草薙さゆり 公式BLOG

シンガー草薙さゆりの気まぐれBLOG

私の青春

2017年09月23日 | 音楽


私がダンスを初めて習った時、
誰よりも体が固くて、誰よりもふり覚えが悪くて、完璧に出来たことは1回もなかった。

家に帰って、せっまい部屋で手をぶつけながら練習して、なんとか必死についていった。

踊りは好きだったけど、
それより歌うことが好きだった。

中学生のとき、悪戦苦闘しながら
MDコンポでダンスの曲編集をしていた。

0コンマ何秒の音を切って消して繋げて、、、バツっとハマるとこで繋げられた時は快感だった。


そんな、
音楽が展開する楽しさに夢中だった。

のちに、音楽ソフトと出会う。

ストレッチ用のMixCDを作ってみたり、
筋トレ用のMixCDを作ってみたり。
作曲してみたり(笑)


踊りが苦手でも、音楽が楽しかった。

高校生になった。
ほんとは吹奏楽部に入りたかった。
でも、その時、学校が色々整ってなくて、吹奏楽部は破滅的だっから、チアダンス同好会を作った。

当時、ストリートダンスって、まだアングライメージで。ちょうど、盛り上がり始めた感じだったけど、

学校にダンス部作りたいって言ったら却下されたの。不良だって(笑)

だから、当時習っていたチアダンスを引き合いに出し"ダンス=スポーツ"という視点で刷り込みw、学校にプレゼンして認めてもらった。

中身はフリースタイルダンスだったけど(笑)

でもさー。
その後、他でダンス部ができたんだよね。

羨ましかったわ。
私のときダメだったじゃん!って(笑)

ま、いいんだけど(笑)


ある時、練習中、内腿がブチっと言って、そこから、右足はあまり上がらなくなった。

それでも、仲間と一緒に踊るのが楽しかったし、痛みもあったけど、踊りまくったかな。青春はダンスだった。


沢山の人に支えられて、
私はキッズチアダンスチームのアシスタントを6年くらいした。
チームには、最高のプロダンサーの先生たちが関わっていたから、同じ現場で働けて本当に勉強になった。

平行して、19歳で学校長と面接をして、母校のチアダンス同好会でコーチをすることになった。


始め5人でスタートしたチアダンス同好会。


10年経った今19名の部員がいる(総人数はべつ)、チアダンス部となった。

そして、
10年経った今、私はコーチ引退を決意し、最後の生徒の公演が、明日と明後日。
今日は、泣いちまったぜ(笑)


この10年、ずっと生徒に言ってきた。

"プロになりたいなら、うちの部活じゃなくて、スクールに通いまくったり、外でダンスの勉強した方が良い"と。

うちの学校は、ダンス推しの学校じゃないからね。だから、やたらめったら部員を増やさなかった。世界は広いし、私にできることは、たかがしれてたから。
やりたいことを選ぶのは自分自身でしかないし。


私は、

ダンスの陰にずっと音楽を隠していた。

ぃや、むしろ、音楽の陰にダンスがあった。

ずっと、教えの場にいたのは、
ダンスがやりたいからじゃない。

本当は、
音楽を面白く魅せたかったから。



そして何より

人として、チームとして、愛を持ち、
自信をつける喜びと、幸せを学ぶこと。
本気でやること。くじけないこと。
沢山泣いても、笑顔でスタートすること。

理不尽な校則や、理不尽な言いがかり、
その時、感じる悔しさや不満を、積み上げた自分の自信でぶち抜けるよう努力すること。

そして
ユーモアを忘れないこと。
先輩を敬い、後輩を思いやり、最後は一人間として、対等であり、尊敬し、互いに成長をし続けることを伝えたかった。


まだまだまだまだ
沢山、沢山ある。

ダンスとか、音楽とか

偏差値35の私には、勉強以外で人生を豊かにするための方法が沢山あったから、

何かに迷った時、つまずいた時、
自分で立ち上がる方法を、手品教えるくらいの感じで、教え続けてきた(笑)


高校のコーチを辞めた後も、
キッズチアレッスンがあるんだけどね。

でも10年、同じ場所で教えられたのは幸せで、贅沢だな。

私がダンス教えるようになるなんて、
昔の私には考えらんない話だわ(笑)


ま、そんなわけで、
いよいよ。自分のために、

音楽が1番だと、胸を張れる人生にするため、引退後は、音楽に気合いを入れていきます。


ただ、

その前に、

私も悔いなきよう
最後に見る後輩を、自分の10年の思いを込めて

明日は、でかい声で応援しまーす!(笑)


がんばれ、みんな。
愛してるぜ。



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