現場の夏休みを利用して、kunipicaたちが初台一丁目計画(プライムメゾン初台)の何に反対し、訴訟までやっているのかを「あらすじ」としてまとめてみる事にした。
まず、kunipicaは、会社も自宅も初台一丁目計画のご近所さんなので、ほぼ1日中この建設現場を見て、騒音を聞いている。そこで、「初台1丁目の住環境を守る会」というのをつくって、建設に反対の気持ちを持った方々のご意見を積水ハウスにぶつける、そして、いろいろな方々に初台1丁目計画のこと知っていただく場としてブログを活用してみることにしたのだ。
写真や情報を提供してくださるご近所さん、一緒に訴訟で闘っているご近所さん、弁護士さんなどをまとめて『kunipicaと愉快な仲間たち』と表現しているのだ
そもそも、この騒動は、平成24年9月、昭和20年代からのご近所さんだった一戸建てにお住まいのご家族が敷地を売却して引っ越してしまわれた事から始まった。
この地域は幹線道路が片道2車線から4車線に拡張された事で幹線道路沿いのお宅が立ち退きにあったり、敷地を削られたりしたため、平成に入った頃から建物の建て替えが行われた地域だ。幹線道路の拡張計画は昭和25年頃からあったようだが、実際に立ち退き交渉が活発に進められたのは平成になった頃からで、ちょうどその頃、用途地域の見直しがあり、幹線道路から20mだった商業地域が30mまでに広がったため、昭和20年代からここに建っていたkunipicaの家は、いつの間にか敷地の一部が第一種住居地域から商業地域に変わっていたのだ。
同様に、初台1丁目計画の敷地内にも用途地域の境界線があり、以前は敷地の3分の1位が第一種住居地域だったのが大半が商業地域となり、立ち退きは免れたものの、敷地の一部が削られ、裏庭の部分が若干幹線道路に接した土地となったのだ。
そのちょっとだけ幹線道路に接した土地に目をつけたのが積水ハウス・・・
この敷地を購入して、自社施工でワンルームマンションを建てる事にしたのだ~!
このピンク色の部分が昔は20mだったので、もっと第一種住居地域の黄色の部分が多い敷地だったのだ~
次回は・・・建設反対の理由その1「施工者が積水ハウスだと言い張っている」をお届けしま~す
まず、kunipicaは、会社も自宅も初台一丁目計画のご近所さんなので、ほぼ1日中この建設現場を見て、騒音を聞いている。そこで、「初台1丁目の住環境を守る会」というのをつくって、建設に反対の気持ちを持った方々のご意見を積水ハウスにぶつける、そして、いろいろな方々に初台1丁目計画のこと知っていただく場としてブログを活用してみることにしたのだ。
写真や情報を提供してくださるご近所さん、一緒に訴訟で闘っているご近所さん、弁護士さんなどをまとめて『kunipicaと愉快な仲間たち』と表現しているのだ
そもそも、この騒動は、平成24年9月、昭和20年代からのご近所さんだった一戸建てにお住まいのご家族が敷地を売却して引っ越してしまわれた事から始まった。
この地域は幹線道路が片道2車線から4車線に拡張された事で幹線道路沿いのお宅が立ち退きにあったり、敷地を削られたりしたため、平成に入った頃から建物の建て替えが行われた地域だ。幹線道路の拡張計画は昭和25年頃からあったようだが、実際に立ち退き交渉が活発に進められたのは平成になった頃からで、ちょうどその頃、用途地域の見直しがあり、幹線道路から20mだった商業地域が30mまでに広がったため、昭和20年代からここに建っていたkunipicaの家は、いつの間にか敷地の一部が第一種住居地域から商業地域に変わっていたのだ。
同様に、初台1丁目計画の敷地内にも用途地域の境界線があり、以前は敷地の3分の1位が第一種住居地域だったのが大半が商業地域となり、立ち退きは免れたものの、敷地の一部が削られ、裏庭の部分が若干幹線道路に接した土地となったのだ。
そのちょっとだけ幹線道路に接した土地に目をつけたのが積水ハウス・・・
この敷地を購入して、自社施工でワンルームマンションを建てる事にしたのだ~!
このピンク色の部分が昔は20mだったので、もっと第一種住居地域の黄色の部分が多い敷地だったのだ~
次回は・・・建設反対の理由その1「施工者が積水ハウスだと言い張っている」をお届けしま~す