あれからもうすぐ3週間。
実は、なでちゃんがお空へ旅立つ直前の
2/24、私の父もお空へ旅立ちました。
ふふ。
なでちゃんなら
「お空へ旅立つ」
って言葉も可愛くてしっくりくるけど
父の場合だと、
なんか、ね。
2/23のお昼頃、倒れて、
2/24のお昼頃、亡くなりました。
急性心筋梗塞。
いわゆる、みんなが憧れる『ぽっくり』っていうやつです。
23日に心臓発作で倒れたときから
結局最後まで意識不明のまま。
「今までありがとう」も
「お父さんの子で良かった」なんて言葉も
聞かせてあげられなかった。
やっぱり、こういう言葉は生きてるうちだよね、言うべきなのは。
23~24日の24時間の間に
状況が好転したり、また悪くなったりを繰り返し。
その間、実家の方にある病院と
自分の家を3往復。
ほとんど眠れず。
24日(金)の昼ごろ亡くなってから
すぐに葬儀屋さんと通夜と告別式の話をしなくちゃいけなくて。
やっと終わったのは7時ごろだったかな。
私だってすごく疲れているのに
70過ぎの母は倒れてしまうんじゃないかと
心配でしたよ。
翌25日(土)は旦那の喪服やらいろいろと必要なものを買いに行き、
26日(日)は葬儀屋さんと最後の打ち合わせ。
27日(月)に通夜で、
この日は父との最後の夜だったので、結婚して13年、初めて外泊しました。
で、28日(火)に告別式。
なでちゃんが心配だったので、
終わってすぐ旦那は家に帰り、
私は実家へ行って祭壇の準備を手伝いしました。
兄二人がいてくれて母も心強かったでしょう。
私は、ただ一人の娘としてやれることをやりました。
で、父の葬儀翌日の3/1(水)夜中(日にちは3/2)に
なでちゃんが・・・、
って感じです。
1週間に二人も大切な存在を失ってしまいました。
さすがに酷い不眠症になり
あんなに睡眠不足の日が続いたのに
さらに眠れなくて。
徐々にマシにはなってきましたが。
そうそう。
ただでさえ長い話に付き合っていただいて恐縮ですが、
せっかくなので
父との思い出を話させてください。
長嶋さん、王さんが活躍した時代を知ってるので
大の野球好き、巨人ファンの父。
仕事から帰って来て
晩ごはんを食べながらシーズン中はテレビで巨人戦を楽しんでいたものです。
子供だった私は、そのせいで好きなテレビを見れなくて
(と、言っても子供部屋にテレビはあったんだけど)
大の野球嫌いでした。
そんな私がイチロー選手のファンになってしまったんです。
が、それまでの野球嫌いがたたり、
イチロー選手が出ている試合も、
そもそも野球のルールが分からない。
そこで、父に野球に関していろいろ教えてもらったわけです。
私に野球のことを教える
父の嬉しそうな顔ったら!
なでちゃんがいなくなっても、
父がいなくなっても、
地球は回り続けてる。
「まったく、お父さんは!」
なんて文句ばっかり言ってた母も、
毎日のように父を思って泣いてる。
『ぽっくり』は本人は楽だけど
まわりのショックは相当です。
だからと言って長い長い入院生活をするのも
辛いんだろうな。
死は人生の一部っていうけど
残されるほうはまだ生きていて、
その悲しみを抱えたまま
毎日を送らなきゃいけない。
時間だけがその悲しみを和らげてくれる。
6年間で4にゃんも見送った人の体験談。
父の最期の話、聞いてくださってありがとう。