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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

ペルー旅行記 クスコ入り

2006年11月30日 | ペルー旅行記
飛行機は30分遅れてリマを出発する。
窓から見える光景は山岳地帯の広大な平原から、次第にホオズキのような橙色をしたレンガの屋根に変わっていく。
1時間ばかりでクスコに到着したのだった。

バゲージクレームでバックパックが流れてくるのを待つ。
イギリスのテロのおかげで面倒になったものだ。
ペルー国内は特にチェックは厳しくなかったのだが、面倒が起こるのも嫌なので機内に持ち込まなかった。

近くに旅行会社の窓口を見つけた。
時間を持て余していたので、店員に声を掛ける。

「明日朝発のマチュピチュまでの電車のチケットはありますか?」

店員はあると言い値段を示した。
おおっ!期待が大きくなってきた。

バックパックを拾い上げると、通りでタクシーを捕まえ駅の窓口へと急いだ。

ペルー旅行記 薬局探し

2006年11月29日 | ペルー旅行記
そういえば昨日GHで高山病予防に『soloche pills』という薬を飲んだから全然問題なかったと言ってた人がいたなぁ。
日本にいる時よく登山をしていたので高山病になることはないだろうと思うのだが、せっかくの旅行を苦しい思いをして過ごすのは嫌だ。
薬を飲んでおくのも悪くないかもしれない。

薬局を探すのだが、なかなか見つけることができない。
インフォメーションを見つけ、お姉さんに尋ねる。

「え~と…」

薬局の場所を尋ねようとしたのだが、肝心な単語を思い出せなかったので、何とか身振り手振りで高山病予防の薬がほしいことを伝えた。

「あなたはドラッグストアを探しているのね!」

「そう、ドラッグストア!」

文法はメチャクチャだったが必死になれば通じるものだ。
少し高かったのだが、『soloche pills』を買うことができた。

ペルー旅行記 クスコへ向けて

2006年11月28日 | ペルー旅行記
朝GHのみんなにあいさつする間もなくタクシーで空港へと向かった。
少し寂しさを感じたのだが、いつだって旅とはこんなもんだ。

空港に入るとラン航空の搭乗手続きに長蛇の列ができていた。
俺はスターペルー航空だったため、搭乗時間にはまだ時間がある。
空いているカウンターを悠々と通ることができた。

空港内が混んでいる理由は国内線が遅れているからだった。
そんなこともあって早朝GHを発った昨日一緒に酒を飲んだ広島大学の学生達に出会った。

「また会いましたね。」
「次は多分マチュピチュでまた会うだろうね。」

明日彼らもマチュピチュに向かうと言っていた。
マチュピチュといえどもそこまで広い場所ではないのだから、再び会う可能性は限りなく高い。
見知らぬ土地で少しでも知っている人がいると気分的にほっとするところもある。
軽く立ち話をして別れた。

ペルー旅行記 チケット

2006年11月20日 | ペルー旅行記
オーナーにパソコンを借してもらい、メールをチェックする。
実は未だマチュピチュの麓町まで行く列車の予約ができていなかったのだ。

マチュピチュまで行く交通手段は唯一、この列車のみ。
さらに旅行者用列車は一日に3便しか出ていないのだ。
そのためピーク時には列車の予約なしで乗ることはできないという話だ。

今回の旅は時間がなかったため、明後日早朝発のチケットが取れなければ、マチュピチュは諦めなければならなかった。
ここまで来てチケットが取れなかったら、ペルーに来る目的の半分以上なくなってしまう。

日本にいる時、ペルーの旅行会社2件に問い合わせたのだがもう間近では予約ができないと断られていた。
そこで直接鉄道会社にメールで予約をしようと日本を発つ前に問い合わせていたのだった。

鉄道会社からメールの返信が届いていた。
ドキドキしながらメールを開ける。

Sorry, but you can make reservations just until 5 days before your trip.

どうやら5日前までなら予約ができたようだ。
どうしても欲しかったら直接駅の窓口で買ってくれといった内容だった。
そこには駅の窓口の営業時間が載っていた。

絶望感に襲われた…
ひょっとしたらマチュピチュに行けないということが本当に現実に起こるかもしれない…

明日は日曜日だ。
日曜日は全ての旅行会社がお休みだとガイドブックに載っていた。
駅の窓口も午前中で閉まってしまう。

GHのオーナーが「日曜日でもやっている旅行会社はあるよ」と教えてくれた言葉を信じるしかなかった。

ペルー旅行記 GH到着

2006年11月19日 | ペルー旅行記
気づけば車はGHに帰っていた。
ずっと眠ってしまっていたようだ。
バジェスタス島に行けなかったこともあったのだが、予定時間よりも早く帰って来れた。
足元に置いたロモサルタード弁当を手に取り、運転手にお礼を言った。

ロビーではたくさんの人達が集まっていた。
弁当を電子レンジで温め、コカチャのティーパックにお湯を注ぎソファーに付く。

明日日本に帰る人もいれば、明日クスコに旅立つ人もいる。
そうここリマはペルーの首都であると同時に海外との玄関でもあるのだ。
多くのペルーを旅する人は、ここから各地に向かい出発しここから日本へと帰っていく。
俺も明日はマチュピチュ目指してクスコに向かう予定だった。

ペルー旅行記 地上絵フライト3

2006年11月11日 | ペルー旅行記
時間の経過とともに、激しい揺れとカメラを覗き込む作業に耐えられなくなってきた。
写っているのかさえ怪しいカメラを撮る作業を諦め、直に窓の外を覗き込むことにした。

はぁ、気持ち悪ぃ…
早く飛行場に戻りたい…

こうして全ての行程を終え、飛行場に生還した。
フラフラになりながら飛行機から脱出する。
これほどまでにセスナ機は揺れるものだと思わなかった。
こいつはトラウマになりそうだ…


さて、これからまた長い時間を掛けて元来た道を帰らなければならない。
休む間もなく、車に乗り込み昼食の弁当を受け取る。
いくら昼時といえども、とてもじゃないが今食べることなどできやしない。
弁当を足元に置き、シートにもたれ掛かった。

「食べないんですか?」

後ろから声が掛かる。

「はぁ…」

全く動かない俺を見てすかさず声を返す。

「おいしいですよ。」

「…」

まさかと思い後ろを振り返ると、おいしそうに食ってるではないか。
さすがだ、姉さん…

あれだけの揺れに対して気持ち悪くなるどころか、油っこいロモサルタード弁当をおいしそうに食べているなんて…
よく女は男より強いというが、確かにそうだな…

ペルー旅行記 地上絵フライト2

2006年11月05日 | ペルー旅行記
次に見えてきたものが「宇宙飛行士」だった。
少し小高い山の上に描かれたその絵は凄くはっきりしている。

「おぉすげぇや…」

先ほどの鯨と比べて、明らかに何ものかを描いている様子は、感動ものだった。
カメラを地上に向けて、「宇宙飛行士」を追いかける。
だがその濃淡があまりないため、デジカメの画面にほとんど映らない。
そこでおそらくそこに地上絵があるだろう場所に向けて何枚もシャッターを切った。

大きく旋回して、「猿」へと向かう。
地上絵は限られた場所に密集しているようで、それらをお客さんに見やすくするため思いっきり船体を倒し回っていく。
その度に体に掛かる激しい重力に耐えなければならなかった。
飛行士が「あれがコンドルだ」などと地上絵のある場所を指す度に、皆一斉に地上絵を探し、カメラを向ける。

ペルー旅行記 地上絵フライト

2006年11月03日 | ペルー旅行記
その後ナスカ市内の観光用セスナの飛行場へ向かった。
数十分待たされたが無事飛行手続きを済ませ、飛行士が迎えにやって来た。

乗客は今回のツアーメンバーの3人と欧米人の2人、それと飛行士を加えた計6名だ。
全ての人が窓側の地上絵が良く見える場所に座れるのだが、セスナは小型のため運転席のある前方席の方が比較的広くなり、後ろの席に行くほど狭くなる。
飛行士の気配りで、一番体の大きな俺は運転席の隣の一番いい席に陣取ることができた。

プロペラ音とエンジン音が響き渡る。
滑走路を今にも壊れてしまうのではないかと思うほどのすごい振動の中走る。
ふわっと不安定なまま浮かび上がるとすぐに上空に辿り着いていた。

「あそこに鯨がいるだろ。」

第一の地上絵は鯨だった。
だがどこにいるのかよく分からない。
無数に延びる線の中、急いで鯨を探す。

見つけた…

本当に小さすぎてこれではすぐに見つけられなかったのももっともだ。
自然にできたものを鯨と人が名付ければ鯨に見えなくもない。
思わず笑ってしまいそうになった。

ペルー旅行記 地上絵

2006年11月02日 | ペルー旅行記
乾いた硬い大地のキャンバスに、誰かが悪戯書きしたかのように地上絵は描かれていた。
道路脇には柵がひかれ何千年も前に描かれたその絵を現在も汚されることなく守っている。
ミラドールからは通称「手」と呼ばれるものと、「木」と呼ばれるものを見ることができた。

こんなこと言うと失礼なのかもしれないが、その遠い昔の遺産を前に何だか有り難味を感じられない自分がいた。
想像したよりも地上絵が小さかったこと、そして誰かが描き直しているのではないかと思うほど、はっきり描かれていることがその理由だろう。
あまりに広大な地上絵を頭の中に描いていたため、そのギャップの狭間に現実の地上絵と頭の中の地上絵とが同一のものだと理解することができないのかもしれない。
だけれども今本物の地上絵の前にいるのは事実なのだ。
そこから見える光景を眼に焼き付るよう努めた。

ペルー旅行記 ミラドール

2006年10月27日 | ペルー旅行記
ナスカまでは車の中で眠った。
バジェスタス島に行けなかったので、みんなテンションが下がってしまったのだろう。
言葉少なげだった。
途中眼が覚めフロントガラスから外の様子を伺う。
あれだけ降り続いていた雨は止み晴れ間さえ見えるようになった。

ナスカへの道は砂漠といっていいような荒廃した土地だ。
その砂地が雨により塗れた車に纏わりつきとても汚くなっている。
このどこまでと続くパンアメリカン・ハイウェイを時速140キロは越えているだろうか、空を飛ぶように地上を走り回った。

ミラドールに到着した。
昔地上絵を研究していたマリア・ライへにより建造された展望台で、少し高い位置から地上絵を眺めることができる場所だ。
地上から地上絵がある方向を見ても、どこにあるのか全く分からない。
上へと延びる階段をドキドキしながら登った。