展示も終わりに近づくと、靖国神社に神として祀られている方々の写真、約4000点が展示してある場所に近づいて行くのです。
遊就館の展示でも最後に位置する、靖国に祀られている方々の写真。もちろん、写真がほとんど残っていない戊辰戦争で亡くなった方の写真はなく、ほとんどが近代戦、特に大東亜戦争で亡くなった方々です。
特攻隊員とこどもの頃友好のあったフィリピン人画家の書かれた絵。本人と日本兵の遊んでいる様子です。靖国神社に展示してあるものではなく、ご本人から私がコピーを頂いたものです。
写真一枚が15センチ×10センチ程度。名前、年齢とともに戦死・病死された場所と年月日が記載してあります。多くの写真をパッと見渡して、やはり目に入るのはフィリピンで亡くなられた方々の写真です。ほとんどが私よりも若い方たち。一番多いのは20~25歳ぐらいでしょうか。
同じ日本人、戦後60年の間にそう日本人の顔が変わるわけもなく、自分のクラスにもいそうな顔が沢山並んでいます。私が普段フィリピンに連れて行っている学生とほとんど同世代です。そういえば、はじめてフィリピンに行った高校3年生の時こんな出来事がありました。
1994年、大学入学が決まり、時間のあった私は友人の紹介でフィリピンの孤児院を訪れる事になりました。当時17歳。英語もろくにできず、アポなしで訪れた私を施設の牧師さんをはじめ、こどもたちやスタッフは暖かく迎えてくれました。
1ヶ月少しの滞在の後半、フィリピン人の友人と近所を散策していた時の事です。ある家のおじいさんが声を掛けて来ました。日本人か?と聞いてきます。そうだと答えると色々な話をしてくれました。英語があまり分からなかったので、話し全部はわからなかったのですが、どうやらおじいさんの兄弟は戦争中に日本軍とアメリカ軍の戦闘に巻き込まれて亡くなったそうなのです。
そして、戦争中のイメージから日本に対するイメージは悪く、戦後も日本からの買春ツアーやヤクザに関するニュース、そしてエコノミックアニマルと呼ばれていた日本人のイメージが決して良くなる事はなかったそうです。
そしておじいさんは私にこう聞いてきました。「フィリピンに何をしに来たのか?」と。私は孤児院の壁を修復する作業をしている事や、こどもたちと毎日遊んでいる事を話しました。すると、おじいさんが目に涙を浮かべて手を握ってきたのです。私は思いがけないおじいさんの行動にビックリしてしまい、戸惑いました。
おじいさんは「君のお祖父さん世代は多くのフィリピン人を殺した。私の兄弟もそうだ。でも、その孫の世代の君はフィリピン人を助けに来てくれている。日本人は変わったんだ。死ぬ前にそれがわかって本当に良かった。」と言ってくれたのです。
それまで、戦争なんて私には関係ないと思っていました。教科書の上の出来事と思っていました。でもこのおじいさんの言葉を聞いて考えが変わりました。戦争を体験した人は日本人もフィリピン人もまだ大勢生きている。その孫だからこそ、お互いの国の理解と友好を深める為にできる事がある筈だと。
それ以来、多くのフィリピン人に戦争中の話を聞くようにしています。そして、その度にこのおじいさんの事を思い出します。その後は一度も再開する事がなかったおじいさんの事を。