九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

義経の捕虜から道案内役に抜擢の「多賀菅六久利」 鵯越 あちらこちらからの情報を集めました。

2021-08-22 | 雑記

web上のあちらこちらより多賀菅六久利の周辺を集めています。

千葉氏「河越氏」のページより↓ https://chibasi.net/kawagoe2.htm

山中に迷ってしまった。このとき義経の陣中には三草山の夜襲で生け捕った捕虜がおり、そのうちの一人を召し出して問うた。するとこの捕虜は、

「この山は鵯越と申して、さがしき山にて候とぞ承り候」(さがしき=険しい)

と答えた。

 

義経は、

「そもそも和君は平家の伺候人か、また国々の駈武者か」

と問うと、彼は、

「平家の家人にても候はず、駈武者にても候はず、播磨国安田庄の下司、多賀管六久利と申者にて候が、去ぬる頃先祖伝来の所領を故なく平家の侍、越中前司盛俊と申す者に押領せられ候ひて、この二、三年の間、訴へ申候得共、訴訟達せずして罷り過ぎ候、所領は取られ候ひぬ、疵無き死し候はんよりは、同じくは弓矢を取って戦にこそ死に候はめ、と存じ候てこの手に付きて候」

と申上したため、義経は彼の縄を解き、道案内に立て、鵯越から下の一ノ谷に陣を構える平家の軍勢のもとに駆け降りて壊走させたという。

 

義経伝説と文学 さんより

http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_h05.html

更に伝説的興味のある義経の部下としては、鷲尾三郎経春(『盛衰記』巻三六)(『平家』(巻九)には鷲尾庄司武久の子、三郎義久、幼名熊王。又『盛衰記』所載の「異説」には播磨国安田庄の下司、多賀菅六久利)と、下部喜三太とを挙げなければならない。一は鴨越坂落しの案内者として記念の姓名まで拝領し(『盛』巻三六、『平家』巻九)、「十二人の空山伏」の一となって奥まで御供した(『盛』巻三六)健気な勇士、他は「下なき下郎」(『義』巻四)ながら堀河夜討に高名して、「何ともあれ、おのれと義経とだにあらば」との御感を蒙り(同)、更に鬼一法眼と結びついては、一躍して重要な人物となった。

 

人物 
源義経及び配下の軍勢、武蔵坊弁慶・鷲尾三郎経春(『源平盛衰記』)(『平家物語』は鷲尾三郎義久、幼名熊王丸、『長門本』には加古菅六久利、『盛衰記』所載の「異説」にも多賀菅六久利とし、『義経興廃記』には鷲尾庄司武久の子三郎経久、幼名熊王丸としてある。『義経勲功記』は『平家物語』と同じである。又『広益俗説弁』(後編巻三、士庶)には三郎経春と云う名ではなく、十郎清久と云い、義経から義の一字を賜って義久と称したとしていて、各々一定しない)
年代 元暦元年二月七日払暁(『盛衰記』『平家物語』)(『吾妻鏡』も同じ)
場所 摂津国一の谷鴨越
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まちかどBOOK研究所 記事2つアップになりました!

2021-08-18 | 雑記

記事が二件アップになりました!

ご覧いただけますと幸いです。

特に「アイヌ語の成り立ち」は これからも続くらしい~~

私も読むのが楽しみ!!

 

https://blog.goo.ne.jp/historian

 

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兄弟ブログ まちかどBOOK研究所と繋がりました。

2021-08-16 | 雑記

本日

【まちかどBOOK研究所】とつながりました。

https://blog.goo.ne.jp/historian

 

こちらは、とある人物と私が書き手となる予定です。

どうぞ御贔屓に~~宜しくお願いいたします。

 

東京パラオリンピックの採火式が、アイヌの方々と、アペフチカムイという神様を通じて行われました!!

 

ぜひご覧ください~~!

 

 

 

 

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京都将軍家所領役考 応仁武鑑 googlebooks 梁田氏

2021-06-26 | 雑記

この系図の中に桓武平氏の国香の一男 鎮守府将軍貞盛から始まる梁田氏の系図が載っている。

その中に「餘五軍国大毅」とある。住近江国久田郷‥‥ 久多ではないらしいが。

 

維茂・貞衡に記載のある餘五という文字! 非常に気にかかる。しかも久田郷は伊香郡だという。

 

余語氏・佐々氏・伊香郡・・・・梁田氏

 

今まで出会っていなかった「梁田氏」を調べてみたい。

https://www.google.co.jp/books/edition/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B0%87%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E6%89%80%E9%A0%98%E5%BD%B9%E8%80%83/fTs1a3xNZfMC?hl=ja&gbpv=1&dq=%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E5%B8%B8%E5%B9%B9&pg=PP43&printsec=frontcover

===*===

https://www.google.co.jp/books/edition/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B0%87%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E6%89%80%E9%A0%98%E5%BD%B9%E8%80%83/WVoZPnqzzegC?hl=ja&gbpv=1&dq=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E6%89%80%E9%A0%98%E5%BD%B9%E8%80%83&printsec=frontcover

 

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公暁 鎌倉殿になり損ねた男 矢代仁 氏 著作 (2)

2021-06-23 | 雑記

今回読み直し、調べ直してみたこと。

それは尾張中務丞が 、栄実を養育していたのであるが、其の尾張中務丞とは?であった。

皆さまはもうご存知なのかもしれないが、私は自分では調べた事もなく…今回初めて調べてみたのである。

実は本にも答えはあったのだが…

 

栄実と禅暁の母は法橋・一品房昌寛の娘と言われている。

更に頼家が歿した後に養育していたのが尾張中務丞。

この尾張中務丞は、原氏かな?(尾張二宮宮司)とも思ったのだが、やはり泉親平(衡)の系かもしれないと思い、掘ってみた。

なぜならば、この人は源満快流で、父公衡が「禅師 行心」であり、片桐次郎であり、田島氏の祖なのである。

田島氏! 以前調べた際に 熱田神宮の関係で出てきた氏である。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/8299f11e1debe5186bd9ad517b54ac8e

 

田島氏=尾張氏である。

 

本と同じように田島氏で、決着がついた。

 

更にここに出てくる禅師こそ、1213年の事件に関係する人物であり、また、公衡の母親が横山氏であったために公衡の息親衡もそちら方面に逐電したのではないだろうか?

330名も逮捕されたという。 八田知基という名も見える。

この事件は一体何だったんだろう。狭い鎌倉で330人。

 

===*===

栄実の母、一品房昌寛の娘であるようだ。

一品房昌寛は源範頼の祐筆でもあった事からやはり文官のようでもあり、中原氏であるかもしれない。

何故なら「範頼の右筆中原重能は康貞の弟なので、範頼は重能の進言を入れて…」の一文もある。

重能のことだろうか?

何名か祐筆がいたのだろうか。

 

平康頼 も関係が出てくる。伯父中原仲康が和田朝盛と朋友…と出てくる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BA%B7%E9%A0%BC

和田朝盛は義盛の嫡孫である。(常盛の息)

 

この平康頼の父も中原氏である。「信濃守中原頼季」である。

 

この康頼と一緒に島に流された人物に俊寛がいる。

俊寛に昌寛…

一品房昌寛は、熊本の人物であったのか「肥後志賀文書」が残されている。

 

 

 

 

   

 

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公暁 鎌倉殿になり損ねた男 矢代仁 氏 著作  追記あり

2021-06-23 | 雑記

【公暁 鎌倉殿になり損ねた男】 矢代仁 氏 著作

https://www.amazon.co.jp/%E5%85%AC%E6%9A%81%E2%80%95%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%AE%BF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E6%90%8D%E3%81%AD%E3%81%9F%E7%94%B7-%E7%9F%A2%E4%BB%A3%E4%BB%81-ebook/dp/B01C5RROJA/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%85%AC%E6%9A%81+%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%AE%BF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E6%90%8D%E3%81%AD%E3%81%9F%E7%94%B7&qid=1624345069&s=books&sr=1-1

 

書店に直に「この本が欲しい!」と連絡を入れますと1400円+税金=1540円で購入できます。(送料かまたは書店までの交通費はかかりますが)

いま倉庫にあるこの本は、汚れ・カバー無なのだそうです。

(電話口でなるべくきれいな本をお願いしますと一言入れて置くと良いかと思います。)

しかし、内容に変わりはありません。

amazonで三万円とありますので、、、、

 

 

皆様へ ~ 大変に触発される本と思います!!

 

 

以下は、この本を読んで思ったことを書き連ねていく。

===*===

私にとっても「公暁」は気になる存在である。

というのも、その母が足助氏であるかもしれず、、、

また、近いところに中原氏が関わっていたかもしれないからである。

源義仲の乳父母が中原兼遠であったように。

源範頼の執事的存在であった中原康貞・重能もいたように。

サポート役としてどこかにいたような気がしている。

 

コメントをいただいたので、再度この本を読みなおしている。

まだまだ解明されていない人物のオンパレードであり、興味は尽きない。

この周辺にご興味がおありの方々は、是非!! 

 

①公卿の後見人であった備中阿闍梨宅の備中阿闍梨とは何方? 栄西のことなのだろうか? (栄西は1215年に歿している。)

邸宅が残っており、誰かがそこを守っていたのかもしれない。

其の後の譲り渡し?の件から三条家とつながりがありそうなので、公暁の師であった公胤のことだったのだろうか?

実朝の首を持った公卿に食事を提供していることからも、日ごろから出入りをしていたお宅だったのではないだろうか?

 

その事件後、乳父母の立場であった三浦義村は登場せずに長尾新六景定景が公暁の追手として派遣される。

②この長尾定景は三浦氏の家人となっており、本によっては渋々と公暁を誅しに赴いているようにも書かれている。

wikipediaには長尾定景に関して「初代当主・長尾景弘の子として誕生。治承4年(1180年)、源頼朝が挙兵すると兄・新五郎為宗及び従兄弟の大庭景親・俣野景久と共に平家方に加わり、石橋山の戦いで抗戦する。」とあり、大庭氏と仲間であった点が今後に関係しそうである。

 

===*===

公暁の計画が失敗に終わり奉幣の為伊勢神宮へ赴いていた白川左衛門尉義典が自害する。

この「白川」はどこから来た白川だろうか?

③足助重長の娘が母と云う説を取ると、重長の兄弟に「白川重義」がおり、飛騨国大野郡白川村のことのようである。(現在の白川郷)

もしも白川重義の方の白川とすると… 公暁と従兄弟となるはずである。

が、伊勢神宮に奉幣に赴いていることから、やはり伊勢と関係の深い白川氏の方と思われる。

 

④土岐光衡の妻も宣能卿娘 白川局 となっている。

今回調べてみると時代はわからなかったが、系図纂要別巻に大中臣宣能の記載がある様であるし、またGooglebooks には中臣系図の中に

中臣宣能の記載があった。

比留四郎宣能という記載もあった。こちらの中臣の方は長元二年(1029年)に云々とあり、同名ではあるが別人と思うのだが、

系図纂要の別巻に大中臣(比留)と書かれているようで、どこか混乱しているのかもしれない。

 

とすると「大中臣氏」かも知れない。大中臣であるならば、伊勢神宮に奉幣も充分に違和感なくあり得る。

 

紀氏系図にも居た! 宣能! しかも同じ系図内に「栄西」その弟に「重源」がいる。

この二人兄弟だったのだ。驚き・・・

源頼政の周辺には紀氏が多い!

===*===

と、本を少しめくっただけで、次から次へと考えが巡り考えさせられるので、自分一人で悶々と考えているよりも良い!のである。

これから大河ドラマでも

鎌倉時代がやってくるそうなので、深堀したい方は、書店にお電話してみてください!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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日蓮宗の弟子 原殿

2021-06-20 | 雑記

富木氏と共に「原殿」が登場する。

その「原殿」は、実は「波木井氏」という。

波木井長義(清長とも)日教 父は南部実長 兄弟姉妹に南部実継・南部実氏・舩原三郎・小笠原長経室 がいる。

 

この小笠原長経の父は長清 長経の弟に伴野時長・大井朝光がいる。

長清の父は加賀美遠光である。姉妹に大弐局!!

長清の妻は上総広常の娘がいる。

大井朝光の母は上総広常の娘だそうだ。

しかも大弐局には子がなかったので甥の大井朝光を養子とした。

 

佐々木時清(隠岐守護)は父佐々木泰清・母大井朝光娘である。

 

ここ、接点と思う。

ちょっと本題とずれたので戻すと、

波木井長義 弥六郎が「原という処に住していた」ために「原殿」となった。という事のようである。

http://www.butujoji.jp/houwa/houwa2402.html

http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-681.html?sp

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%91_%28%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%29

何らかの理由で日興を除く五老僧と南部實長とが義絶していたのも…とあるように、何かしら問題が起こり、袖分かつこととなったようである。

 

そのあたりは、何だか複雑でわからない! 

 

ともかく、新しい原氏が出てきたことになる。

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上総国防人歌 と 大原真人今城

2021-04-08 | 雑記

敏達天皇 難波皇子 橘氏 片岡 と 調べてみると「大原史氏」という人物が出てくる。

更に「上総」「大原」を調べると【大原真人今城】が出てくる。

この大原真人今城 は、上総の防人歌が万葉集の二十巻にあるそうで、

「上総国大掾大原真人今城が伝誦した歌である」とあるらしい。

天平勝宝七年頃に上総に赴いたようである。(天平勝宝7年(755年)頃:上総国朝集使大掾)

藤原仲麻呂の乱=恵美押勝の乱に連座したらしく…とwikipediaにある。

巨勢麻呂は戦死し、その後黒麻呂は藻原に赴いて開拓し、牧を造る、という流れになりそうである。

 

上総に「大原」という地名があるのも、「大原文化」と言われるのも、この「大原今城」から始まっているのかもしれない。

===*===

片岡と橘の関係を探っている最中である。

 

 

 

 

 

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足利義澄の小袖鎧 『足利氏累代相傳小袖鎧』の意味 改訂

2021-03-08 | 雑記

先ほどまで、中途の記事を出していて失礼しました。

眼鏡をかけずに、黒ぽちボタンを動かしていたら、間違っていました!!

 

【六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す】 村井祐樹著 ミネルヴァ書房

 

人名索引には『九里宗恩』 85,86頁とあるが、その他にもクノリ、九里、等の記載が文中にある。

近江国、とくに近江八幡、更にその時代の足利氏との関係などが、俯瞰してみることができ、六角氏の置かれた立場も分かったような気がした。

気がしただけで、まだ理解したとは言えないが何度も読んで行くうちにわかってくるかもしれない。

何度も読み返す価値のある本だと思う!!

 

面白かったのが、小袖の部分であった。

九里浄椿が預かっていた小袖がどのような小袖であったのかが、初めて知ることができた。

その小袖は、足利義澄が急に亡くなってしまったために、九里の許に残されていた物で、『足利氏累代相傳小袖鎧』と言われている代物。

 

本の中よりその興味を引いた部分を書くと、

「御小袖」が鳴動する時には必ず凶事があり、…』とある。

其の鳴動の時の例が挙がっており

・嘉吉の乱 将軍義教が打たれる前に鳴動。

・義政時代 鳴動したので居を移した、その建物崩壊。

・永禄八年 1565年(九里から返還した後)何度も鳴動したにもかかわらず、将軍義輝が何もしなかったため、討死となる。

 

この九里宗恩(浄椿)が返還するまでの事情が「菅別記」(東坊城和長)に簡単に記されているそうである。

「菅別記」も新しい情報である。

===*===

九里の記載されている本は極めて少ない!!

そのため、非常に貴重な本と思う!

 

 

 

 

 

 

 

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藤原高房の流という 前野氏 良峯姓とは違うのだろうか?

2021-03-02 | 雑記

http://www.asahi-net.or.jp/~SH8A-YMMT/hp/japan/toshu05.htm



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%AB%98%E6%88%BF

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%8F%A4%E4%BD%90%E7%BE%8E

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E5%86%85%E6%B0%8F#%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%88%A5%E5%BD%93%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F%EF%BC%88%E6%B8%85%E5%92%8C%E6%BA%90%E6%B0%8F%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B0%8F%E6%B5%81%E3%81%A8%E3%82%82%E7%A7%B0%E3%81%99%EF%BC%89%E9%B3%A5%E5%B1%85%E6%B0%8F%E6%97%8F%E5%9D%AA%E5%86%85%E6%B0%8F


どれが正しいかはわからないのだが、ココにmemo!!
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