愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

ついでにうちの長女のはなし

2023-08-23 08:03:00 | 不登校
次女の話を、暴露したついでに、長女の話

この子は、小学校6年まで、私の実家のある田舎の学校に通っていた

時々、学校に行けない時があったが、本格的に休み始めたのが小学校6年のとき

休んでいたときも、テストは、保健室で受けたが、通っている子と大差なかった

同行していた保健室から、一緒にかえろうとしたら、長女が、歩けなくなった

エネルギーが、なくなったのだ

玄関まで、這いながら、やっと、靴を履かせて、時間をかけて車に乗せた

担任は、やっと事態を少し把握した

不登校児がよく言われるのは、学校に行かない、行かせようとしない、などだが

学校に行けない、のが、不登校だ

長女は、子供にして深い鬱をわずらったのだ

田舎は子供がすくなくて、長女は女子の同級生は、他に3人いたが、うちの子とは、気があわなかったようだ

深い鬱の子を、上に引き上げるのには、わたしも努力した

テンションを2倍にして、付き合った
マイナス言葉、絶対に言われなかったから、それも気をつけた
でも、時々失敗して、それじゃだめだよ、と、つい、言葉にしたら、そこで、長女のエネルギーは、ゼロになって、体がうごかなくなり、へたへたと、その場にへたり込むのだ

言葉かけも、常にポジティブで、言えるのは、人を褒めること

はじめに伝えたのは、長女が、生まれた時、いかに喜んだか、嬉しかったかを、時々それとなく伝えた

褒めるだけ褒めた

近所の人の親切なことも、ことあるごとに伝えた

それから、私の学生時代の武勇伝を、面白おかしく伝えた

社会人になってからの。私の自慢話も伝えた

人としてのノウハウは、全部伝えた

私の持っているもの全て伝えた

中学になるとき、盛岡に引っ越した

盛岡の中学でも、3年間不登校した

それから、江南にはいり、2年の時不登校した

そして、3年で学校に復帰した

復帰して再度勉強した

人間関係まだ、不慣れだから、とおもって、通信の大学をを、卒業したら、させようかとおもっていたら、江南の担任から、言われた

この子は、もったいないから、専門学校に、行かせてください

私はすごく驚いた

でも、担任は、強く勧めてくれた

こんな時は、周りの人の意見を聞いた方が良いとしってたから、長女と相談して、上野ビジネス専門学校に行くことにした

見事合格して、成績もよいまんま、友達もできて、就職した

小学校のころから、学校の先生には、この子は、今までの生徒の中でトップテンに入るくらいの子ですよ、お母さん、わかってますか??と、親の、力不足を指摘されたものだ

成績がどうというより、機転がきく子供であった

周りをよくみれるので、咄嗟の判断ができる子だった

いまは、自力で、再々就職して、学歴不問の会社で活躍している

黒猫2匹と、優しい旦那さんとくらしている
私の自慢の子だ

不登校児でも。社会人になれるってこと。
大事なのは不登校の子でも、家で居場所があれば良いってこと

ひどい鬱には、小学校と、高校で、2度なりました

高校のときは、死なれるかもと、覚悟しながら生活した

毎朝、部屋をのぞいて、死なれてないから確認した

でも、ときどき、私一人出かけたりするから、担任から、目を離されませんよ、と、注意されたけど、どうしようもなかった

でも、2度、復活しました

だから、もうこわいもんないぞ

なぜなら、地獄からでも、復活できた実績をもっているから

家のなかでは、孤立させてこなかった
引きこもりをさせないで、家族とはオープンでいさせた

学校に通っている妹よりも、なんであれ、年上の子供を尊重し、尊敬させてきた

自信をもたせてきたら、いまでは、本当に自信満々で、私にマジで手厳しい

でもいいんだ
長女が元気なら
私は嫌われてますけど
自信もって働いて
楽しんでいたら
それでいい

私の夫は長女がお気に入りだ

 私の子供とは、思えない優秀な子だ、というのよ、これ、どう言う意味??

頭のいい子が、だから。たくさん考え悩んで苦しんで、乗り越えてくれた

がんばったなあ、長女
私の自慢の子

生まれてきてくれた奇跡
生きてくれてる奇跡

奇跡は偶然ではなかったよね

うちの神様たちの力無くして
私の人生なかったな

ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました


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