聖書と翻訳 ア・レ・コレト

聖書の誤訳について書きます。 ヘブライ語 ヘブル語 ギリシャ語 コイネー・ギリシャ語 翻訳 通訳 誤訳

(000)ルカによる福音書16章-7

2018年05月20日 | ルカによる福音書

ἐκμυκτηρίζω エクムクテリゾー あざ笑う


この記事は、ルカによる福音書16章13~14節『不正な管理人』の翻訳の仕方について記述します。新改訳訳文に対する批判も含まれているため、不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。その旨ご承知の上お読みください。



~ルカによる福音書16章13~14節~

新改訳
13)しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
14)さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。


一般的に不正な管理人のお話しは1~13節までで区切られていますが『不正な管理人』の原文解釈をしてみると、14節が果たす役割が非常に大きく、14節は『不正な管理人』と強く結びついていることが分かります。段落分けをするのであれば、14節は『不正な管理人』に含めるべきだと思います。


13~14節で検討すべき箇所が4つあります。

・しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません
・富
・さて、金の好きなパリサイ人たちが
・一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた



~しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません~

16章13節



κυριοσ(2962) kurios クリオス 名詞
神、主なる神、主人、雇い主、メシア

οικετεσ(3610) oiketes オイケテス 名詞
雇い主と同じ屋根の下で暮らしている下男。雇い主とその家族に対し誠意と真心をもって働く男子。

新改訳は『しもべ、主人』と訳出していて、これでも構わないと思います。ギリシャ語には『しもべ』を意味することばがたくさんあります。一般的に、身分、職位の解釈は難易度が高いので慎重な解釈が必要だということは申し上げておきます。



~富~

9、11、13節で『富』ということばが出てきますが、これはギリシャ語の『マモナース』ということばです。これは『偶像神マモン』という意味で、『富』と意訳するのは間違いです。新改訳がどうして直訳理念を守らないのか理解できません。詳しくは『ルカによる福音書16章-5 ~富~』の記事を参照願います。



~さて、金の好きなパリサイ人たちが~

16章14節



φιλάργυρος(5366) philarguros フィラルグロス 形容詞
お金を愛する、お金に目がない、貪欲な

ὑπάρχω(5225) huparcho フーパルホー 動詞
所有する



フィラルグロス

『フィラルグロス』は『フィロス 愛する』+『アルギロス 銀』ということばの組み合わせになっていて、『お金を愛する、私腹を肥やす』という意味になります。

話は逸れますが、ルカ福音書を執筆した『ルカ』とパウロ書簡に登場する『ルカ』が同一人物かどうか議論されることがありますが、ギリシャ語の語彙に着目するなら答えが出ると思います。新約聖書で『フィラルグロス お金を愛する』という形容詞が使われるのは、ルカ16:14と第二テモテ3:2の2箇所だけです。

第二テモテ3: 2
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者(フィラルグロス)、大言壮語する者・・・

また名詞『フィラルグリア』が使われているのは、第一テモテ6:10だけになります。

第一テモテ6:10
金銭を愛すること(フィラルグリア)が、あらゆる悪の根だからです・・・

滅多に使われないことばがルカ福音書とパウロ書簡に集まっているのですから、同一人物が書いた可能性が極めて高いと言えるでしょう。

第二テモテ4:11 
ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください・・・



フーパルホー

ルカ16章の中で『フーパルホー 私有財産』ということばが、1節と14節で繰り返し使われています。1節で、イエスさまが『あるじの財産=神の福音 フーパルホー』を取税人たちに惜しげもなく与えていると表現し、14節では律法学者たちが『この世の財産 フーパルホー』の奴隷になっていることを皮肉って表現しています。『フーパルホー』を繰り返し使いクスッと笑えるオチを与えて文末を締めくくる、そういう表現技巧です。これは14節を『不正な管理人』に含めるべき理由の一つになります。

フーパルホーはお話しを締めくくる重要な表現なので、1節と14節は同じ訳語を与えた方が良いのです。新改訳は、Van Leeuwen(ヴァン・ルーエン)博士のレポートを引用し『直訳、トランスペアレント訳』が良いのだと主張していますが、1節と14節で同じ『フーパルホー』が使われているにも関わらず、違う訳語を与えるのは翻訳理念と矛盾しています。看板倒れの翻訳に名前を引用されては、ヴァン・ルーエン博士もさぞご迷惑でしょう。新改訳は翻訳理念に反して訳出された箇所が沢山あります。

次のように同じことばで訳出しておけば、原文の技巧を訳文で再現することができます。



『放蕩息子』では兄と弟に父の財産(ουσια(3776) ウーシア)が分配されます。これは神さまのみことば(父の財産)が、律法学者(兄)とイエスさま(弟)に平等に与えられていたのですが、イエスさまが取税人たち(遊女)に福音を伝道することを財産の無駄遣いだと、律法学者は悪しざまに非難したという意味になっています。放蕩息子もアイロニー表現で書かれていて、二つのお話しは並行関係にあります。



~一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた~

16章14節

『あざ笑っていた』と訳されたのは『エクムクテリゾー』というギリシャ語です。
εκμυκτεριζο(1592) ekmuktérizó エクムクテリゾー 動詞
鼻先を上げてあざ笑う、嘲笑する、見下したように笑う

新約聖書で2回しか使われておらず、2回ともルカ福音書で使われています。もう1か所は十字架の場面です。

ルカ23:35 新改訳
・・・指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った・・・

『エクムクテリゾー』とほぼ同じことばに『ムクテリゾー』ということばがあるのですが、このことばが使われているのはガラテヤ6:7の1か所だけです。

μυκτηρίζω(3456) muktérizó ムクテリゾー 動詞
意味は『エクムクテリゾー』と同じです。

ガラテヤ6:7
・・・神は侮られるような方ではありません。・・・
ここガラテヤ書簡にも、ルカの筆跡が見え隠れします。


ところで『あざ笑う』という意味で一般的に使われるギリシャ語は『エンパイゾー』で、新約聖書では13回使われています。

εμπαιζο(1702) empaizo エンパイゾー 動詞
からかう、あざける、茶化す

四福音書の中ではマタイ、マルコ、ルカの三人が『エンパイゾー』を使っているのに対し、『エクムクテリゾー』を使っているのはルカだけです。二つのことばを使い分ける語彙と表現力がルカにはありました。ルカ福音書を見ると、ルカしか使っていないことばというのが至る所にあり、ルカはギリシャ語の表現力が抜きんでていたことが分かります。ルカの文章力なくして『不正な管理人』を書きあげることはできなかったのです。



~16章13~14節 解釈文~

以上を踏まえ解釈文を作ります。原文放棄をしていないのでまだ訳文ではありません。

13)一人の家来が二人の主君に仕えることはできません。一方を大切にすると一方を嫌います。一方に熱心になるともう一方を軽んじます。そのように主なる神とマモンの両方に仕えることはできないのです』
14)私有財産を増やすことが大好きなパリサイ人は興味津々聞き入っていたが、話しが終わると馬鹿にしたように笑い声をあげた。



~関連語句の分類~

次の図のように原文に表れる関連語句を整理しておけば、原文と訳文が大きく逸れることがありません。





~100年経っても変わらない~

聖書が日本語に翻訳され、一般向けに出版されたのは明治時代のことで、当時はヘブライ語やギリシャ語を理解できる日本人が一人もいない時代でした。それから100年の年月が経ちましたが、聖書の翻訳、原文解釈は進んでいるのでしょうか?残念ながら、誤った訳文が訂正されることなく、ずるずると引き継がれています。ルカ16章10~12節をご覧ください。

文語訳 1887年+1917年
10)小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり。
11)さらば汝等もし不義の富に忠ならずば、誰か眞の富を汝らに任すべき。
12)また汝等もし人のものに忠ならずば、誰か汝等のものを汝らに與ふべき。

口語訳 1955年
10)小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
11)だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
12)また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。


新共同訳 1987年
10)ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
11)だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
12)また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。


新改訳 1970年、2003年
10)小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
11)ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
12)また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。


私訳(解釈文)
10)始めは取るに足らない信仰であっても、やがて敬虔な信仰者に育つ。そのように、始めはウブなイカサマ師でも、やがて一人前のイカサマ師になります。
11)本物のイカサマ師として認めて欲しければ、いかさまマモンの忠実な家来になることです。
12)マモンは他国の宗教ですが、イカサマを伝授して欲しいのであれば、これを熱心に信仰するほかありません。


従来の日本語訳はいずれも解釈を間違えており、また読んでも意味が分かりません。訳文も日本語の言いまわしをちょっと変えてるだけです。この程度の仕事しかしていない翻訳者に、お金を払って欲しくないですね。このありさまでは手抜き作業だと言われても仕方ないでしょう。というのも、10~12節のギリシャ語は、ごくごくシンプルな文法しか使われていないので、ギリシャ語初心者でも解釈できるレベルだからです。一つ一つの単語の解釈にしても、全て辞書に載ってる定義から選べば済みます。ギリシャ語を読める方がいたら試していただきたいのですが、原文を素直に読めば私訳と同じ解釈になるはずです。私はひねった解釈は一つもしていません。原文解釈をねじ曲げているのは既存の日本語訳聖書です。

明治の先人たちはベストを尽くして翻訳したことと思いますが、自分たちの作った訳文が100%正しいとうぬぼれる翻訳者はいなかったでしょう。自分たちが解釈しきれなかったところは、次の世代にひも解いてもらいたい、そういう思いであったと思います。過去の聖書翻訳の間違いを訂正することは気が引けるとか、過去の翻訳者に対し失礼にあたるのではないかといった身内への遠慮があるようですが、もし、神学者コミュニティーのメンツを守ることが優先されているとするなら、いつまで経っても原文に忠実な翻訳などできるはずがありません。翻訳に間違いがあることを知りながら訂正をしないということは、テキストの執筆者や神に対し失礼なこと、また読者に対し失礼なことです。

こんにち誰が聖書の翻訳をおこなっているのかが、次の記事に書かれています。

Christian Today『新しい訳は・・・4年後の完成』より引用
『同協会の大宮溥理事長は、新訳を急ぐ理由について、聖書翻訳に携わる神学者や聖書学者といった人材が今後減少するかもしれないという懸念を語った。戦後の日本では、聖書翻訳に携わることができる人材の豊かな蓄積があった。だが、こうした人材の高齢化により今後その蓄積が乏しくなっていく可能性がある・・・』

聖書翻訳を実際に担当しているのは『神学者や聖書学者』で、今後もその方針は変わらないのだと記事に書いてあります。言い換えるとプロの翻訳者は今までも使っていないしこれからも使う予定がないという意味です。果たして『神学者や聖書学者』がプロとして翻訳をする能力があるのでしょうか?それが無理だというのは、100年経って何も訂正されない訳文が示すところです。

更に誤訳された例を挙げさせていただきましょう。出エジプト記の『女預言者ミリアム』です。『ミリアムは女預言者であった』『聖書に登場する最初の女預言者はミリアムである』と解説されていますが、この誤りは聖書の誤訳から発生しています。

新改訳 出エジプト15:20
アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。

『女預言者ミリアム』と翻訳する聖書が多いのですが、ミリアムは女預言者ではありません。出エジプト記を注意して読めば分かるはずですが、エジプトを脱出する時、預言者として任命されたのはモーセだけです。アロンは代弁者として任命されていますが、ミリアムに関する召命はありません。

新改訳 出エジプト7:1
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。

出エジプト15:20は次のように解釈しなければならないのです。



私訳 出エジプト15:20
アロンの姉ミリアムに主の霊が下った。ミリアムがタンバリンを打ち鳴らすと、女たち全員がタンバリンを打ち鳴らしミリアムに続いて踊り始めた。

ある神学者は『ミリアムは弟モーセが生まれたとき、知恵を働かせモーセの命を救ったので女預言者という称号が与えられた』と解説していますが、これは苦し紛れの解釈で、遊女ラハブはイスラエルから来た偵察者をかくまったことで、イスラエルの勝利に貢献しました。しかし、女預言者という称号は与えられていません(ヨシュア2章、6章、ヤコブ2:25)。女預言者という称号は、民族救済に貢献したとか、タンバリンを叩いたという理由で与えられるものではないことが分かります。

この文脈では『主の霊を受けた女、ミリアム』という意味で記述されています。『ネビーアー』の解釈について『ヘブライ語 qarab nebiah ことばの解釈』に詳しく書かせていただいたので参照願います。神学者が『聖書に登場する最初の女預言者はミリアムだ』という先入観を持って翻訳をしているから、このか所が誤訳だとは気が付かないのです。この誤りも100年間訂正されていませんよ。

更に誤訳された例を挙げさせていただきましょう。イザヤ書8章1~10節も大きな誤訳になっています。どこが違うかピックアップできないくらい間違いが沢山あります。『イザヤ書8章-1~9』に書かせていただいたので参照願います。この誤りも100年間訂正されていません。

翻訳者の方が公の場で『ヘブライ語は難しい。コイネー・ギリシャ語は難しい』という発言をされていますが、原文解釈が進まないのはヘブライ語やコイネー・ギリシャ語が難しいからでしょうか?ご自分の翻訳する能力の低さを棚に投げ、原文のせいにするというのは不謹慎じゃないでしょうか?もし『難しい』と思うのであれば、プロとして翻訳を引き受けるべきではありません。委員会は、スキルのない人を翻訳者として採用していると告白しているようなものです。

翻訳スキルを持たない『神学者や聖書学者』が翻訳をおこなうから誤訳が起こり、誤訳が訂正されないまま放置されているのです。『神学者や聖書学者』は担当分野において、専門家であるということは間違いないでしょう。しかし、翻訳の分野においては素人だという認識を謙虚に受け入れるべきではないでしょうか?

『神学者や聖書学者』が10年20年と年月をかけその専門性を深めていくように、『通訳、翻訳』という仕事も10年20年をかけその専門性を深めています。大学でコイネー・ギリシャ語やヘブライ語を勉強したから、翻訳ができるとお考えのようですが、そうだとしたら考えが甘いのです。100年経っても誤訳が訂正されず放置されたまま。小学生以下の日本語文。これでは素人の仕事です。

通訳や翻訳をするには、言語学、異文化コミュニケーション、心理学などの専門知識も必要です。こうした知識のほかに、翻訳スキルを身に付けないと、通訳も翻訳もできません。通訳者や翻訳者はこのスキルを身に付けるため何年もの年月を費やしています。これを身に付けることなく終わってしまう人が多く、習得困難なスキルでもあります。こうした基礎的な学習をおこなっていれば『直訳主義』『ぎこちない訳文が良い』という愚かな翻訳理念は生まれないのです。

正しい翻訳スキルを身に付けていれば、正しい言語観を持つことができます。正しい言語観を身に付けていれば、どの民族の言語でも習得することができ、どの言語でも正しく翻訳することができます。残念ながら日本の英語教育は大学受験という枠組みの中では役立ちますが、通訳や翻訳の実務では使いものになりません。受験英語で教えている言語観が偽りの言語観だからです。直訳主義、一語一訳主義は、誤った言語観を象徴するものです。誤った言語観が土台になっていれば、ヘブライ語やギリシャ語を勉強しても、誤った翻訳しかできません。新改訳は『直訳主義』だそうですが、誤った言語観に立脚していると公言しているようなものですよ。

翻訳が改定されるたび多額の費用が使われます。100年という長い時間と多額の費用をかけても、誤訳が訂正されないのはなぜでしょう?組織の要職に就いている人物が翻訳に関して素人だということ。また『ヘブライ語は難しい』『コイネー・ギリシャ語は難しい』と嘆く、青色吐息の翻訳者に翻訳をやらせているからではありませんか?翻訳委員会のメンバーがどのようにして選考されているのかも不透明です。委員会が掲げる翻訳理論、ニュースレターでの発言、実際の聖書の訳文を見る限り、プロの仕事ではなく素人の仕事だという印象を受けています。

今から30年前、ギリシャ語のテキストを買い独学しようとしましたが、分からなくてすぐ投げ出しました。それ以来ギリシャ語を勉強したことはありません。『聖書と翻訳』の記事で『不正な管理人』を取り上げることに決めたのが4か月前のことで、ギリシャ語学習歴は現在4か月です。ギリシャ語学習歴4か月の人間に、このような指摘を受けるようでは、恥ずかしいですよね。

翻訳委員会と出版社は、捧げられた多くの献金、販売される聖書の価格を思い起こしてもらいたいのですが、こんなお粗末な仕事で、献金を捧げた人、聖書を購入する人に対し、申し訳ないと思わないのでしょうか?重要なのは、正しい言語観、正しい学習法、正しい翻訳スキルを身に付けているかどうかというところにあるのです。100年という長い時間、そして多くの費用をかけても誤訳が訂正されない聖書翻訳なんて、笑いもの(エクムクテリゾー)ですよ。



~利用したウエブサイト~

以下のウエブサイトを使い原文解釈をさせていただきました。

英-ギリシャ語対訳サイト
Bible.org
Bible Hub
Study Bible

70人訳 英-ギリシャ語対訳サイト 旧約
Study Bible

ギリシャ語発音機能付きサイト
StudyLight.org
StudyLight.org
FORVO

コイネー・ギリシャ語聖書音読サイト
Koine Greek New Testament

用語検索
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品詞活用
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