*午後5時のお茶会*

美しい聴衆の集まる時間

☆ピアノメモ☆

2012-10-07 22:55:30 | 日記
「よく音をききなさい」ってレッスン時によく言われると思うんです。

そのとおりです。

よく聞くべきなんですが、でも、聞き方を工夫しないと本当に「ただ聞いている」だけになってしまいます。聞いたからってどうしたら曲が良くなるのかもわからないし(少なくとも私が学生時代の時はわからなかった)結局先生に言われるがまま、どの音を大きく出そうとか小さくしようとか、そういう話になってしまいます。

それでも曲は出来上がります。整ってきれいに曲がしあがるでしょう。それもレッスンの受け方としては間違っていないかもしれません。

でも先生がいなくなっちゃうと「やっぱりどうしていいかわからない・・・」
これが一番厄介です。音楽を自分ひとりで楽しむことができないなんて。。。

音を聞く・・・・とは?
自分がこれから弾こうとする音を聞くためにとても神経を使います。

でも「音がどこで鳴り終わるか」は聞いているだろうか。今弾いている音はどこで終わって、次のどんな音と重なっているのかをちゃんと聞いているだろうか。

音を聞くとは、無音になっているところも聞くということなんじゃないかと思うのです。

ピアノの場合、音は伸ばせば伸ばすほど減衰して小さくなっていきます。
和音のバランスを保ちたければ、長く伸ばしている音に対して重ねていく音の音量も自然にわかってくるのではないでしょうか。

少なくとも、曲の最初から最後まで緊張感をもって弾くことができます。改めて「こんな曲だったのか」と発見もあるかもしれませんね。

先生に習うことも重要だけど、自分ひとりでできることも増えていくはずです。

☆ピアノメモ☆

2012-10-07 22:52:54 | 日記
数を数えるということを考えていました。

曲には拍子があって、2拍子・3拍子・4拍子(もっと複雑なのもありますが・・)のどれかに決まっていて、弾かなくても拍子をみるだけでだいたいどんな方向性の曲なのかがわかる時も多いです。特に3拍子。皆がもっている3拍子のイメージはだいたい同じなのではないかと・・

譜読みをするときに、まず音をひろっていくわけですが、ただ順番に左から右へ音を弾いていくだけだとなかなか曲が弾けるようになりません。曲と自分との関係性が全くないまま音が連なっていく感じで、弾いた気がしないし暗譜もなかなかできません。

一拍をいくつの音に分割しているのだろう。

どうやらこの「分割」が重要なのではないかと思うのです。

クラシック曲は拍子によって決められた数だけ分割されていて、どうがんばっても増やしたり減らしたりできるものではないし、だからこそ美しいというか・・・

一拍をどのように感じるかで自然にその人の個性もでるし、自分と曲との繋がりを深めることができるので感情と音との温度差がなくなっていく感じがします。