大昔、勝ってもいないのに”勝った!勝った!”と新聞が報道していた、俗にいう大本営発表である。時の政府の検閲があるので、こう発表しないと新聞社はまずいことになったらしい。
次に、頭に浮かぶ自己規制は、田中角栄のロッキード事件である。ある週刊誌の田中角栄研究だったと思うが、田中角栄がピーナッツ(あの頃の賄賂の単位)をいくつ貰って、ああした、こうしたという事件である。そして逮捕された。そのとき、新聞社の記者は「あれぐらい、俺たちも知っていたし、いくらでも書けた」と語ったと伝え聞いている。それはそうだろう。なら総理番・新聞記者は、なぜ書かなかったのだろう。なにか、暗黙の了解というものがあり自己規制したのだろうか。
さて、最近はネットで何でも言える時代になった。アダルトと暴力はもっと減らしてもいいと思うが、ここには、そう多くの規制は無い。そんな中で警察はネット監視を効率よくしようと改革をするという、ニュースをテレビから流れてきた。部屋の床掃除をしながらう~んと考えながら聞いた。盗聴もそうだが、それでどれだけ事件を未然に防ぐ事ができるのか、起こった後の事件の解決には役立つか、などなどおもったりした。
やっかいなことは、プロバイダ自体が自己規制という名の検閲をして、気にくわない記事は削除しようとしている動きだ。市場(しじょう)の中の一企業が自由な言論を統制しようという動きがあるのは、国家がやると同じくらいの権力による恐怖政治である。具体的事例は、
TBS・Podcasting 954「水道橋博士選「勝谷誠彦さんのベストコラム」」が解りやすいかもしれない。
少なくても、ここは自己責任だけで書ける場所であって欲しいと思う。