『ルバング島 戦後30年の戦いと靖国神社への思い』小野田寛郎著より一部抜粋
●「心ならずも戦死された」は、英霊に対する侮辱
靖国の英霊に対して「心ならずも戦死された(本当は戦争に行きたくなかったのに戦争でしんでしまった)」と言う人がいます。しかし、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。
皆さんの中には特攻隊の遺書をご覧になった方がいらっしゃるでしょうか。特攻隊の遺書には、「心ならずも(本当は行きたくなかったのに)」なんて書いてありません。私も当時、特攻隊の方々とほとんど同年齢でありました。私がもし当時戦死していて、「心ならずも死んだ」と言われたら、侮辱されていると思って怒ります。
当 時の私たちは、死ということに拘泥しない、深く考えない、死んだら神様だと、そういう考えをしていました。何故かと言いますと、戦争には若い者が先頭に立 たなければ国の将来がないということをはっきり考えていたからです。お国のために命をかけて働いているので、兵隊は普通の人の半額で映画館に入ることがで きました。それで、「映画半額、命も半額、死んだら神様だ」などと笑いながら話していました。これが当時の私たちの戦死に対する考え方だったのです。
当時は徴兵令で、満20歳になると身体に異常のない男子はみんな兵役につかなければなりませんでした。だから「心ならずも」と言うのかもしれませんが、それは当時の私たちの気持ちを表した言葉ではありません。好きで兵隊になったわけではなくとも、多くの人間は国のために死ぬ覚悟を持っていました。戦争に負けた後、戦後の教育で洗脳され、本当の日本人の気持ちを理解できなくなった人が、そういうことを言うのだと思います。
●「死んだら会おう」と約束した場所は靖国神社以外にはない
私は、そのお金を全部靖国神社に奉納しました。すると、一部の人から「小野田は軍国主義復活に加担した」と散々に批判されました。この時は、戦争で亡くなった人を祀る靖囲神社のことを、まるで軍国主義の象徴のように言う人がいたのです。
なぜ、靖国神社にお金をお納めして悪く言われなければならない のか。そのとき、私はもう日本に住みたくないと思いました。それで、次の自分の生活の場をブラジルに求めたわけです。
と にかく、私たちが「死んだら神さまになつて会おう」と約束した場所が靖国神社であり、戦後その靖国神社を国家が守らないことに対して、納得できない人は多 いと思います。国は私たちが死んだら靖国神社に祀ると約束しておいて、戦争に負けてしまったら、靖国など知らないというのは余りにも身勝手です。国による 直接の運営が難しければ、せめて政府を代表して内閣総理大臣に八月十五日の終戦の日に堂々とお参りしてほしいものです。
最近は、靖国神社とは全く別の追悼施設をつくる、という詰まで持ち上がっていますが、これは、死んだ人間に対する裏切りであります。靖国神社とは別の追悼施設がつくられるのであれば、私は死んでも死に切れません。
『ルバング島 戦後30年の戦いと靖国神社への思い』小野田寛郎著(2007/06)
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