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寂しくなったら名前を呼んで ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝

2019年10月10日 | ヴァイオレット・エヴァーガーデン
今日は忙しくてレイトショーしか行けなかった。今日で11回め、ブログの記事も8本めだが、まだまだこの作品は見飽きないし、魅力も語り尽くせない。 せめてラスト上映らしい今週(金曜日に上映予定があるから、嬉しいことにまだ続演のようだ)くらいは、年休を取って、一日中この映画を観て過ごしたいくらいだ。今年は2度の入院で、有給休暇も残り少ないのが無念でならない。

 さて、今回の記事は、今までの感想の勘違いや事実誤認も修正しつつ、「寂しくなったら名前を呼んで」という言葉の意味について、考えていきたい。

 ドロッセル王家につながる貴族の令嬢、イザベラ・ヨーク・その真名は、エイミー・バートレット。ヨーク家当主が愛人に産ませた庶子である。エイミーは名前と過去を捨て、ヨーク家の跡取りにふさわしい「淑女」の作法と教養を身に付けるべく全寮制女学校に入学する。血の繋がらない「妹」のテイラーは孤児院に引き取られる。

 この映画は、エイミーとテイラーが別れてから約2年が経過した春に始まる。テイラーの年齢から逆算すると、二人が離れ離れになったのは、戦争が終わる約一年前らしい。学園という牢獄の中で、深く絶望していたエイミーのもとに、C.H郵便社の自動手記人形、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが「家庭教師」として着任する。

 社交界デビューの予行演習の「デビュタント」を三ヶ月後に控え、ヴァイオレットが派遣されたのも、エイミーの成績や振る舞いが「淑女」とは言いがたいものだったからだろう。学校に実家のヨーク家に連絡が行き、ヨーク家がドロッセル王家に相談し、王家は、C.H郵便社に過去に功績を残したヴァイオレットを指名したらしい。

 私は、最初、本来は手紙の代筆が仕事の「ドール」に、なぜ礼儀作法やダンスや教養を身に付けるための「家庭教師」を依頼してくるのかが、よくわからなかった。お風呂を用意したり、髪を解かしたり、ヴァイオレットの立ち位置は「家庭教師」であると同時に、侍女でもある。

 お嬢様の学園生活をサポートしつつ、ルームメイトとして共同生活まで送る侍女が務まるのは、日本の貴族でいう「乳母子」(めのとご)のような固い絆がなければむずかしいだろう。わがままなお嬢様のメンツを立てつつ、ミスをしたらカバーし、クラスメートとの仲を取り持ち、さらにプライベートでは気の置けない話相手で、何でも相談できる信頼関係がないと務まらない。それができるのは、赤ちゃんや幼児の頃から一緒に育った乳母子か、プロフェッショナルだけだ。ヴァイオレットは後者である。養女とはいえ貴族のエヴァーガーデン家の令嬢にして、マシーンのように任務に忠実な元軍人で、王家御用達で守秘義務もあるC.H郵便車で働く職業婦人でもある。

 エイミーがぜんそくの発作を起こした夜は、暖炉に火が焼(く)べられている。北国の春は遅く、ヴァイオレットも着任してまだ日が浅いのだろう。翌る日の朝、手をとって、寝ずの看病をしてくれたヴァイオレットに、エミリーは初めて心を開く。「友達」の始まりである。お互いに初めてできた「友達」だった。

 手紙なら、普段言えない心のうちも伝えることができる。ヴァイオレットが星々の物語をしてくれた夜に聞いた、このことばは、エイミーの心に深く残ったらしい。別れの夜、エイミーは、「手紙を書いてほしい」とヴァイオレットにお願いする。

 エイミーが「テイラー」と言った後に続く言葉は聞き取れない。しかし感情をほとんど見せず、見せても控えめなヴァイオレットの瞳が大きく見開かれ、エメラルドの海のように揺れてきらめいている。

 このヴァイオレットの瞳の輝きは、「寂しくなったら名前を呼んで」という字幕がブルーに染まり、港に着いた船の碇が海中に降りる、後半パートの冒頭に連動している。

 何度も言うが、このシーンは、まさに「見つけたよ / 何を? / 永遠を / 太陽を溶かしこんだ / 海だ」というランボーの詩句そのままだ。

 アニメ版冒頭で、ヴァイオレットもライデンシャフトリヒに船でやってくる。このとき、船が碇を下ろす描写がある。しかしこのときは、海上から水平に見ている。これは、孤独なヴァイオレットに、安住の地が見つかることを告げるものだろう。上空から光をきらめかせながら落ちてくる碇は、同じく孤児だったテイラーが、生きる希望を授かり、未来を切り開くことを予感させる。

 エイミー、今は名前も過去も捨てた「イザベラ」が、テイラーに送ったのは、次の短い手紙である。

 「これは、あなたを守る魔法の言葉です。エイミー、ただそう唱えて」

 この作品で、テイラーは、この「魔法の言葉」を4回唱えている。1回めは、映画の冒頭、船が港に到着したとき(唇を動かすだけで声は聞こえない)。2回めは、孤児院でエイミーの手紙を受け取ったとき。3回めは、シャワールームの鏡台で。4回めは、映画のエンディング、ライデンに帰る帰り、空に手をかざしながら。映画の冒頭にも同じシーンがあるが、このときのテイラーは力強く、未来への希望に満ちあふれている。

 3回目の「エイミー」は、自分の後ろに立って髪を乾かしてくれている、鏡に映ったヴァイオレットに呼びかけたものであることに、最近、ようやく気がついた。あの手紙が「幸せ」を運んでくれたと聞いて、ハッとして、青い瞳が静かにさざめき、あの控えめなヴァイオレットが、「手紙を書きませんか?お姉様に」とテイラーに提案する。まだ文字も書けず、何を書いたらいいかわからないエイミーに見せる、「私はドールです」と自信をもって語る、優しくも頼もしげなヴァイオレットの表情と言葉。

 「エイミー」と鏡の中で呼びかけられたヴァイオレットは、エイミーの手紙を代筆したときと同じ瞳をしていのただろう。3年前、「任務」を終えて学園を去る別れ際、ヴァイオレットは初めてできた友達に、「イザベラ様」ではなく「エイミー様」と呼びかけている。「エイミー」は、ヴァイオレットにとっても、「魔法の言葉」になったのだ。

 ところで、「リオン」って誰? お父さん怒らないから、ヴァイオレット、説明しなさい。



 

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