2024 6月29日 (土曜日) 曇り
昨日獲らなかったキュウリなどが大きくなって
20数本以上はあった。配布物もあったので一緒におすそ分け。
天気はグングンよくなって猛暑だ・
~~~~~~~~~~~~~
昨日午後は6Wぶりの通院。関東脳神経外科病院へ
血圧測定と簡単な問診と薬をもらって終わり。
本当に簡単な問診で
”変わったことはありませんか?”で
”はい、大丈夫です。”
”血圧のデータ”も見て、では同じ薬を出しておきましょう”
何もないのが良いことだと思っていても・・・少し簡単すぎだ。
〇外は大雨で外来の人も少ないようだ
〇予約なので次回は8月9日になる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
その足でさくらめいとのチケット売り場に立ち寄って
〇8/25のサマーコンサート”埼玉交響楽団”を2枚購入。
今年はサクラメイトで行われるコンサートは大半は観劇予定でいる。
この雨ではチケットカウンターには事務員も事務所に入っていて
いない。 電話で呼び出して依頼。今回は前列の6列目にした。
============
〇今日もコンサートあり。午後から出かける。ピアノの小林愛美さんが
ピアノ狂想曲を弾く。
次回は
〇7/7もプラネットナイン・ウインドオーケストラを予約済みだ。
======================
新聞 コラム
▼埴輪として初めて国宝となった太田市飯塚町出土の「挂甲(けいこう)の武人」は、
最高美の埴輪と称される。
実は他に兄弟とも呼ばれるよく似た4体が現存する。
いずれも同市と伊勢崎市から出土している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼たくさんの古墳が造られた本県一帯には、
大量の埴輪を供給したプロ集団が存在したと考えられている。
6世紀に作られた5体は、技術力の高さや類似性から
同じ工房で生まれた可能性が指摘されている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼ただ県内に残るのは1体のみだ。
国宝を含む3体は県外に、残り1体は海を渡り、米シアトル美術館にある
▼1936(昭和11)年の郷土誌「上毛及上毛人」には、
太田市世良田町から出土し、現在は奈良県の天理参考館が所蔵する挂甲武人が、
海外へ転売されかけていたことが記されている。
文化財流出の危機を食い止めようとしたのが、
伊勢崎市の相川考古館の創始者、相川之賀(しが)(1866~1950年)ら県内の有志だった
▼地域の宝を後世に伝えようと尽力した相川らの活動により、
戦中戦後の混乱期を乗り越えた文化財は多い。
同館は本県に唯一残る1体を所蔵する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「挂甲の武人」が国宝となってから、
今月で半世紀の節目を迎えた。10月には50周年を記念して、
東京国立博物館の特別展で初めて5体が一堂に会する。
6世紀に生まれ、それぞれの運命を歩んできた群馬の宝が、
1400年以上の時を経て再結集する奇跡に思いをはせたい。
★
★夢があるなあ~!
群馬が身近で勤めが邑楽郡であったので
太田・伊勢崎は地理的にもよく知っている。
最近は人口も増えて様変わりだ。
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昨日獲らなかったキュウリなどが大きくなって
20数本以上はあった。配布物もあったので一緒におすそ分け。
天気はグングンよくなって猛暑だ・
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昨日午後は6Wぶりの通院。関東脳神経外科病院へ
血圧測定と簡単な問診と薬をもらって終わり。
本当に簡単な問診で
”変わったことはありませんか?”で
”はい、大丈夫です。”
”血圧のデータ”も見て、では同じ薬を出しておきましょう”
何もないのが良いことだと思っていても・・・少し簡単すぎだ。
〇外は大雨で外来の人も少ないようだ
〇予約なので次回は8月9日になる。
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その足でさくらめいとのチケット売り場に立ち寄って
〇8/25のサマーコンサート”埼玉交響楽団”を2枚購入。
今年はサクラメイトで行われるコンサートは大半は観劇予定でいる。
この雨ではチケットカウンターには事務員も事務所に入っていて
いない。 電話で呼び出して依頼。今回は前列の6列目にした。
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〇今日もコンサートあり。午後から出かける。ピアノの小林愛美さんが
ピアノ狂想曲を弾く。
次回は
〇7/7もプラネットナイン・ウインドオーケストラを予約済みだ。
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新聞 コラム
▼埴輪として初めて国宝となった太田市飯塚町出土の「挂甲(けいこう)の武人」は、
最高美の埴輪と称される。
実は他に兄弟とも呼ばれるよく似た4体が現存する。
いずれも同市と伊勢崎市から出土している。
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▼たくさんの古墳が造られた本県一帯には、
大量の埴輪を供給したプロ集団が存在したと考えられている。
6世紀に作られた5体は、技術力の高さや類似性から
同じ工房で生まれた可能性が指摘されている
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▼ただ県内に残るのは1体のみだ。
国宝を含む3体は県外に、残り1体は海を渡り、米シアトル美術館にある
▼1936(昭和11)年の郷土誌「上毛及上毛人」には、
太田市世良田町から出土し、現在は奈良県の天理参考館が所蔵する挂甲武人が、
海外へ転売されかけていたことが記されている。
文化財流出の危機を食い止めようとしたのが、
伊勢崎市の相川考古館の創始者、相川之賀(しが)(1866~1950年)ら県内の有志だった
▼地域の宝を後世に伝えようと尽力した相川らの活動により、
戦中戦後の混乱期を乗り越えた文化財は多い。
同館は本県に唯一残る1体を所蔵する
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▼「挂甲の武人」が国宝となってから、
今月で半世紀の節目を迎えた。10月には50周年を記念して、
東京国立博物館の特別展で初めて5体が一堂に会する。
6世紀に生まれ、それぞれの運命を歩んできた群馬の宝が、
1400年以上の時を経て再結集する奇跡に思いをはせたい。
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★夢があるなあ~!
群馬が身近で勤めが邑楽郡であったので
太田・伊勢崎は地理的にもよく知っている。
最近は人口も増えて様変わりだ。
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