「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その5~

2005年07月04日 | 「靖国神社へ行こう!」




さて、もうひとつの話があります。私の団体ではフィリピンでボランティア活動を3週間体験するワークキャンプというものを実施しています。3週間の間に、一般家庭でのホームステイを4日間入れています。

2年前の事です。学生は2人一組になってホームステイをします。私は様子を見るために、毎食ごとに家族をまわって、家の様子を聞いたり通訳をしたりしています。ある時訪れたホストファミリーはその地域では珍しい木造の家でした。

その過程でホームステイを受け入れてくれたのは65歳のおばあさんとその家族。夕食をともにしながら話していると、おばあさんはこんな事を言いました。「実はこの家、戦争中は日本軍の事務所として使われていたのよ。」

思いがけない言葉に私は思わずドキッとして家の中を見回しました。確かに、戦前からあるような重厚な作りの家です。しかし、ここが日本軍の事務所として使われていたとは。ここでひとつの疑問が起こりました。

ここが事務所として使われていたと言う事は、おばあさん達はここに住めなかったんじゃないかと。そして、家を追い出されていたと言う事は日本人に恨みがあるんではないか。なぜ、日本人のホームステイを受けいれたのか。その疑問を率直に投げかけてみました。

するとこんな返事が返ってきたのです。

「確かに家を追い出されて畑の中のボロ家に住んでいたよ。でも、そんな私たちを心配して若い兵隊さんたちが毎日食料やお菓子を持ってきてくれた。全然怖くなかった。」

「戦争が終わって家に戻った時も、家のものはしっかりと壊されずに残っていた。だから日本兵に悪い印象はなかったんだよ。だからみんなを見るとその時の事を思い出すよ。6歳だったけど、良く覚えているよ。」

その若い日本兵はどんな顔をしていたのでしょう。きっと優しい笑顔の方だったに違いありません。飾られた4000枚の写真の中にその人がいるかも知れません。やはり歴史はつながっている。良い面も悪い面も私たちにしっかりとつながっているのだと感じました。



この展示を見て感じたことですが、ここでは日本軍・日本兵と言ったカテゴリーではなく、そこに関わって亡くなった方々の「個」が存在しています。そしてその「個」には父や母、兄弟と言った家族がいます。単に250万人が祀られていると言っても、そんな数字だけで片付けられるものではなく、その「個」につながる歴史や家族があるのです。

イラク戦争でも民間人が何人、米兵が何人と数字で見ると無機質に見えますが、実際には一人ひとりの人生や家族を取り巻く「個」が亡くなっているのです。1人が亡くなって悲しむ人が20人いるとしたら、250万人では5000万人が悲しむのです。

遊就館の展示を見ると、その事を強烈に意識させられます。もちろん、そこの展示のほとんどは日本人です。しかし、そこでしっかりと想像力を働かせればそれは日本人だけではなくどこの国でも同じだと言う事がわかるはずです。

戦争では「個」が埋没してしまいます。それが怖いところでもあります。靖国の展示は賛否両論ありますが、その「個」を意識させてくれるという意味ではとても良い展示なのではないでしょうか。そこから先は個々人の想像力になってしまいますが。



遊就館の展示を見終わって、参集所の前に再集合。これから市ヶ谷駅の前に借りてある会議室で、靖国神社に関するディスカッションです。私たちは家族やカップルで賑わう靖国神社を後にするのでした。

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