鐵屋+Cafe ~島々ノ文化ノ風ガフク~ 現代アート 鉄彫刻家

鉄彫刻家の創作な日々と鐵屋+Cafeの島風な日々。『紅い鉄』『土へ還る鉄』を暮らしへと♪島文化薫るカフェとアートな鉄。

勝った者が強い

2017年06月27日 11時06分49秒 | 日記


文太のマスターからいただいたラーメンの提灯。

焼豚、旨かったなぁ。
強い者が勝つのではなく、
勝った者が強い。
マスターの座右の銘だった。
今でも、肝に命じてます。
僕らのアートの世界でも同じ。
食の世界でも同じ。
能書き垂れても結果。
そして、勝ち続けること。
勝ち負けではないけど、
勝った者が強い。
厳しい世界になればなるほど、
身に染みる言葉だ。

鉄の匂い 作品製作着手。

2017年06月26日 08時59分47秒 | 創作・活動 


爆音と共にこの大空が澱んだあの日。
オバーは、
昨日までかくれんぼしていた
ウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足のままで走った。
三線の音色をのせていた島風に
鉄の匂いが混じったあの日。
オジーは、
その風に仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの
冷たい手を握り、
生きたいと泣く
赤子の声を押さえつけたあの日。

慰霊の日
沖縄全戦没者追悼式
児童・生徒平和メッセージ事業
詩の部門 最優秀賞
誓い~私達のおばぁに寄せて~
県立宮古高等学校3年 上原愛音さん
メッセージ抜粋。

心に突き刺さる、
熱いメッセージでした。
次世代へ繋げる強い想い溢れる
詩であったと感じました。
何気無く、普通に、当たり前に
いただいてる朝ごはん。
有り難きことであることを
改めて、教えてくれました。

この上原さんのメッセージの
一文にある
[鉄の匂いが混じったあの日]
と聞いた瞬間、
また、心に突き刺さった。

鉄は、
雨、音、匂い、光、風となったのか?

鉄の匂いは、
もうひとつの匂いとして、
血の匂いも表現されたのかな。

次の個展、
沖縄で開催されるアートイベントの
出品に向けて、
鉄の雨、匂い、音、光り、風を
僕なりに表現してみたいと、
製作着手する。

慰霊の日

2017年06月23日 18時06分47秒 | 日記・エッセイ・コラム




今日は、慰霊の日。
この世の平和を祈り、
命どぅ宝という言葉の
重みを今、この胸に刻みます。

今一度、沖縄戦を
知っていただきたく、
分かりやすい記事がありましたので、
貼り付けさせていただきます。

以下、関連記事抜粋。

一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、まさに地獄そのものでした。

沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年6月23日の未明とされているのです。そしてこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。

この6月23日の「慰霊の日」、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、本土復帰前は「休日」と定め、各行政機関や学校、企業に定着していましたが、1972年の本土復帰後は当然日本の法律が適用となって「慰霊の日」は「休日」としての法的根拠が無くなってしまったのです。

しかし1991年、地方自治法が改正され、「慰霊の日」を「休日」と定める県条例が公布された事によって正式に「慰霊の日」は「休日」と定められました。この間、「休日」として法的な根拠の無い時期もありましたが、毎年々々、6月23日は沖縄県の公休日とされてきたのです。もちろん今でも、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などは「公休日」です。

一方最近の民間企業では、この日を休業日とする会社はめったに見られなくなっています。それだけ、経済面では内地との関係が密になっていると言うことなのでしょう。

毎年この日は、糸満市摩文仁の平和記念公園において午前11時50分から沖縄県、沖縄県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、正午の黙祷などにより戦没者の御霊を慰めるとともに世界の恒久平和を願う沖縄県民の思いを世界に発信しています。また同時に、沖縄県内に散在する各地の慰霊塔などでも一斉に慰霊祭が行われます。

戦争体験者が少なくなる中、今もなお沖縄県内には大量の不発弾が残されており爆発事故が後を絶ちません。手榴弾などは、さびついてひび割れた状態で、住民の目に触れる場所にむき出しでさらされているものもあり、日常、身近な危険にさらされ続けています。加えて、広大な米軍基地の重圧を強いられ続けている我々沖縄県民の現状を考えるとき、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、もう一度、考え直してみたいと思います。

今年2月に発表した
インスタレーション作品
[鉄の雨の詩](写真上)
作品製作、中々と踏み切れなく、
鉄を扱う者としては、
とても重くのしかかるテーマでした。
天上から250個あまりの
鉄塊が降り注ぐ様は、
異様な不安感、不快感を与えてしまうだけになるのかもしれないと、
リアリティの向う側にある
景色を作る必要があるのでは、
空と海の境界線を作り、
天を仰ぐそのモーションに、
光りが注ぎ、
海底へと、大空へと、
二面ある世界を作りたいと、
製作は始まりました。
そして、戦争という
民衆がある一定方向に
ベクトルを向かわせた正義を、
僕なりの表現で、
伝えたかった。
鉄の加工技術を持つ僕は、
おそらく、その戦時に居るならば、
その技術を遣い、
戦争に加担していただろうという
答えは明確で、
それ故に、鉄の雨という言葉が、
僕の心に突き刺さったまま。
そこに戦争の怖さがあることを
テーマとし、
インスタレーション作品から、
美術展出品作品へと
作品製作は続きました。
二人展での、
このテーマへの反響は、
想像以上で、
沢山のメッセージをいただきました。

そして、
皆さんの関心の高さと、
その重要性、緊急性には、
重いタスキを渡されたようで、
受け止める時間が必要でしたが、
作品を通し、
想いが届き、響き、
共有出来たことは、
とても、嬉しかったです。
そして、インスタレーション作品
[鉄の雨の詩]に繋げた作品
[鉄の雨の詩
~鉄打つ僕と鉄の雨に打たれた君~]
(写真中、下)の製作へと。

より多くの皆さんに
メッセージを伝えたく
三重県美術展出品として作品製作。
鉄の雨の250個程の鉄塊を使って、
雨の向う側に存在してる物体が
何なのか?その正体を探したくて、
見えない形を何度も何度も
頭の中で描き、
それを壊したり、
また、形を描いたりしながらでした。
出品〆切の1週間前くらい?
ぼやっと輪郭が見えてきて、
完成時の作品とは程遠い
形をイメージしていたけど、
製作し始めてました。
後がないので、製作しながら、
見つけていくという感じ。
時間もなく、
運搬条件の事もあったので、
分離型にすることに、
合わせてる時間もなく、
一回だけ、合体し、
強度テストしたくらいで、
完成は、搬入先。
そんな最後の最後まで、
形の見えない作品でしたが、
彫刻部門の最優秀賞という
光栄な評価をいただき、
会期中のご来場者様からも、
メッセージをいただいたりと、
二人展と同じく、
みなさんの関心の高さと
みなさんそれぞれの想いを
感じることができました。


今後も、
このテーマと向き合い、
作品製作、発表をして参ります。

今日は、慰霊の日。

慎んで、願い、祈り、
同じ過ちが
二度と起きてはならない、
起こしてはいけないと、
鉄の雨は降らせてはいけないと、
この胸に刻みます。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。

鉄彫刻家 今岡秀則












大きな樹の下で 阿倉川市場。

2017年06月20日 23時04分58秒 | まち歩き



阿倉川市場。

暮らしの営みを感じる風景と
偶然に出逢った。
沖縄の市場を思い出す。
大きな樹の下には、
人が集まるんだね。
市場には、
お肉屋さん、八百屋さん、
お惣菜屋さん、
服屋さんから靴屋さん、
乾物屋さんに喫茶店、
みたらし団子や饅頭、パンまで。

懐かしくも、
とても、正直で、人間臭くて、
その営み感に、
ポンと背中を押されるものを
感じた。
何て言うのか?
沖縄の市場もだけど、
気持ちがスッと楽になる感じ。

カメラもって、
次訪したいね。
変わらないまま、
変わってゆく。
そんな風景を撮ってみたい。

大きな樹のような存在の
作品を作りたい。


不完全燃焼

2017年06月20日 08時32分28秒 | 創作・活動 


ある出品審査用提出物の〆切。
ポートフォリオの一つ一つの
画像容量が大きく、
添付データ容量制限でエラー。
画像サイズを一つ一つ縮小し、
入替えていく。
4時間の作業。
ファイル圧縮しても、
容量制限エラーって、
どれだけの画像を使ってるのか?
今後の課題となる。
また、容量制限エラー。
一つに纏めたファイルを諦め、
分割送信することに。
やっと送信完了出来たと、
ひと安心し、
控え用にと印刷したものを
労いのビールを呑みながら、
目を通していたら?
活動内容をワード作成で
纏めた1枚が、
修正前のものだと気づく。
伝えたかった一つの内容文が、
抜けてるものだったので、
ショックは隠しきれない。
分割送信自体が、
審査のマイナス点になるのに、
何日もかけて書き綴り、
要約し、纏めた1枚が・・・

3日間の徹夜は、
不完全燃焼で終わる。


これら全て含めて、
今の実力なんだろうな。

造形の製作ではない
ポートフォリオなど
自己PR資料作成の
テクニックを
もっと鍛えていかないとけないな。

反省。