九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

源頼清が山縣氏の祖とすると、周辺の多田氏との関係は?

2020-08-29 | 大江氏

大江広元の妻は多田仁綱の娘である、という。
多田仁綱とは?清和源氏の多田氏なのだろうか?

大江氏の系図である『安中坊系譜』によれば摂津国多田郷吉川村の出身で、源満仲の弟・源満成の長男・左近将監満信の後胤であるという。

そこで、系図を見るが「仁綱」は見つからない。

美濃源氏とは 美濃源氏フォーラムさんHPの系図より
http://minogenji.html.xdomain.jp/page229.html

美濃源氏の中に前々回の「山縣氏」国直(ー国政)が見え、(土岐氏のグループに入っている)
また、もう一つ原氏が出た満政系の重実―重成もみえる。

共に同じ清和源氏の中の美濃源氏であることがわかる。
とすれば、同じ原氏であった可能性もあるのかもしれない。



===*===

話を多田氏にもどすと、多田行綱が見えるので、その周辺に仁綱もいた可能性もある。

源氏の系図 さん
http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_43_keizu.htm

この系図によると源(山縣)国政の孫で原となった頼清!
その上に「多田行綱」がいる。源頼盛の養子となったのだろうか?



大江広元(中原広元として活躍していた頃含む)は多田氏とも繋がっていたことになる。

九里となる以前の中原氏も多田氏(含頼政)とのつながり、山縣氏とのつながり、があったかもしれないと思う。
特に、大江氏は因幡守であった。九里も因幡国にいた。
広元の養父となった広季の弟となる「親光」。
その息親厳が隋心院の大僧正であり、九里のあった場所も隋心院領であった。

何処がどうなっているのかは、いまだわからないが、何等か関りがある。

===*===



コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 源国政の母が佐々木定道の娘... | トップ | 源国政の母=源国直の妻であ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (木方)
2021-06-27 14:43:52
灌頂幡に鈴付いているのに気付いたんでそこに片岡御祖(みおや)命って方が関わりそうだとの説があり凄いのでお伝えに来ました。ドイツで良く出会ったゴルトシュミート金細工作品みたいな幡なので調べてみたら金+鍛治というのがドイツ語の意味っぽいですね。展示物とかの表示で見たのでてっきり細工かと思っていたんですけど、鍛治は金属の成型には必要なので調べてみて妥当だなあと。だとしたら7世紀の片岡さんは鍛治職人に関わる方なのは確かのように思います。楽しみですよね。この方今後関わってきそうですよ、鈴だけじゃなく幡とか儀式にも。なのでこちらの記事でも良いかと思うんでコメント入れておきます。お水関係の風習というか文化があってなのか?灌頂の歴史については最澄さんにも聞いてみたいです。

陸上の山縣さん絡みでランキング上がったのだとは思いますが、記事に多田氏と山縣氏があるってちょっと凄いですよね。単純の山形は好きですけど、ヤマガタでもガタが県主の旧字かな?と思う縣アガタはなんか興味深いです。やっぱりこちらにも関係がありそうですよね。あがたの付く神社は愛知県だかで知ってたんですけど、何かに映ったのか?宇治でも出てきますね。宇治もお水の要所だと思うので県というのも今後のヒントになりそうに思います。
人の縁とかって本当興味深いですよ、人間の周りを見ていると自然になるとしたらそれこそ興味深くて眠れないくらいです。氏や民族近いなら付き合い易いですけど、違ってもより良い関係が未来に作れる流れになるといいですね。
返信する
素晴らしい情報、ありがとうございます! (kunorikunori)
2021-06-27 16:38:42
木方様


綺麗な作品も見ることができ、また片岡御祖(みおや)命という人物も知ることができ、どこか関係がありそうな気もしています。
ありがとうございます。

片岡葦田墓とも関係があるかもしれませんし、聖徳太子の娘の嫁ぎ先?であったかもしれません。

興味は尽きませんね~~!
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

大江氏」カテゴリの最新記事