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きゅうちゃん出たとこブログ

行きあたりばったりの人生、そして愉快な仲間達との日々をちらほらと・・・

映画 『遺体 明日への十日間』

2013-03-14 13:54:44 | 映画

高岡市の映画館では、15日を最後に上映が終了してしまう


遺体 明日への十日間


東日本大震災で被災された方々の気持ちにわずかでも寄り添い、

不幸にも犠牲になってしまった方々へ心を込めて祈り、

あの大混乱の中 被災されても尚 必死で活動された大勢の方々、

今現在も続く復旧復興に尽力されている全ての方々に敬意を払い、

そしてこの映画を製作した監督スタッフ俳優陣の覚悟を想い、

今ここで何不自由無く生きている者の責任として、

観ておかなければならないと思い足を運んだ。


言える事は、感想を述べる映画では無いという事と

やはりこれは “映画” なんだという事。

実際は私の想像をも遥かに超える、より悲惨で過酷で壮絶極まるものだったと思う。

それでも伝えるべきものは、この1時間45分の中に詰まっていた。


自分はある意味使命感のようなものを感じて観に行ったが、

ほんのわずかでも鎮まりつつある悲しみや、思い出したくもない辛い体験を、

わざわざ掘り起こしたり 疑似体験しに行く必要は全く無いと私は思う。


風化させてはいけないと言うが、

富山県という震源地から遠く離れた場所に住む私ですら、

あの時の記憶はそうそう消せるものでは無い。


もう2年だが、 “まだ” 2年しか経っていないのだから。





映画 『テッド』 を観た。

2013-02-07 11:40:23 | 映画

ぬいぐるみ(2等身に限る)を 愛で操る事に極上の喜びを感じる

好きな遊びは “おにんぎょうごっこ” 一端の変人きゅうです、ども。


人形やおもちゃが動き出す映画は数あれど、未だかつて 

こんなキュートで間抜け面なクマが主人公の映画があったであろうか。

ぬいぐるみ使いのひとりとして、これは観なけりゃ一生後悔すると

昨日のレディースデイをめがけて行ってきた。



『ted』



人間が年をとれば “おっさん” “おばさん” に変化するのと同様

愛くるしいテディベアだって姿かたちは変化せずとも、魂を持てば同じように成長する。





これから映画館やDVDで観ようかなって人もいるかもしれないので 詳しく書かないよ。

まぁ えげつないジョークと皮肉の中にも

バック・トゥ・ザ・フューチャーやスター・ウォーズ、ETにエイリアン…etcと

80年代の数々の映画のオマージュが散りばめられており、

全編にわたり、 主人公のテッド 監督 脚本 原案 製作と一人5役を務めたセス・ マクファーレン氏の 映画愛 がビシバシと伝わってきた。

確か、『宇宙人ポール』もそうだったっけ。

最近のオマージュだらけの手法もどうなんだろう?と思うところではあるけれど、

映画好きにはたまんないんだろうな~。

いいです。 アリです。 オオアリです。(笑)

映画館にガンガン鳴り響く クィーンの“フラッシュのテーマ”もサイコーでした。


ひとことで言えば、この映画 “テッド”は          そのもの。


祈りはイコール愛


って事です。

あとは観てのお楽しみ。

そんじゃアタシは “テッド” のぬいぐるみを血眼で探しに行くとするか。

ばいばいき~ん。











『善き人のためのソナタ』を観た。

2013-01-11 20:51:53 | 映画


先日から、中国当局による同国の週刊紙「南方週末」の記事が改ざんされ 記者らが抗議していた問題について、

新聞紙上やニュースで色々取り沙汰されてるよね。

検閲当たり前の中国政府による言論統制は、ここにきて揺らぎはじめているのか。

これが 言論 報道 表現 『自由』への革命の一歩だとすれば、是非とも中国国民の方々には全力で戦っていただきたい。

そう思う きゅうです、ども。


そして、ベルリンの壁が崩壊する前のドイツにも 悲しいかな そんな時代がありました。

『ドイツ民主共和国』 通称 『東ドイツ』 かつて社会主義国だったこの国でも、

国家保安省(シュタージ)による国民の監視が徹底され、言論の自由などは無いに等しかったと言われています。

もちろん個人の自由な政治思想も許されず、反体制的であるとされた者は逮捕され禁固刑が課される。

そんな時代の東ドイツを描いた問題作、


『善き人のためのソナタ』


を観ました。 正確には、あまりに感動し 繰り返して2度観た。

きゅうお勧めの映画で、みんなに観てもらいたいから作品資料から少しだけ。

1989年のベルリンの壁崩壊は、冷戦時代の終焉を告げる出来事として人々の記憶に残っている。
しかし、旧東ドイツでその支配中枢を担っていたシュタージについては、統一後も、長い間映画のテーマとして描かれることはほとんどタブー視されていた。
そして17年を経た今、ようやく人々は重い口を開き当時の状況を語り始めた。
初監督作にして世界で大絶賛を浴びるのは、弱冠33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。
取材に4年を費やし、秘密組織“シュタージ”の内幕を描いた本作は“近年のドイツでもっとも重要な映画”と称賛された。
出演は、自身も監視された過去を持つ東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミューエ。変わりゆくヴィースラーの哀しみと歓びを静かに物語る。
  goo映画より。


偏見 差別 不信感から人と人との繋がりや絆を壊していく、理不尽で愚かな国家による監視態勢。

その中枢であった 秘密警察・諜報機関である国家保安省シュタージ

そのシュタージ、ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)が主役の物語。

国家に忠誠を誓うヴィースラーが、劇作家のドライマンを監視する中で “善き人のためのソナタ” という美しいピアノの調べに出会う。 

それらの『自由』で温もりある文化が 冷徹なヴィースラーの奥底に眠る “善き人” に語りかける そんなお話。


そして、主役のウルリッヒ・ミューエは、実生活で十数年間 自身の妻に密告され続け、国家保安省の監視下にあったことでも知られている。


とにかく、じわりじわりと感動する珠玉の名作 だと思う。(アタシはね)

よかったら是非。




最近、ドイツ映画にハマっているんだけど、そもそもが日本にきてないんだよな~。

ヴィム・ヴェンダースなんかは、アメリカへの憧れと拒絶が入り混じる西ドイツらしい作風で、それはそれで好きなんだけど

東ドイツの保守的な感じも凄くイイ。 でも作品が少ない。(笑)





映画『十三人の刺客』再び。

2012-12-12 21:37:44 | 映画


先日、己の士気を高めるべく 『十三人の刺客』 を観た単細胞のアタシは

まんまとマインドコントロールされ、気分は完全に武士

只今 サムライeveryday 、きゅうです ども。


もうね、セリフがね、耳からこびり付いて離れんのですわ。


例えばさ、



命を惜しんだ方の負け。 預かったそなた達の命、使い捨てに致す。 (このギリギリ感が堪らん!)


とか、



己が命を失おうとも 相手を五体満足にしておくな!  (不退転の決意で挑む男の中の男!)



他にも、



わしの背後に抜けた者を斬れ。 一人残らずだ!  (伊原剛志サマ…素敵すぎます。)




あと、世界の山田が 一世一代の大勝負に出る際に、愛する女に言ったセリフ。



女(吹石一恵) 「いつ帰って下さるの?」


山田   すぐ戻るさ。 それがもし遅ければ お盆に帰ってくる。 迎え火焚いて待っててくれ。




な、な、な、なんじゃそのかっけーセリフ。反則だろそれ。 カッコよすぎて禿げそうだわ。


もうね 他にもいっぱいあってさ、男臭さK点超えのセリフが満載なんだよ。

アタシってばさ、心にグッとくるセリフは何故か頭に自然と残るタチでね、

それからはもう 頭ん中はサムライ、まじサムライ。


ヤバイ、早く現世に戻らねば。




十三人の刺客

2012-12-03 22:18:35 | 映画


ドタバタな日々を送っております、さすが師走としか言いようがありません。 きゅうです、ども。

とか言いながら今日は、数日分の食材の仕込みをしながら



『十三人の刺客』 を観ておりました。



アタシの大好きな、伊勢谷クンに 伊原剛志サマに 世界の山田に… イイ男達の『クローズZERO』時代劇版を、

ヨダレもんで観ておりました。


すっかり日本を代表する “バイオレンス映画の監督” という代名詞を 手中に収めた三池 崇史監督ではありますが、

以前、「俺は暴力を撮ってるんじゃなく  を撮ってるんだ。」 と仰ってるのを何かで読んだ事があります。

愛が無くては、バイオレンスシーンは撮れないらしい。


さて、江戸幕府史上最悪の暴君を暗殺するため立ちあがった13人の刺客。

そしてアホ暴君と認識しつつも、全力で守り抜かねばならぬ家臣達。

それはどちらにとっても正義。

その正義と正義がぶつかり合う 生死を賭けた男臭いガチンコ勝負。

一番の見どころ殺陣シーン、あの中では さすが近衛十四郎の息子とあって 遠山の金さん…いや、松方弘樹氏がズバ抜けていた。


また、1人1人に与えられた ドラマティックな殉職シーン。 

それはまさに『太陽にほえろ』。 (ボギーーーーーィ!)


いや~、こーゆーの好きなんスわ、アタシ。

アタシも負けねぇな~んて、素敵にテンション上がってくるわけですよ。


という事で、ほぼ毎日更新していた きゅうブログ、しばらく不定休となります。(って、突然どういう繋がりや!?)

先月から、大方予想はしておりましたが とんでもないスケジュールに 毎日寝に帰るだけの日々となる事に相成りました。

死んでも風邪はひけない雰囲気となっておりますので、健康には十分気を付けます。ご安心を。(え!?心配して無いって?)

そして、毎日楽しみにしていたブロ友さんのお宅訪問も、しばらくお預けとなりそうです。

一段落したら 一気読みさせていただきますぞ。


と、散々言っておきながら、何か一言二言 更新してたら笑えるな。 (たまに覗いてくれてもいいぞ)


んじゃ、アタシも戦ってくるべ。




きみに読む物語と玉ねぎと更年期?

2012-11-30 16:23:06 | 映画

あれ?なんだろ、きのせいかな? 明日から12月なんだって?


と、そんなアタシの力では 到底抗えない事実に激しく動揺し、

心のゆとりは一切消滅状態の きゅうです、ども。


何から手を付けてよいのやら、スケジュールがぐちゃぐちゃで (それに比例するかの様に家の中もぐちゃぐちゃ!?)

今年の12月だけは45日程あってほしいと、パンをムシャムシャかじりながら現実逃避するアタシ。

そうそう、ブログを始めて800日だったらしく、記念にテンプレートも変えてみた。


え?だからどう?って感じなのですが…  

この文脈も支離滅裂なとこが まさに今のアタシの精神状態を如実に物語っているわけで…。(北の国からの純風に)


ちょいと今後の予定を、シュミレーションしながら頭の中で構築させるべく

特に深い意味は無いが、玉ねぎのみじん切りをしながら考えてみる事にした。

あーだこーだと考えながら、TVに目をやると 映画の


『きみに読む物語』


をやっていた。


今回はレビューじゃないのであらましなんかは書かないけど、

実はこの映画 以前に観た事があり、今回2度目。

そもそもベタなラブストーリが苦手なアタシ。 

前回観た時、「あぁ、そうきましたか。」と この映画に関しては程良く感動した記憶があった。

それが今回どうした事でしょう。

玉ねぎのせいなのか何なのか、




猛烈に号泣です。




不覚にも鼻水垂らして泣きました。

旦那くんが留守でホント良かった。 (聖子もビックリ、マスカラお化け誕生)

この5~6年の間に何があったのか知りませんが、こんなに受け止め方が変わるものだとは思いませんでした。(確実に歳はとりましたけど それが何か?)

いや、ただの情緒不安定ってやつかもしれんけど。

なんかよーわからんけど、テキトーにがむばる。







映画 『まわり道』

2012-11-26 22:37:49 | 映画


「都会のアリス」「さすらい」と並んで表される ヴィム・ヴェンダース監督 ロード・ムービー三部作の一本。


『まわり道』 を観た。




作家志望なのに人間嫌いの主人公ヴィルヘルムは 何かを書きたいのに書けない、そんな焦燥感にかられる日々を送っていた。






そんなヴィルヘルムに母親は、


「作家になろうと思ったら、憂鬱と不安は失わない方がいい。自分を追い詰める為の旅をしろ。」 と助言する。


可愛い子には旅をさせろとはよく言ったものだ。


そしてその旅まもなくして、大道芸人の老人ラエルテスと口のきけない少女ミニョン、

美しい女優テレーゼ、若い詩人ベルンハルトと行動を共にする。

彼等と様々なことを語らいながら気ままな旅を続けていくヴィルヘルム。

やがてヴィルヘルムはテレーゼと愛し合うようになるが、ふとしたことで諍いを起こした一行の旅は

終わりに近づいていたのだった。






一行と散り散りになったヴィルヘルムは、ツークシュピッツェの山頂に登り 1人奇跡を待った。





当然だが 何も起こらず、

思わず 「無意味なまわり道ばかりしているようだ。」 と呟き、物語は終わっていく。



なんだろな、そもそも“まわり道”なんてもんは、目的地からこれまでの自分の道程を振り返って見たときに気が付くものであり、

未だ小説が書けていないこの男がこのセリフを吐くのはまだ早い と、アタシは思うわけで…

しかし、1970年代の西ドイツの情勢は 見事にこの主人公の心情と重なりあっているような気がする。


序盤より、耳障りにも思えた不安をあおる様な劇中の不協和音。

それと共に進められていく旅の先々での出会いと出来事。

それは この主人公にとっては必然な出会いとドラマだったのだろう。

ラストでは心地よくすら聞こえだした和音が アタシにそう思わせた。

決して無駄では無い“まわり道” そう思いたい。



そうそう、この映画には まだ無名時代のナターシャ・キンスキーが出演している。




これがデビュー作、まだ14歳だというのに この色気。

映画『テス』での美しさ、そしてエキゾチックな妖艶さはすでにこの時点で完成形。

彼女の少女時代を拝めただけでも 観た甲斐アリの作品でした。




映画 『他人の顔』

2012-11-21 14:57:53 | 映画


「砂の女」「箱男」などの小説で知られる作家 安部公房氏、最初期の未発表短編が見つかった事で 再び注目を浴びているわけですが、

本日はその安部公房の小説で、本人が脚色を手掛け、 勅使河原宏が監督をした映画



     『他人の顔』


について書こうと思います。


むか~し読みあさった安部小説だが、正直 ひとつとして読み込めていない この事実。

まぁ、アタシの頭がクルクルパーなのも原因なのだが。

特に 「箱男」 なんて、比喩が何を表現しようとしているのか理解しようと試みると、もう脳が爆発しそうだったもん。(笑)

でもこの方の小説は難しいけど面白い。


そして監督は 草月流三代目家元、安部氏の友人でもあり シュールでオリジナリティ溢れる映像美が海外からも評価の高い 勅使河原宏氏。

昔、勅使河原宏監督 岸田今日子主演の 「砂の女」 を観た事があるが、前衛的な映像と音楽が不気味な恐怖を誘い、

あまりの不条理に呼吸をするのも苦しく 昆虫採集にやって来た男(岡田 英次)が気の毒で気の毒でならなかった覚えがある。


今回の 「他人の顔」 は、顔に大火傷をおってしまった男が、妻との関係を修復する為、まったく他人の顔を医者に作ってもらうという、

ザックリ言うと そんなお話。

さすがに細かい解説は、ボキャブラリー難民のアタシには無理なので、(つーか、記事書くのに30分以上は絶対かけたくないボク。毎日更新する為の秘訣) 

そこはお世話になってるgoo様の 「goo映画」 の解説文を拝借して書いてくとする。(なんかエラソーに今回も違法行為しまくり)



手違いから顔に大火傷を負い、頭と顔を繃帯ですっかり覆われた奥山(仲代 達矢)。
彼は顔を失うと同時に妻や共同経営者の専務や秘書らの対人関係をも失ったと考えた。
彼は妻(京 マチ子)にまで拒絶され、人間関係に失望し異常なほど疑い深くなる。






のっけから不気味です。




そこで彼は顔を全く変え他人の顔になって自分の妻を誘惑しようと考えた。
病院を尋ねると精神科医(平 幹二朗、看護婦 岸田今日子)は仮面に実験的興味を感じ、
彼に以後の全行動の報告を誓わせて仮面作成を引受けた。







やたらセリフが多いのは気になったが…。



彼は頭のレントゲンを受けながら、ふと以前見た映画中の旧軍人精神病院で働く美しい顔に、ケロイドのある娘(入江 美樹)、
ある夜戦争の恐怖におびえてか、兄に接吻を求めた娘、そして夜明けの海へ白鳥のように消えていった娘の姿を思い出すのだった。





「入江美樹」、  世界のマエストロ小澤征爾氏の奥さまです。

数少ない映画作品のひとつ。 透き通る様な美しさに鳥肌が立つ。



そして彼は或る日医者がホクロの男の顔型を借りて精巧に仕上げた仮面、



その他人の顔をした仮面をつけて街へ出た。
ビヤホールでは女給の脚に目を奪われた。医者はそれを仮面の正体の現われと評した。





彼はアパートに二部屋をとり他人の顔になりきろうとしたが、
管理人の精神薄弱の娘(市原 悦子)に繃帯の男だと見破られた。






市原悦子氏、全く変わっていない事に あなたこそ仮面を? と思ってしまった瞬間。




しかし会社の秘書が気付かないと分ると、彼は妻(京マチ子)を誘惑し姦通した。
妻を嫉妬し激しくなじると、彼女は初めから夫であることを知っていたと告げ、立去った。






彼の人間に対する猜疑心が和らぎ 昔の様になれるならと、亭主の悪趣味な誘いに騙されたふりをした結果がこんな事に。

互いの気持ちを確かめあいたい、同じ思いの夫婦なのに 見事にベクトルは違う方向へと向かってしまう。

浅はかな考えが招いた男の自業自得だが、なんとも皮肉な…。



彼は夜更けの通りを歩きながら、「自分は誰でもない純粋な他人だ」と咳き、衝動的に女を襲った。
巡査は診察券を持つ彼を気違いと思って医者を呼んだ。医者は仮面の返還をせまった。
彼がこばむと「君だけが狐独じゃない。自由というものはいつだって狐独なんだ。剥げる仮面、剥げない仮面があるだけさ」と彼を避けるように歩き出した。





包帯で身体も精神も雁字搦めだった自分が、他人の仮面を付けた事によって嫌悪感から解き放たれ、自由を手に入れたと思われたが それは全くの幻想で、待ち受けていたのは孤独だった。

なんか気の毒なんだよな、この主人公も。

仮面を手に入れる代償が妻との別れだと もしわかっていたら、彼はきっと違う行動を起こしたに違いない。



「顔」 「顔面または自己の喪失」 とは、一体何なのか。 

なんとなく掴めそうになると、ドンと突き放される。  これが安部文学の醍醐味でもあるけれど…。



更に医者が「君は自由なんだ。自由にし給え」と彼をふりきるように言うと、彼はいきなり医者からナイフを奪うと刺し殺した。





これも、仮面を作った事の代償ならば この精神科医の役割って何んだったんだろう…。



彼等の背後を同じ顔をした群衆が流れてゆく。




小説とは多少違う部分もりますが、面白い作品だったと思います。

まぁ、ある意味ホラーかミステリーです。

怖いです。



そして、もうちょっと気のきいた感想など述べられたらヨカッタのですが

なにぶん当方悲しき凡人ゆえ、これ以上の事が書けません。

あしからず。





都会のアリス

2012-11-10 00:49:51 | 映画


蒲田のヌーヴェルヴァーグ、そして 日本映画史上 三大巨匠のひとりとも称される 小津安二郎


その小津安二郎氏を敬愛する ドイツの映画監督、ヴィム・ヴェンダース

彼の“ロードムービー3部作”と呼ばれる作品の第1弾、



『都会のアリス』 (1973年 作品) を観た。


あらすじは というと、


アメリカ東海岸をさすらうドイツ人青年フィリップが、旅行記の仕事を諦めて帰国を決意する。彼が空港で出会ったのは、同じくドイツに帰ろうとしている9歳の少女アリスとその母親リザだった。リザからひと足先にアリスをアムステルダムに連れて行ってほしいと頼まれたフィリップは、やむなくそれを受け入れるが、現地でいくら待てどもリザは現れない。フィリップはアリスを車に乗せ、彼女の祖母が住むドイツのヴッパタールに向かう。

                                                    (ザ・シネマ)より



記者である主人公フィリップは、思う記事が書けなくて行き詰っていた。

ポラロイドカメラでひたすらアメリカの風景を撮るが、映し出されるのは空虚。

心の惑いが 向かうべき道を見えなくしてしまっている。





これが 「ドイツ表現主義」 と言えるのかは分からないが、

影やコントラストを多用した 粒子の粗いモノクロの映像で、行き場の無い閉塞感が全体を覆う。

そこにひょんな事から一緒に旅をするはめになったアリスが登場。

完全1人称で進められてきた物語に躍動感が生まれる。





この小生意気なアリスが可愛いんだなーもう。(笑)

主人公のフィリップは見事に振り回されちゃう。






「母親に捨てられたのかもしれない」 という不安を抱えながらも気丈に振る舞うアリス。

表面上は、フィリップが迷い子のアリスを保護しているかに見えるが、実際保護されているのはフィリップの方だ。

フィリップが飛行機の中から撮ったポラロイド写真を見て アリスはこう言う。


「きれいな写真。 空っぽね」





ずばり フィリップの心を見抜くセリフをアリスに言わせている。



また、言葉遊びを楽しむ二人。 あるワードが出来上がった時に アリスは言う。


「“夢”なんてないからダメ。 ある物だけにして」




と。

しっかり現実を見ているのは寧ろアリスの方。



そして、アリスはフィリップの顔をポラロイドカメラで撮ってやり、出来上がった写真を渡して こう言う。


「自分がどんなか分かるわ。」




夢見るフィリップに現実を見る様促すセリフ。



ヴィム・ヴェンダースの映画の魅力は、無駄な説明は完全に排除し 映像と役者の表情、それと詩的なセリフ。

それですべてを表現しようとするところ、だとアタシは思う。


時には疎ましくも感じたアリスを、フィリップはこの旅でかけがえのない存在へと変化させていった。

それこそが、「心の再生へ」の旅の終焉であり、

そして「希望へ」の旅の始まりでもあったのだ。






二人 何かが吹っ切れた様な表情で電車の窓から風を浴びる空撮シーン。

引きの画面いっぱいに現れる 雄大な山々や田園の様に、二人の顔も清々しく晴れやかだった。




映画 『NINE』 を観た。

2012-09-26 08:43:49 | 映画


このクレジットを見ただけで、期待感と不安感が交互にやってくる。


よーこれだけのネームバリュー揃えたもんだわ。


なんかわからんけど、ミュージカルってなってるし それはそれはド派手でゴージャスなんじゃね?


って事で、観ちゃいました。



              『NINE』




イタリアが世界に誇る映画監督、グイド・コンティー二。だが豊かなはずの想像力が突如として消え果てた彼は、9作目となる新作の脚本を一行も書けずにいた。決まっているのは主演女優だけなのに、刻々と迫る撮影開始日。追い詰められた彼は、ついに新作の記者会見から逃げ出し、海辺のホテルに身を隠す。そこで人生に影響を与えた美しき女性たちの幻想に逃避し、現実世界では呼び出した浮気相手と妻に救いを求めるグイド。だが間もなく、プロデューサーに居場所を突き止められた彼は、また映画製作という戦場に連れ戻されてしまう…。

                                           goo映画より




こ、これは…。




「踊る大捜査線」 ならぬ、 「踊るカラオケマイク争奪戦」




ーサブタイトルー が、

脚本は書斎で書かれてるんじゃない。 ベットの上で作られてるんだ!




うん、これでキマリ。


まぁ女にだらしのない マエストロちょいワルおやじ(ダニエル・デイ・ルイス)が、9作目の脚本が突然書けなくなり


ママン(ソフィア・ローレン)、ワイフ(マリオン・コティヤール)、僕の可愛いベイビー達(他大勢)


に助けられながらも苦悩する話。


助けられてるのに苦悩してるって、もの凄く効率が悪い様に思うけど


実際そうなんだ。


自分が蒔いた種に振り回され、書けない事に苦悩してんのか 女性関係に右往左往してんのか 見ていてよく分からない。


なんなんだ、このだらしなさ。 ったくよー。


大沢親分だったら 「喝!」 の千本ノックを浴びせているだろう。


市川崑監督の 「黒い10人の女」 を思い出しました。


殺人計画を企てられないだけマシだけど。



それにしてもこの 『NINE』 歌が完全に独立してて


豪華女優陣のミュージッククリップを観ているかの様だった。 (なんだかなー)


ミュージカルってこんなだっけ? 違うよね。 (多分な。)



んーが、しかし、


ファーギーの 血湧き肉躍る 「Cinema Italiano」。 これはド迫力もん。(ブラボー! パチパチパチ)




               





あと、貫禄の ジュディ・デンチと (注・ペギー葉山ではありません。)



               




存在感のソフィア・ローレン。 (姉さん! いつまでもついて行きまっせ!!!)



               



は、拝めただけでヨシとしよう。




まとめますとね、 面白くないとまでは言わないけどー、



賑やかなBARのスクリーンに流しておいてくれたら丁度イイ的な映画とでも言いましょーか…。



女優陣の層をヘビー級にしても、映画はモスキート級並みに軽かったという不思議な現象。




                


女優だよ!全員集合。