独立輜重兵第四聯隊第四中隊

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訃報 小野田寛郎少尉 死去

2014-01-17 21:33:33 | 大東亜聖戦

2011年8月15日 靖国神社において下記演説ののち握手をさせて頂いた、
この時が始めての出会いで最後であった。合掌

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太平洋戦争の終戦を知らずにフィリピン・ルバング島で30年間過ごした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが死去したことが16日、分かった。91歳。和歌山県出身。

 死因などは不明だが、小野田さんが設立した「小野田自然塾」(東京都中央区)関係者はスポニチ本紙の取材に「亡くなったという連絡を受けている」と明かした。近く、近親者のみで密葬を営むとみられる。

 小野田さんは1942年に和歌山歩兵第61連隊に入隊。44年にルバング島に派遣され、情報員の任務を与えられた。

 しかし、終戦を知らずジャングルに潜伏。51年に帰国した元日本兵の証言からその存在が判明したが、作戦解除命令がないことを理由に部下とともに山中にとどまっていた。74年3月、捜しにきた元上官らの任務解除命令を受け、山を下りて救出され帰国した。

 帰国後の翌75年、ブラジルに移住。原野を開拓して牧場をつくった。

 84年、ルバング島での経験を生かし、たくましい青少年育成のために「小野田自然塾」を開設。キャンプ生活を通して自然の大切さや、目的を持ってたくましく生きることなど人間の本質を教えていた。

 近年は都内で暮らし、国内各地で精力的に講演を実施。ルバング島での体験を振り返り、「生き続けようという目標を持っていたことで、日本に帰ることができた」などと話していた。

 ◆小野田 寛郎(おのだ・ひろお)1922年(大11)3月19日、男5人、女2人の7人きょうだいの四男として和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ る。日本帰還後に移住したブラジルでは牧場で1800頭の肉牛を飼育していた。著書に「戦った 生きた ルバン島30年」(74年)。05年、藍綬褒章を 受章。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/01/17/kiji/K2...