聖書と翻訳 ア・レ・コレト

聖書の誤訳について書きます。 ヘブライ語 ヘブル語 ギリシャ語 コイネー・ギリシャ語 翻訳 通訳 誤訳

(000)イザヤ書8章-1

2018年04月26日 | イザヤ書


この記事は、イザヤ書8章1~4節について新改訳と英語訳との比較をしています。新改訳訳文に対する批判も含まれているため、不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。その旨ご承知の上お読みください。


~イザヤ書8章1~4節 新改訳~

1)主は私に仰せられた。「一つの大きな板を取り、その上に普通の文字で、『マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため』と書け。 2)そうすれば、わたしは、祭司ウリヤとエベレクヤの子ゼカリヤをわたしの確かな証人として証言させる。」 3)そののち、私は女預言者に近づいた。彼女はみごもった。そして男の子を産んだ。すると、主は私に仰せられた。「その名を、『マヘル・シャラル・ハシュ・バズ』と呼べ。 4)それは、この子がまだ『お父さん。お母さん』と呼ぶことも知らないうちに、ダマスコの財宝とサマリヤの分捕り物が、アッシリヤの王の前に持ち去られるからである。」

新改訳の訳文を読んでも、何が言いたいのか、私にはさっぱり分かりません。


~参考にした英語のテキスト~

残念ながら私は、聖書をヘブライ語やコイネー・ギリシャ語などの原語で読むことができません。それで、英語の複数のテキストを参考に解釈をしました。

40以上の英訳を並べて閲覧できるサイト
Bible Gateway

英訳-ヘブライ語の対訳を、閲覧できるサイト
The NET Bible
Bible Apps.com by Biblos
Parallel Hebrew Old Testament

ギリシャ語、ヘブライ語のオリジナル・テキストを閲覧できるサイト
academic-bible.com


~原文解釈二つのアプローチ~

原文解釈には、二つのアプローチがあると思います。一つは、中学校、高校で教わった方法で、初めに、原文の文法の分析や、個々の単語の分析から始め、一度英文をばらばらに分解したあとで、それらを再度構築していく方法です。

もう一つは、我流ではありますが、原文が何を伝えようとしているのかその意図(何を言わんとしているのか)を捉える方法で、初めに輪郭を設定します。次に、輪郭の中を埋めていきます。そこで、設定した輪郭が不適切であったと分かった場合、輪郭を再設定します。次に、再度輪郭の中を埋めるといった作業を繰り返します。

後者の方法で解釈していきます。


~輪郭を描く~

複数の英語のテキストを読んで共通している解釈、違いがあるところを拾い出します。必要と思われるか所は、ヘブライ語の底本を調べ輪郭を作ります。イザヤ書8章1~4節では、輪郭を作る二つのポイントがあると思います。 登場人物を把握することと、ストーリーを把握することです。

登場人物

英語のテキストから、主、イザヤ、二人の証人、女預言者、女預言者が産んだこども、アッシリヤ王が登場人物だと分かります。ここですでに問題発生です。新改訳の3節では『私は女預言者に近づいた。彼女はみごもった』と書かれています。また口語訳では『わたしが預言者の妻に近づくと、彼女はみごもって・・・』とあります。従来の日本語訳聖書ではいずれも、イザヤ不倫説を支持する解釈になっていますが、女預言者とは、実は『イザヤの妻』をさしており、ヘブライ語では、夫婦の間に子どもが生まれたという表現になっています。イザヤ不倫説を取る従来の日本語訳は誤訳です。

ストーリー

将来、ダマスコと、サマリヤに戦禍が起こると主は宣告する。この主の預言を前もって記録しておき、預言が確かに成就することを証明する必要があります。預言の保存には、三重の保全策を講じた。板にしるすこと。預言の記録に二人の証人を立てること。イザヤに生まれたこどもの名前として残すことの、三重の対策です。ただし、二人の証人を立てたのは、主ではなくイザヤです。これは預言の証人という役割以外に、ほかの意味合いもあったようです。詳しくはあとで記述します。ダマスコ(シリヤ)と、サマリヤ(北イスラエル)の陥落は、イザヤに生まれた赤ん坊が、ことばを話し始める前に起こると主はいわれた。

以上で、輪郭ができました。この輪郭を作るため、いくつかの英訳聖書を下訳し比較しています。輪郭ができたあと、細部の検討に入りますが、そこで新たな問題が見つかった場合、再度輪郭を設定しなおします。輪郭の設定→細部の解釈→輪郭の再設定→細部の再解釈という作業を繰り返し、解釈を練るので、その全過程を記述することができません。ここで書いているのは要点です。

輪郭ができれば、8割がた翻訳ができたようなものです。次から、輪郭の内部を埋める、細かい解釈に入ります。


~1節の解釈と私訳~

1節 新改訳 
主は私に仰せられた。「一つの大きな板を取り、その上に普通の文字で、『マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため』と書け。

1節で検討すべきところが3つあります。
・大きな板
・普通の文字で・・・書け
・マヘル・シャラル・ハシュ・バズ


~大きな板?~

新改訳では大きな『板』という解釈ですが、新共同訳では『羊皮紙』となっています。この違いは底本にしているテキストの違いで、マソラ・テキスト(Masoretic ヘブライ語)を底本とした場合、『gillayown ギリヨーン』ということばで『板材』と訳出されるようです。一方、七十人訳(Septuagint ギリシャ語訳)を底本とした場合『τομον tomon』というギリシャ語を『パピルス、巻物』と解釈してきました。板か羊皮紙か、どちらの解釈が正しいのか調べてみましょう。

始めに、七十人訳(ギリシャ語)から見てみます。2003年に出版された英訳聖書に、Apostolic Bible Polyglot(ABP)という聖書があります。このABPのイザヤ8:1を見ると『τομον tomon』というギリシャ語を『roll of papyrus new a great 新しく大きなパピルスの巻物』と英訳されています。『tomon』は聖書の中で、ここイザヤ書8:1でしか現れないので、その意味を定義する客観的データが極めて乏しいことばです。七十人訳聖書を見ると、tomonということばに対し、正式なストロングナンバー(Strong Numbers)が与えられていません。これは、tomonの意味が解明できていないということです。

tomonの解釈を一度脇に置いておき、別の視点からアプローチします。同じ1節の中で使われる『γραφίδι grafidi』ということばに注目します。『grafidi』ということばは、イザヤ書以外で4回使われていますが、いずれも『ノミ、タガネ(で刻む)』という意味です。

以下の英文はApostolic Bible Polyglotからの引用です。

出エジプト32:4
And he took them from out of their hands, and he shaped them with the stylus. ・・・
アロンは、人々の手から金のイヤリングを受け取り、それにタガネをあて(金の子牛)像を作った

1列王記6:29
And all the walls of the house round about [sculptures he depicted] with a stylus – cherubim・・・
神殿内全ての壁面はノミで彫刻をほどこされ、ケルビム・・・

エレミヤ17:1
Thus says the lord . The sin of Judah is being written with [stylus an iron] with clawed adamantine being carved upon the tablet of their heart,・・・
主は次のように言われた。ユダ族が犯してきた罪は、鉄のノミ、鋼鉄の刃先でユダ族の記憶に刻まれる

エゼキエル23:14
And she added unto her harlotry, and she saw men having been portrayed upon the wall, images of Chaldeans having been portrayed with a stylus
あの淫らな女、ユダ族が、姦淫の罪を繰り返していた時、ノミで壁に彫り込まれた男の像を目にした。その姿はカルデヤ人のようであった

このようにすべて『stylus ノミ、タガネ』と訳されていますが、イザヤ書8:1だけ『ペン、筆』という解釈に変わります。

イザヤ書8:1
And the lord said to me, Take to yourself [roll of papyrus new a great], and write on it with the pen of a man・・・
主は次のように言われた。『新しく大きなパピルスの巻物を用意し、そこに人のペンで記せ・・・

イザヤ書だけ『ペン(で書く)』と訳された原因は、従来の聖書がtomonを『book,roll 本、巻物』と訳してきたため、『巻物にノミで刻む』では、おかしな訳文なので『巻物にペンで書く』と、強引な変更を加えたことに因るのです。ラテン語訳ウルガタ聖書の段階で『librum(liber) 書物』と誤訳されています。

ラテン語ウルガタ聖書 Latin Vulgate 382年 
・・・Sume tibi librum grandem, et scribe in eo stylo hominis・・・
私訳 大きな書物(本、巻物)に人のペンで書き記せ
※ラテン語styloは『先の尖ったもの』という意味で、ノミという意味も含まれています。

Wycliffe Bible 1390年
And the Lord said to me, Take to thee a great book, and write therein with the pointel of man ・・・

The Douay–Rheims Bible 1582年
And the Lord said to me: Take thee a great book, and write in it with a man' s pen ・・・』

Geneva Bible 1599年
Moreover the Lord said unto me, Take thee a great roll, and write it with a man's pen ・・・

King James Version 1611年
Moreover the Lord said unto me, Take thee a great roll, and write in it with a man's pen ・・・

ウルガタ聖書はtomonを『librum 書物』と解釈したため、中世以降の翻訳で『本、巻物、羊皮紙』と訳されることになりました。そして『本に・・・ノミ(で刻む)』ではおかしいので『ノミ(で刻む)→ペン(で書く)』と強引な変更を加えたのです。先に述べたように、ギリシャ語『grafidi』は4か所で使われていて『ノミ、タガネ』という意味に絞られています。そうであれば『ノミ(で刻む)』という解釈が妥当で『本(巻物)』という解釈に疑いを向けるべきなのです。ギリシャ語『トモン』の意味を調べてみると、トモンには『板』という意味があることが分かります。

イザヤ8:1抜粋
τόμον καινόν μέγαν
トモン カイノン メガーン
(ABP)roll of papyrus new a great
(ABP)新しく大きなパピルスの巻物

・τόμον tomon(5113.4?) tomeは切る、切断するという意味。tomnは(木、石などの)切り取られたものという意味。  tomosは、切り取られたもの、板状のものという意味。 ギリシャ語tomonに(木や石の)板という意味があると考えて問題ないでしょう。
・καινός カイノス(2537) 新しい、使ったことのない
・μέγας メガス(3173) 大きい、広い、重い

τόμον καινόν μέγαν 
トモン カイノン メガーン 
(私訳)新たに大きな(石の)板を切り出し

ギリシャ語tomonには(木や石の)板という意味があることが分かりました。次に、ヘブライ語のマソラ・テキストではどうなっているのかを見てみます。新改訳で『板』と訳されたのは、『gillayown ギリヨーン』という語で、その意味は、table, tablet, mirror, flat shiny ornament(机、板材、鏡、鏡面仕上げの板材)とあります。ヘブライ語もギリヨーンは『板』に関する意味を持つことが分かります。主がイザヤに用意をさせた『ギリヨーン』とは、『木の板』だったのでしょうか?『石の板』だったのでしょうか?ほかの材料だったのでしょうか?このギリヨーンが何を指すのかについて、もう少し掘り下げて検討をしたいのです。何故なら、このギリヨーンの解釈と、後に続く『普通の文字で・・・書け』の解釈が密接に関係してくるからです。

現代は、ホームセンターに行けば、大きな金属板、大きな木の板などを、いつでも買うことができます。しかし、今から2,700年前に、ビバホームやカインズはありません。大きな金属板を手に入れることは容易なことではなかったはずです。金、銀、銅であれば、1,100度の加熱ができれば溶融できますが、鉄は1,600度必要です。技術的に金属板を作ることはできたでしょうが、時間、手間、燃料などが掛かる貴重品だったことでしょう。

同じように、木の板にしても、大きなものを用意するのは簡単ではなかったはずです。ソロモンは神殿、王宮建設で使った木材を、隣国ツロから調達したということですから、イスラエルには建築用の木材が、なかったということです。現代は、合板、集成材といった工業的に作られた板材があるので、大きな板を簡単に入手できます。イザヤの時代にはこうした工業製品はありません。木の板といえば、天然の一枚ものの板しかないのです。イスラエルの地で、大きな木の板が簡単に入手できたとは思えません。仮に、幹の太い大きな立ち木を見つけたとしても、切り倒したあと、すぐには加工できません。樹液を抜き乾燥させるのに最低でも1年は要します。含水率を15%程度まで下げておかないと、干割れを起こします。もしかしたら、大きな板材が、エルサレムの材木問屋にストックされていたかもしれません。あったとしても、王家の家具や建築材で使うような高価な贅沢品だったはずです。現代イスラエルでも、木材は貴重品として取引されています。

日本人が『板』という言葉を聞くと、どうしても木の板をイメージするのではないでしょうか。それは、日本には木材が豊かにあり、木の文化に親しんできたからです。『板』という文字自体既に『木ヘン』で表記されているのですから、『板』と聞けば木の板をイメージするのが当然だと思います。日本人には、こうした文化的背景があります。しかし、翻訳をする上で、自分には日本人としての先入観があるということに、気づく必要があります。難しいことばでは『母語干渉、自文化の干渉』と言われるものです。

たとえば、日本語では『水』と『お湯』を別のことばで区別します。『水』には『冷たい』という温度の概念が含まれています。ところが、英語の『water』には、水、お湯両方の意味があり、『water』には『冷たい』という温度の概念が含まれていません。日本人が『water=(冷たい)水』と誤った理解をする原因は、『母語干渉』が働くからです。外国語学習で肝に銘じておかなければならいのは『直訳できない』ということです。通訳者、翻訳者は原文解釈をする時『母語干渉、自文化の干渉』が起きていないか、常に自分自身をチェックしなければなりません。こうしたことは学校英語では教えません。直訳英語を教える学校にとって、都合が悪いからです。

『板』の話しに戻します。大きな金属板、若しくは大きな木の板にしても、高価な貴重品だったはずですから、そのような高価な材料は、入手できなかったことでしょう。また、神さまが、入手困難な金属の板や大きな木の板を用意させる、不合理なことをイザヤに命じたとも思えません。

1節のヘブライ語テキストでは、ギリヨーンということば以外に、材質を指し示すことばがありません。材質を指し示すことばがないということに注目すべきです。神さまがイザヤに『私のことばをギリヨーンに記せ』といえば、預言者は『あっ、いつものものだな』と理解できたので、わざわざ材質を指示していないのだと思います。

旧約聖書の中では、出エジプト記 24、31、34章に、十戒が石の板にしるされたことが記述されています。申命記27章には、イスラエル一族がヨルダン川を渡ったのち、神さまが命じられたことを大きな石に記しています。次に新約聖書の中では、コリント人への手紙第二3章に、石の板にではなく、人の心の板に書かれたもの・・・もし石に彫りつけた文字による死の務・・・と記述されてるように、新約時代に生きたパウロも、石、石の板が、みことばを記す代表的な材料だと認識していたことがうかがえます。ユダヤ人にとって、石の板はみことばを記す定番の材料です。


シロアムの石碑 JERUSALEM 101より引用
エルサレムの地下を流れるシロアム水道は、水下にあるシロアムの池に注ぐ。この暗渠(あんきょ)の壁面にフェニキア文字で6行の文言が記されていた。列王記第二20章20節と似た内容が記されている。1880年 C Schick氏が発見。実物はイスタンブール考古学博物館が所蔵。

イエスさまを象徴する譬えとして『隅の親石、躓きの石、神に選ばれた尊い生ける石』という表現がされています。また旧約聖書の中で『岩』は神の象徴として記述され、『石』は選民イスラエルや神のことばを象徴しているようです。マタイ4:3を見ると、断食を続け空腹だったイエスさまのところに、サタンがあらわれ『石をパンに変えてみたらどうか?』と勧めますが、イエスさまは『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と答えています。イエスさまは『武士は食わねど高楊枝!腹なんかちっとも空いてねえぜえ』と、やせ我慢をしたのでしょうか?違いますよね。

サタンが言った『パン、』に対し、イエスさまは『パン、神のことば』と対比させているところに注目してみます。この断食の場面は、イエスさまがこれからメシアとして公に活動を始める、出だしにあたるところです。サタンは『断食なんかやっても、腹がすくだけだろ。神に従う生き方なんて、もう辞めてしまいなよ。オレが面倒みてやってもいいんだぜ』と公生涯の出鼻をくじく大きな誘惑をしているように見えます。それが『石(神のことばに従う生き方)をパン(この世の生き方)に変える』ということばの意味で、単に『空腹を満たしなさい』といっているのではないように思います。イエスさまはユダヤ人として生まれ、ユダヤ文化を身に付け成長したのですから、このサタンとイエスさまのやり取りも、ユダヤ文化というフィルターを通して見ると、より立体的な解釈ができると思います。

ヘブライ語『eben エベン』は石という意味で、『ben ベン』は息子、子孫という意味です。発音が似ていますが、ヘブライ語では、韻をふんだ表現が好んで使われます。『石 エベン』ということばは、『神に選ばれた子孫 ベン』を象徴しています。物理学者アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)はユダヤ人の家系に生まれましたが、ドイツ語のアインシュタイン(Einstein)は『一つの石』という意味です。ユダヤ人にとって『石』は民族のアイデンティティーを象徴しています。

日本では、お墓参りのとき墓前に花をたむけることが一般的ですが、ユダヤ人のお墓では、花ではなく、小石を一つ置いて帰るのが慣わしです。石には『神に選ばれた子孫』という意味があるからです。次の動画は、エルサレム、オリーブ山のユダヤ人墓地の風景を映したものです。墓石の上に、小石が置いてあるのをご覧ください。

Cemetery on the Mount of Olives


ヘブライ語は右から左に書き進めますが、その理由は、左手に持ったノミを、右手のゲンノウで叩くと、自ずと右から左に手が進みます。このように、石の板に文字を彫り込む文化があったため、右から左に文字を表記するようになったのだろうといわれてます。また、フリーメイソンといわれる団体は、イスラエルの石工職人同盟がその起源であったといわれています。日本と違い、イスラエルには石が密接に関わった文化があったのです。日本人の感覚として、固い石の板に文字を彫り込むなんてものすごく大変な作業だろうなと思われるでしょうが、作業に慣れた人にとってはそうでもないようです。

次の動画は、ノミで墓石に文字を彫り込む作業を映したものです。ここでは芸術的ともいえるレタリング作業なので時間をかけ丁寧に彫り込んでいますが、預言者が文字を彫り込む場合、ここまで手間ひまをかけた仕事はしていないでしょう。墓石に刻まれた『ROSEMARY』という文字は、忘れない、記憶に残す、追悼するという意味になります。
Hand Carving Stone Lettering - DJB David J. Brown Stonemason


新改訳で『大きな板』と訳された箇所を検討してきました。ギリシャ語『tomon』、そして、ヘブライ語『gillayown』は『板に関係した意味を持つ』ことが分かりました。また、ヘブライ語、ギリシャ語それぞれの底本に『ノミ(で刻む)』ということばが使われているのですから、『本、巻物、羊皮紙』という解釈が間違いであったということです。ユダヤ教の預言者イザヤが、神さまのことばを記すため用意した『gillayown』とは・・・『石の板』です。


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