九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

大蔵良実 大蔵春実

2022-02-08 | 雑記

調べておりましたら、年齢と思われる記述に出会いました。

下記の「五十六」が年齢とすると、延喜十年に五十六歳

という事は、910年-56歳=854年生まれ

となり、春実の天慶三年(940年)の時には86歳で、とても戦いに出たとは思えぬために、30歳以上は違うのではないでしょうか?

大蔵春実は大蔵良実の息子か孫かもしれませんね。

 

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コメントを下さった方へ~「大蔵良実」ありましたよ。

2022-02-07 | 雑記

以下のページに大蔵原田様の御説が立証できそうな記述がありました。  

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyouikushigaku/30/0/30_KJ00009304062/_pdf/-char/ja

七ページ(もしくは資料が4ページ始まりなので10ページ)

 

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大蔵春実の系図

2022-02-07 | 雑記

コメントにも書いてみましたが、

小野好古の妻が大蔵春実の娘だそうです。

小野篁の養子が坂上良実、孫好古の妻が大蔵春実の娘。

もしや・・・坂上良実が春実であることも、あるかもしれませんね。

 

いつも九里氏に関係しそうなところばかり調べているので、

難しくてわかりかねますが、、

下記に系図貼っておきます。共に働いていたようですね。

 

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北海道 真冬風景

2022-01-16 | 雑記

 

 

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比企氏周辺 情報  笠原十郎左衛門親重室、笠原親景室 野与党 

2021-12-29 | 雑記

 

笠原郷 ↓

 

 

野本次郎時基の父は笠原親景である。以下のページに詳しかった。

https://bukaho.com/730/

「野本基員には男子がいなかった(早世した?)ので、ひとりは笠原親景の子を、ひとりは下河辺政義の子・野本時員を養子に迎えています。

野本範員 (河口太郎範員) — 比企郡川口村 ※1218年7月16日死去
野本時基 (野本次郎時基、押垂時基) — 父・笠原親景(笠原十郎左衛門尉親景)は、比企の乱で討死
野本時員(のもと-ときかず)– 父は下河辺政義、母は河越重頼の娘 ※比企氏の血縁」

 

この野本時員の裔は長谷川氏にもなっていくようである。

http://kamakura-history.holy.jp/frame-655.html

 

なんと、野本の祖でもある「片田氏」は疋田頼基 片田の祖とあった!!!


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寒いデス。

2021-12-20 | 雑記

寒くなりました。

冬だけ南国に移り住みたい!!!

自由に足元を気にせずに散歩したい!!!

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ちょっと実験させてください!

2021-09-19 | 雑記

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散歩の季節! 

2021-09-18 | 雑記

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アイヌ語初級編カード 全セット 訂正しました!

2021-08-31 | 雑記

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義経の周辺に 多賀菅六久利 賀古久利 鷲尾経久・経春…偶然がたくさん。

2021-08-22 | 雑記

https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%9A%E5%8F%AF%E9%83%A1%E8%AA%8C/cARkVCEWJ6cC?hl=ja&gbpv=1&dq=%E5%A4%9A%E8%B3%80%E8%8F%85%E5%85%AD%E4%B9%85%E5%88%A9%E3%80%80%E8%B3%80%E5%8F%A4&pg=PP106&printsec=frontcover

 

多賀菅六の「ひさとし」なのか、「くり」なのか。

さらに、義経の鵯越の案内役として登場したのが、鷲尾義久 息の名が「経久」…・さらに「経春」

http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_h01.html

片岡氏にも経春に、経久がいたので、偶然なのか。

 

しかも多賀郡の菅原六郎であった久利。

加古郡でもあったのか、賀古菅六久利ともあるそうだ。

 

播磨国と云えば、あの官兵衛のいた場所、つまり黒田氏が近江を去って行きついた場所である。

もしも九里も共に行動していたとすると、この辺りに住んでいたかもしれない可能性が出てくる。

それにしても義経の伝説にどこか関わっていたらしく、様々な接点が「九里の周辺」にはある様だ。

 

さて、多賀家物語から少々

55ページ

播磨の多賀氏

東鑑文治二年に播磨国安田荘とある地の豪族にして、源平盛衰記に「播磨国安田荘の下司多賀久利」見ゆ。

地名辞書に「盛衰記に云ふ、異説・曰く、三草山夜討の時、虜多かりける中に、山の案内者とて、男を引き出し問ひ給ひけるに、是は平家の家人にもあらず、播磨国安田荘下司多賀菅六久利と申す者にて候が、重代の所領を平家の侍越中前司盛俊に押領せられ、妻子を養う便なければ、此の山に住み、鹿鳥を捕へて、世の渡り侍る(回答鷲尾三郎の事と同じ。蓋し異伝とす)。

 

長門太平記には、多賀を賀古作る。

多賀郡にも、賀古郡にも安田の地名遺り、また鷲尾てふ地名は、丹波多紀郡にもあり、然れども形勢より推せば、多賀郡と為す方、穏当□」

 

河野氏族

伊予国州敷多賀郡より起る。多賀谷條を見よ。

 

利仁流藤原姓斎藤氏族

豊臣秀吉の家臣 堀秀政の弟 出雲守秀胤(宗助)多賀を冒す。

 

飛騨の多賀氏

近江佐々木多賀党の子孫

多賀太郎の後世なり(千光寺記、治乱記)

三木條に詳かなり。三木氏系譜には「佐々木秀義―経高ー景綱(多賀氏、蔵人)ー則綱(多賀太郎)」と。

****

 

近江国御家人井口中原系図の中にも多賀氏に分かれていく系がある。

そこと、景綱ー則綱と繋がるのではないだろうか?

 

また、中原氏の系図の中に広季(大江広元と親能の父)・親光(大江広元・親能の叔父にあたる)が飛騨守を名乗っている。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/d6907a4b05eca52ac8b31e270bc6248f

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/6bb9f69ccefb311ce9703582c4b30af4

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E5%BF%A0%E9%A0%86

この大江広季・親光が飛騨守の時に、下司であったのが多賀氏だったのだろうか?

 

そういえば、九里村は隋心院領であり、系図にもある中原親厳が隋心院大僧正であったからと思っている。

それも、この周辺と関係があるからと思っている。

本郷氏も私の調べでは、この系図の中の親光ー朝親のことではないかと思っている。

久里城(九里城)よりも先に、本郷城と名乗っていたのではないだろうか?

 

多賀と聞くと中原を思い出し、中原と云えば九里と通じてくる。

 

 

 

 

 

 

 

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