること、それだけで今までとは違う新しい場所に来た気分になり新鮮な気持ちになった。

断続チャリ旅 空港

2006年07月31日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
成田空港に近づく度に、道路脇に駐車場が増えてきたように感じる。
始めは何でこんな場所に駐車場があるのか不思議だった。
空港までまだ遠いはずだ。
歩いてなど行けないのにどうしてこんな場所に駐車場があるのかと…

だが考えてみれば納得できる。
一日のうちに成田空港を利用する人は何十万人といるのだ。
全部車で来る訳ではないのだが、その何割かは利用しているのだろう。
その全員が空港に駐車したら堪ったものではない。
それに料金も空港よりも安くすれば少しくらい遠くても客は付く。
恐らく駐車場から空港まで巡回バスか何かが用意されているのだろう。

俺は海外に行く時はいつも電車なので、車で来た時の駐車場所や手順など全然知らない。
あくまで想像に過ぎないのだが、いつもと違った成田空港の一面を見た気がした。

チャリ旅 成田

2006年07月28日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
千葉駅周辺は大きな道路が迷路のように行き交い、頭上にモノレールが走っている近代都市といった景観だ。
目的の道路である国道51号に乗ってしまえば後はしばらくひたすら走るだけなのだが、51号が見つからない。
以前房総半島一周チャリ旅をした時も、そうだったなと思い出す。
通りを歩くおばさんに声を掛け、何とか51号に出ることができた。

国道51号は平らな道が続き、ペダルを漕ぐだけで距離が稼げる。
ウォーミングアップとしてはもってこいだ。
体のエンジンが温まったところで成田に到着した。

国道295号に乗り換える。
成田といえば日本の外国との玄関である成田空港がある。
上空には轟音を響かせた飛行機が引っ切り無しに飛んでいる。
飛行機が管制塔と連絡を取り合い、着陸許可が出るのを今か今かと待ち構えていた。
何もない空であっても、渋滞するのだ。
空を見上げる度にどこかに飛行機の姿が見えた。

断続チャリ旅(千葉⇒水戸) はじまり

2006年07月24日 | 断続チャリ旅(千葉⇒水戸)
2005'11/11

早朝、千葉駅に押し寄せるサラリーマンの中、一人大きな輪行袋を抱えて立っていた。
ここから遥々北海道の最北端の地である宗谷岬まで自転車で行くのだ。

今年のゴールデンウィークに真鶴から名古屋まで自転車で走ったのだが、名古屋より先となると新幹線に乗らないとスタート地点まで行くことができない。
今回は短い週末を利用してでの旅なので、お金を掛けて遠出するよりも日本を縦断するために比較的近場から攻めようと考えていた。

なぜここ千葉駅から始めるのかというと、今までチャリで走った明確な最北端の地は千葉駅だった。
それは学生の時に房総半島を一周した時である。
当時は日本縦断の予行練習のために房総半島一周したものだったが、まさかその予行練習が縦断の一部になってしまうとは夢にも思わなかった。

輪行袋から顔を覗かせたのは、名古屋まで行った時と同じ折り畳み自転車だった。
当初スピード面の問題からカスタムしようと考えていたのだが、適当なタイヤやパーツが見つからなかったためカスタムできずにいた。
本来ならばカスタムしてから旅を続けたいといった気持ちもあったのだが、「カスタムするのを待っていられない」「何か熱いことをしたい」という気持ちに突き動かされて急遽今回の旅が始まったのだった。