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風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き水彩画「日本のゴッホ。破天荒な異端の洋画家『長谷川利行展』を見る=愛知県碧南市でのスケッチ会②」

2018-08-23 06:28:20 | アート・文化

 
愛知県碧南市へ出かけた水彩画教室のスケッチ会では、同市内にある藤井達吉現代美術館で開催中(9月9日まで)の「長谷川利行展」も見てきました。

素早く荒々しいタッチで原色を塗り重ねた油彩絵。定住することなく、酒を浴びるように飲んで描き続け、49歳で没した破綻の人生。
日本のゴッホと呼ばれる長谷川の作品を前に、絵とは何か、描くとはどういうことなのかを考えさせられたひとときでした。

長谷川利行(はせかわ としゆき1891~1940・明治24年~昭和15年)は京都府出身。
短く異端、破天荒ともいえる放浪人生から、詳しい資料は乏しい洋画家ですが、藤井達吉現代美術館の学芸員の説明や、今年6月19日付朝日新聞夕刊の美術欄「美の履歴書」に掲載された長谷川についての作品と記事などによれば、長谷川はかなり多感な青年だったようです。

裕福な実家で育ち、和歌山の学校で学ぶと小説や詩を書いて同人誌や歌集を出す一方、水彩画を描くなどしていましたが、30歳のころ画家を志して上京。絵画をきちんと学んだことはなかったのに、熊谷守一や麻生三郎らと交流を深めます。

絵を専門的に学んでいなかったにせよ、20世紀初頭からフランスを中心にヨーロッパで台頭していた、個性あふれる大胆な構図と荒らしい筆づかいで表現するフォービスムの影響もあったでしょう。
他に類を見ない画風が画壇に衝撃を与え、二科展で連続受賞するなど一気に才能が開花しました。

ところが、才能とともに持ち合わせていたのが放浪癖と大変な酒好きだったといいます。
父の死で送金が途絶えると、生活はたちまち破綻しました。

簡易宿泊所や救世軍宿泊所、友人のアトリエなどを渡り歩き、酒を飲んで絵を描く。絵を売って酒を買い、飲み、描く。
日本画界の巨匠になった東山魁夷も、若いころ初めて買った絵が長谷川の絵だったといわれています。

好んで描いたのは関東大震災から力強く復興する東京の街、下町の庶民の生きざまや人物画でした。震災現場で救援作業に従事したことも無関係ではないでしょう。

瞬間を捉え、一気に描く。油彩画1枚を小さな作品なら30分で仕上げる、という速筆だったそうです
しかし、生き方が変わることはなく、友も失いながらも酒と絵筆を離すことはありませんでした。

酒の飲みすぎによる胃潰瘍が悪化。路上で倒れて東京市養育院に収容され、胃がんのため見送る人もなく49歳で亡くなりました。わずか20年の絵画人生でした。
養育院で手にしていたスケッチブックも、規則で焼却されたそうです。作品の明るく力強い風景とは裏腹に、どこまでも不遇な人生だったと言えそうです。

戦後、残された作品が次々に見つかり、近年も続いているようです。
以前、テレビ番組「開運!お宝鑑定団」に長谷川の「カフェ・パウリスタ」(53.0×72.8)が出品され、鑑定結果は1800万円。その後、この絵は東京国立近代美術館が購入し、今回展にも展示されています。

展覧会には、風景画や人物画など約140点が展示されています。その1枚、朝日新聞夕刊で取り上げた1932年(昭和7年)の作品「水泳場」に、しばし足が止まりました。


関東大震災の復興事業として隅田川べりに整備された公園のプールで、はしゃぐ大勢の子どもたちや大人たちを捉えています。
隅田川の流れや行き交う船、画面の右上方に描かれた遊泳者が飛び込む姿からも、復興の進捗と人々の喜びが伝わります。

感じ捉えたものを、迷いなく一気に描いたことが分かります。そこにはうまく描こうとか、うまく見せようなんて考えは微塵もなかったでしょう。

※写真は展覧会の案内パンフから。