九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

近江国中原氏と久利氏 石見国 都野氏

2024-07-26 | 九里【只今の状況・まとめ】
中世の江津と都野氏 井上寛司 山陰地域研究

この中に、とうとう(近江国)中原氏と久利氏の接点が見いだされたのである!









清原氏(久利氏)→宇都宮中原氏(都野氏)→近江国中原氏→九里氏




其の【都野】という名前だが、以前書いたブログ記事に
(紀氏関係のwebよりコピペした情報)
豊後高田市

①古代:松津国 国造:金連(物部連祖伊香色雄命孫)饒速日命・物部系
           仁徳天皇時代

       ・・・・・・・・・・・

国崎郡に「岐部村」あり、武内宿禰の男、都野宿禰の後裔

…とある。



以前書いた当ブログ記事からだが、


越前国 坂井郡 高向 振媛


『高向王』は、その系の中にいるという証なのだろうと思う。


高向王ー(漢皇子=天武天皇)のちいさな証となりそうなことがある。
継体天皇と天武天皇のつながりが見えてくるのが、


牟義都(むげつ)国造伊自牟良君の女 ・久留比売命(くるひめのみこと)を妻とし、汙斯王(うしのおおきみ、彦主人王)を生んだ。 (継体天皇の父が彦主人王)

‥‥という事で、【都野】というキーワードで、面白いように繋がってくるのである。

しかも以前調べた際には宇都宮氏は継体天皇とつながりがあり、善積氏となった宇都宮氏も継体天皇とのつながりを感じさせる場所を領地としていたのではなかっただろうか?

そのことがあって、天武天皇からの系図の中に近江国の中原氏がいるのかもしれない…とも思う。

清原氏もまた天武天皇から始まる系図の中にいる。

上記に添付した情報
国崎郡に「岐部村」あり、武内宿禰の男、都野宿禰の後裔
も、国東半島にいた富来氏につながり、同じ紀氏のなかでのことになるのではないだろうか?

以前文書で出てきた紀太(木田)氏も、日牟禮神社の紀氏も、土岐氏(源頼政の関係で石清水八幡宮の紀氏)も、みなその範疇にいるのではないだろうか?




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出直しヴァージョン 鎌倉時代  中原景経から再考してみる (6)賢清を「かたきよ」「たかきよ」「たかきよ」「まさきよ」と読んでみる。

2024-07-26 | 九里【只今の状況・まとめ】
【賢】という漢字は、いろいろな読みができるようで、
当て読み・・と書かれているが
「かた,かつ,さか,さかし,さと,さとし,さとる,すぐる,たか,ただ,ただし,とし,のり,まさ,まさる,ます,やす,よし,より 」とある。


「けんせい」という僧名とは思うが、【清兼】を曽祖父に持つと思われるため、人名そのものかもしれないし、其の「清」を僧名に取り入れたのかもしれない。

想像はこのくらいにして、系図に戻ると、賢清の父は経賢となる。
賢清の「賢」は、父から一字貰っていることになる。

其の経賢の孫の代を見ると、共に「経」の文字があり、
もしも「賢清」が僧名ならば、本名には「経」が付いていたかもしれないと思う。

本名か僧名か…悩める「賢清」である。





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