うちのヤコブ夫から聞いた話。
静御前様は、義経と生き別れたあと、鈴久名でお産をするのですが、長旅をしていた体で、栄養失調だったようです。ボロボロの体でお産をしたものの、生まれた子は死産でした。体力も失われていたうえに、子供の死を目の当たりにして、気力もなくなったようでした。どれほどショックであったことでしょう。
とうとう力尽きて、お産したあと、まもなく亡くなったようです。
鈴久名の地域の人は、赤坂山に土葬したあと、社を作って、静御前を神様としてまつりました。このとき、一軒一軒の家主たちは、血判書による神社縁起を記しました。静御前の、神社は、宗教でもなんでもなく、生前おせわになった、賢く、気高い静御前様に敬意をもって、祀るもの。新興宗教のたぐいではないといったことを、しるしております。
静は、神様の修行をしておりましたが、一度だけ、生まれ変わって、人として人生を送られたようです。そして亡くなられた後に、また、鈴久名の土葬されたところで、魂の本体をおいて、鈴ケ神社の御祭神として、お勤めしてくださっておりました。
お供のお二人は、ずっと静御前の御霊をお守りしてくれておりました。
今今やっと、本領発揮する時がきたのでありました。私は動かされてなんぼでございます。
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