九里領を六角支配より切り離し、将軍家直領として九里家へ永代御預けされ、将軍御直臣となって京邸も賜ることに相成る。
近江八幡人物伝 江南良三著
日野川中流域 や、沖島、そして旧 九里領たる湖東沿岸の船木荘等、六角政権期以来の水運の要衝地である。史学雑誌106号
本日一番気になったのが、皇嘉門院領であった「いなけ本庄」(武蔵国・橘樹郡中原あたりか?)
皇嘉門院譲状…に記載があったのが、武蔵国稲毛庄・下総国三崎庄・能登国若山庄であり、
何れも、中原・九里氏と関係のありそうな場所であった。
最後の極めつけは、この「稲毛庄」と「肥前国高来深江」が交換になる事であった。
では、深江蓮忍は、九里太郎の蓮忍入道のことだったのではないだろうか?
しかも、同じく高来の東郷の野本行員は、肥前には赴いていなかったようだ。
東郷は地頭行員とあり、野本越中行員と思われる。
皇嘉門院領は九條家に渡った領もある。
もしかすると、九條家に渡った後のことであったかもしれないが、中原のある稲毛庄に、片岡経春のいた三崎庄、そして久能利が日野氏被官となって働いていた若山庄。
この符号は見落とせない!と思った。
皇嘉門院とは?という処から学んでいかないといけないが、この角度から調べてみると、何か新しい私的発見があるかもしれない。