*午後5時のお茶会*

美しい聴衆の集まる時間

楽器を選ぶことについて

2014-08-02 17:12:08 | 日記
はじめに誤解がないようにことわっておきますが、最終的には演奏は楽器の良し悪しは関係ありません。どんな楽器でも感動的な演奏はできるものです。どんな楽器でも機会があれば喜んで演奏します

だけど、私は楽器にこだわりたいのです。なぜかといえば、楽器が私を成長させてくれるから。なので、そんなに頻繁にはできないかもしれないけど、自分ひとりで曲と楽器に存分にむきあえる良い楽器を使ったソロコンサートは私にとっては必須なんです。

「良い楽器」は、コントロールがむずかしいです。表現できる音の幅が広いため、不用意にたたけばものすごくやかましい音になるし、自分のやりたいことなんてできないくらい楽器にふりまわされてしまいます。

でも、うまく鳴らせば限りないインスピレーションを与えてくれます。自分の想像をはるかに超えた世界に私を連れていってくれるというか・・・。

ところが、「この楽器、弾きやすいね」というピアノが最近増えました。この前のコンサートの終演後にそこのサロンのオーナーでもある調律師の高木さんとも話しましたけど、「弾きやすいね」の裏には、とんでもないピアノ芸術の危機がかくされていると思うのです。

誰もが弾きやすい、ということは苦労なくそれなりの良い音がつくりだせてしまうということです。ある一定以上の出来にはなるでしょう。良い音色には違いないのだから。でも、それは人の想像を超えるような世界ではないし、肝心なその人の個性や、曲の個性も失われてしまうことにもつながります。

ピアニストも弦楽器や管楽器の人のようにもっと「楽器」について探求するべきです。