「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その7~

2005年07月06日 | 「靖国神社へ行こう!」

さて、前回の意見とはまた異なる意見や視点をご紹介します。

意見1:
戊辰戦争での官軍側の犠牲者を弔うために「東京招魂社」が建てられた。(その後、名称が靖国神社に変わる)日本の「神社」というのは喧嘩両成敗的というか、戦争が終わったなら敵も味方もなく「その戦争の犠牲者を」悼むケースが多いように思う。

また、菅原道真や崇徳上皇、平将門のように、むしろ敗残の側を「祟り神」として祀り、鎮魂を願うというケースも多い。戊辰における官軍といえば勝った側である。勝った側の犠牲者だけを弔うというのは、「俺達勝った。偉かった。仲間が死んで哀しい」という、なんとも勝者中心的な思想であり、また戦争が終わったのに敵味方の区分を残すという意味でも、いわゆる「神社」とは異質である。

故にわざわざ「東京招魂社」という名称にして、「神社」を避けたのではないかなあ、と私は考える。上記の通り、施設の性質を考えるならばこれは明らかに「神社」ではないから。

(中略)

「『靖国神社』という名前の軍人慰霊施設」は、果たしてそこまでして「首相が公式に」赴くべきところだろうか。あそこは少なくとも歴史的に見た場合には「神社」ではないし、第二次世界大戦の全犠牲者を悼む施設でもない。

意見2:
靖国神社というのは、日本が「大東亜共栄圏」構想のもとにアジア侵略を重ねていた頃に天皇が国家の英霊(戦没者)を祀る神社としたところです。つまりは侵略戦争時の精神的支柱、神国ニッポンの象徴であったわけです。

中国や韓国からすれば、日本の国家の最高責任者が日にちを定めて公式に(公務として)靖国神社を参拝する事は、アジア侵略戦争時の精神を失なわず、天皇を中心とした神の国であるぞ、という事を追認しているように見えるのだと思います。

A級戦犯を分離して、というような案があるようですが、靖国公式参拝ということ自体が中・韓両国にとっては特別な意味を持つように感じられるのだと思いますので、完全に了解してもらえる対策だとは思えません。

日本側としては、国が方針を間違った為に、国が殺してしまったともいえる戦争の犠牲者に国家の最高責任者が公式に手をあわせる(詫びる)といった意味合いが強いのでしょうが、戦時中の精神的支柱であったところを今もなお公式に参拝しようとする態度は誤解を招いても仕方のない側面も確かにあると思います。

次回もまだまだ意見紹介。みなさんも考えて見て下さい。

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