にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

あれから

2022年07月06日 | 
フミがいなくなって、今日でちょうど3ヶ月。
そうあの日も水曜日で私が休みの日だった。
朝からお気に入りの浴室前のマットの上で箱猫になっていた。
トイレの横なので、いつもなら私がトイレに行こうとして近づくと飛んで逃げるのに、この日は横を通り過ぎてもうずくまったままだった。
「珍しいこともあるもんだ。少しは安心するようになってくれたのかな」と思っていたら、ふと立ち上がって外に出て行ってそれきり。

あれから少しずつ部屋を片付けていったけど、寝床にしてた一か所だけはそのままにしてある。
おしっこの跡がくっきり残ったペットシーツも、今となっては懐かしい。
フミがいた時はとにかく四六時中、おしっことウンチの処理に追われていた。
ご飯もほどよくふやかしたカリカリと1センチ角に刻んだカツオしか食べられないので、準備するだけで大仕事。
でもフミのいいところは、時間がかかってもお皿が出てくるまでおとなしく待っていることだ。
(サクラは水道の栓をひねっただけでどこにいてても飛んでくるし、パウチを開ける時間も待てなくて調理台に飛び上がってくる)

今はクロとサクラの2匹だけど、世話はフミ一匹だけだった時よりずっと楽。
ウンチもおしっこもきちんとトイレの中でしてくれるから砂を捨てるだけですむし、ご飯もカリカリとウエットだけ。
その代わり今度は四六時中、お猫様たちへの奉仕に追われている。
歩けば足下にまとわりつき、トイレに行けばドアの前で待ち、暇さえあれば撫でろとうるさく、「しつこい」と怒ればヘソ天になる。
お互い存在を確かめあいながら距離を保っていたフミとの日常を思うと、ひと口に「猫を飼っている」と言っても、相手によってこうも変わるものかとビックリしてしまう。

だけど出会った時から病気のデパートみたいだったフミと違って、今いる2匹は健康優良児だ。
はたして私は、こいつらを看取るまで寿命がもつだろうか?



ある日のフミのお食事。
お皿を並べる場所は、フミの気分に合わせて毎日変わった。
この日はお気に入りの浴室前の近く。
左の2つはウエット、カツオの刻んだの、卵の黄身をカツオだしで溶いたもの。

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