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大江能範に関すること。少し進展!

2021-07-14 | 大江氏

https://core.ac.uk/download/pdf/145768475.pdf

中川博夫 【後藤基綱・基政父子(一)その系譜と略伝について】

この論文の4ページ目に系図がある。

 

この系図によると 後藤基政の母は大江能範女だそうで、つまり基綱の妻が大江氏であったことになる。

基政の祖父は後藤基清となる。

後藤基清は、中原政経・小野義成とともに一条家に仕え、「三左衛門事件」のことで捕らえられてしまった人物である。

 

息の基綱の妻が「大江能範の娘」

 

能範とは、と以前にも記事にしたがその続きである。

今回は藤原能範として調べてみた。さて、同一人物だろうか?

 

藤原能範は藤原範光の息である。

更に範光は…藤原範兼の息であり、範兼は、弟「範季」が10歳の頃父が歿したために、父の代わりとして範季を育てている。

範季は、平治元年(1159年)の平治の乱で没落した源義朝の六男・範頼を引き取って自らの子・範資と一緒に養育している。

義経の応援隊でもあったようである。

 

範季と季範(熱田神宮の…由良御前の父)を間違えそうになるが、別人である!!

 

範兼の実弟であり、後に養子となる範季。(コトバンクには高倉範季ともある)

ところが、其の範兼も息を残して歿してしまったために今度は

長寛3年(1165年)4月に範兼が死没すると、残された子の範子兼子範光らを引き取った(範光には実の娘である季子を嫁がせて婿にしている)。 」

 

藤原能範の母親は不明であるが、父の範光は、確かに範季に育てられていた。

範季に養育された範光、そしてその息が能範である。

 

さて、この人物が、大江能範と名乗り、その娘が後藤基綱の妻となり、基政を産んだのだろうか?

 

進展したような、していないような‥‥で、この線でもう少し調べてみようと思う。

 


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